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シリーズ・クローズアップ仙台

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#2 上杉界隈 〜住宅地にかつての軌道と森とを求めて〜


2002
1228日、地下鉄泉中央駅から北仙台駅に戻った私は、穏やかに個人住宅が建ち並ぶ住宅地であり、ところどころに緑を残す上杉地区を目指そうと、北仙台駅を出発しました。

北仙台駅は、JR仙山線と地下鉄線との接点であることに加え、中山や桜ヶ丘などの青葉区北部の団地や、南中山・北中山、長命ヶ丘、住吉台、泉ビレジなどの泉区南部の団地から仙台駅へ向かうバス路線が収束する公共交通上の結節点となっています。実は、北仙台は、3040年前までは、さらに2つの鉄道のターミナルでもありました。1つは、1976年に全廃された仙台市電の北仙台駅(北仙台線の廃止はそれより早く、1969年に廃止)。そしてもう1つは、北仙台駅から七北田、吉岡を経て中新田に至る路線で営業していた「仙台鉄道(軌道)」の北仙台駅(1960年に鉄道部門廃止)でした。この仙台鉄道(軽便鉄道)は、宮城県の内陸部と仙台市とを結ぶ交通路としての役割を果たしてきました。しかし、戦後間もなくの台風で橋梁が流されるなどの被害を受けたことなどの影響で同社は経営が成り立たなくなり、鉄道部門廃止後の様々な会社の再編を経て、現在の宮城交通に至っています。現在北仙台駅に隣接する宮城交通本社は、実はその仙台鉄道北仙台駅のあった場所です。

JR北仙台駅前

JR北仙台駅前
(市電の始発駅だったため、道路が広い、2002.12.28撮影)
北仙台駅舎と背後のマンション

JR北仙台駅舎と背後のマンション
(右端に青葉体育館が見える、2002.12.28撮影)

そして、もう1つ指摘したいことは、この仙台鉄道の七北田までルートは、仙台鉄道のルートがJR東照宮駅付近を経由することを除けば、現在の地下鉄線とほぼ重なっているということです。もう少しこの鉄道の経営が持ちこたえていれば、やがて沿線に仙台都市圏の拡大が始まり、都市近郊路線として再生しえたかもしれない。そういった感慨を持ちながら、宮城交通本社前を通り、つきあたった旧国道4号線を東し、仙台北警察署前を通過して、昭和町交差点の三叉路へ。この交差点には歩道橋がつけられています。北方向は、仙山線のガードを介して、仙台上町段丘と台原段丘との間の斜面林の緑と、泉方面へ続く住宅地域の景観が、南方向は、銀杏並木の美しい愛宕上杉通りの都市景観が、そして西方向は道路の両側がマンションなどに埋め尽くされた彼方に、うっすらと北山あたりの丘陵地の緑の遠望が、それぞれ眺められます。私は、愛宕上杉通り東側へ歩道橋を降り、程なく到達する市立上杉山中学校の北側の道を東に入り、東照宮方向へ歩を進めました。

やがて、上杉山中学校の敷地が尽きると、北側から蛇行してくる梅田川につきあたり、道はゆるやかに東南東方向にカーブを描いて進んでいきます。付近は段丘崖下の斜面林を背後に控えた落ち着いた住宅地なのですが、このゆるやかな道路こそ、最初にお話した仙台鉄道のかつてのルートなのです。上杉6丁目から宮城教育大学付属小学校や県立盲学校の北を抜けて、梅田町、宮町5丁目へと、その「かつての軌道跡」である、ごくありふれた住宅地内の街路は東照宮方向に続いていきました。周辺には中規模のマンションやアパートなどもありますが、一般に個人住宅が卓越し、中には建築後相当の期間を経たと思しき民家も存在しました。もしかしたら、この家は仙台鉄道健在時にもここにあったのではないか、などの想像を膨らませながら、東照宮付近に達しました。

愛宕上杉通

愛宕上杉通(昭和町交差点歩道橋より)
(青葉区昭和町/上杉六丁目、2002.12.28撮影)
仙台鉄道跡

仙台鉄道廃線跡地にできた道路(上杉六丁目)
(正面は宮教大付属小、2002.12.28撮影)
上杉六丁目

段丘崖の斜面林を背にした住宅地
(青葉区上杉六丁目、2002.12.28撮影)
東照宮

東照宮
(青葉区東照宮一丁目、2002.12.28撮影)

東照宮は、仙台藩二代藩主忠宗が、藩の財政再建を期すため将軍秀忠に援助を求め債権を果たした後にその恩に報いようと、家康ゆかりのこの地(家康が、この地に従軍したことがある)に東照宮造営を願い出て許可されたことに始まります。北仙台駅付近から続く段丘崖の斜面林は、そのまま東照宮の背後の森につながり、こういった斜面林や丘陵地が団地などに改変されてしまった仙台にあって例外的に斜面林がよく保存されている場所です。ちなみに、こういった段丘の斜面林や市街地を取り巻く丘陵地の緑こそが、「杜の都仙台」の重要な構成要素でした。その森の中に慎ましくたたずむ東照宮は、仙台駅前からこの神社までほぼ直線に割り出された宮町通りの先端に位置し、仙台市街地の中に、うるおいを与える事物となっています。

仙台鉄道は、この後JR東照宮駅付近で仙山線をガードで乗り越えて北側に大きく向きを変えて、小松島2丁目地内を貫きながら、七北田への丘陵越えの難所へと続いていきます。小松島2丁目地内には、やはりこの鉄道の軌道後を利用したと思しき道路が見受けられるようです。仙台鉄道の軌道跡を辿る道筋にはここで一応一区切りを付けて、上杉地内に「杜の都」の面影を求めて、宮町通りを南下、北六番丁通りを東に折れて、東北大学農学部の方向へ進みました。

北六番丁と愛宕上杉通りの交差点(上杉6丁目交差点)までの道筋も、時々マンションなどの集合住宅が混ざった、閑静な住宅地です。その中にあっても、いたるところにケヤキやスギなどの木々があるのが見て取れました。宮教大付属小付近や、東北大農学部付近には、ややまとまった並木が残っていて、豊かに木々が配されていたという仙台城下町の面影を、本当にわずかではありますが、とどめています。上杉6丁目交差点の南西のコーナーに、「かみすぎやまはし」とかかれた、小さな石碑があります。実は、北六番丁にはかつて中央に水路が配されていて(現在は暗渠になっていたと思います)、この場所に橋が架かっていたことを、この小さな小さな石碑は語っています。実は、この水路は「四ツ谷用水」の一部でして、かつて仙台城下町を縦横に潤していた都市水路の名残です。四ツ谷用水の総延長は広瀬川の総延長に匹敵する長さで、「第二の広瀬川」とも呼称されました。





上杉二丁目
「かみすぎやまはし」の石碑

青葉区上杉二丁目、蔵のあるまちなみ
(2002.12.28撮影)

「かみすぎやまはし」と記された石碑
(上杉六丁目交差点南西隅、2002.12.28撮影)
東北大農学部付近

東北大農学部南の杉林
(青葉区上杉六丁目交差点付近、2002.12.28撮影)
勝山公園

勝山公園
(青葉区上杉二丁目、2002.12.28撮影)

愛宕上杉通りを南に進むと、突如昔懐かしい土塀の町並みが続きます。これは勝山酒造の一連の建物で、南の北四番丁に面したところにある勝山公園のゆたかな木々とともに、落ち着いた都市景観を演出しています。その向側の空き地に、「仙台放送新社屋建設予定地」を発見。平成16年に着工するようで、現在太白区八木山のてっぺんにある仙台放送も、この平地に移転してくるという事実には驚かされた次第。

勝山公園は、ケヤキやスギの木が上杉界隈では一番まとまって存在する場所です。公園としては決して広い部類には入りませんが、台原の丘陵までの間の、住宅地と屋敷林とがモザイク状に存在していたという上杉界隈の原風景を物語るよすがとしては貴重な場所で、閑静な住宅地上杉を演出しているように思われたのでした。

※この「上杉(かみすぎ)一〜六丁目」という住居表示は、この地域の通称「上杉山」の2字をとったものです。住居表示が2文字が望ましいという指導のもと、「山」の字が削られ、「かみすぎ」という、ちょっと違和感のある地域呼称が生まれたのでした。

<その後・・・>
文中に言及いたしました、北仙台の宮城交通本社ですが、2003年7月に泉区泉ヶ丘に移転しました。


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