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シリーズ・クローズアップ仙台

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#24 宮城野原界隈 〜歌枕・宮城野の移り変わり〜


JR仙台駅東口は、機能的なベデストリアンデッキと緑が豊富に配された穏やかな景観の広場とで構成される空間へと整備され、大型家電量販店やライブハウス、大手予備校などの集積とあいまって、多くの人々が行き来するエリアとなっています。東口から東へ、一本の大通−宮城野通−が真っ直ぐに伸びています。片側二車線の広大な車道に、5メートルのゆったりとした歩道が取り付けられた通りには、街路樹やモニュメント、水路などがふんだんに配されていまして、東口のシンボルロードとして多くの人々に親しまれる通りとなりました。JR仙石線の地下化に伴い、榴ヶ岡公園南側の未開通分も既に完成し、仙台駅から宮城野原総合運動場までのおよそ1.5キロメートルの道路が出現しています。宮城野区役所のホームページの記述によりますと、宮城野通沿線にはITベンチャーが集積していて、宮城野通は「ITアベニュー」と通称される別の顔も持っているようです。IT産業だけでなく、ホテルや企業の支店、金融機関や公共施設、コンサートホールなども立地していまして、都市機能も格段に充実してきました。

仙台駅東口

仙台駅東口、宮城野通入口
(宮城野区榴岡一丁目、2005.4.9撮影)

仙台駅東口

仙台駅東口、ベデストリアンデッキより
(宮城野区榴岡一丁目、2005.4.9撮影)
宮城野通

宮城野通、東方向
(宮城野区榴岡三丁目、2005.4.9撮影)
宮城野通

宮城野通、西方向
(宮城野区榴岡三丁目、2005.4.9撮影)

区の名前にもなっている「宮城野」は、古来の歌枕に由来することは有名ですね。古の時代、大和政権における東の拠点であった多賀城への道筋に相当するこの地は、「宮城野萩」に名を残す本荒(もとあら)の萩をはじめ、さまざまな草花や虫の音などが息づく原野−宮城野−が広がる場所として、遠く京の都にもその風雅が知られる、憧憬の大地でした。その範囲は現在の住所の「宮城野」よりはずっと広く、現在の仙台市や宮城郡、名取市方面の海岸沿いの沖積平野一帯を呼称したものであろうと、筆者は考えています。そんな宮城野も、中世に至ると、源頼朝の平泉遠征にあたっては先に述べた榴ヶ岡とともに血なまぐさい戦場となり荒涼たる原野となりました。さらに時代が下って、伊達政宗による仙台城下町の造成や、都市の成長に伴う田畑の開拓などによって次第に開発が進み、古くからの「宮城野」の姿を留める地域も次第に縮小し、原っぱと呼べる地域も、僅か「宮城野原」と呼ばれる一角を残すのみとなったと言われています。その後宮城野原は明治期における錬兵場としての利用の時期を経て、現在は「宮城野原公園総合運動場」となり、高校総体や高校野球などの県大会の会場なるなど、スポーツを志す人々の殿堂として輝きを放っています。そして2005年春、ここに新たなる役割が加わることとなりました。

フルキャストスタジアム宮城

県営宮城球場“フルキャストスタジアム宮城”
(宮城野区宮城野二丁目、2005.4.9撮影)

楽天カラーに染まっています

JR宮城野原駅出入口
(宮城野区宮城野二丁目、2005.4.9撮影)

陸上競技場前

宮城野原総合運動場、陸上競技場前
(宮城野区宮城野二丁目、2005.4.9撮影)
宮城野通・東入口

宮城野通、東側の入口
(宮城野区宮城野二丁目、2005.4.9撮影)

仙台・東北地方をフランチャイズとする新しいプロ野球球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」が設立され、その本拠地として県営宮城球場が改修され、「フルキャストスタジアム宮城」として装いを新たにしました。広々としたスタンドとはつらつとした雰囲気の外観は、総合運動場に新たな息吹を与えているように感じられます。「改革元年」としてさまざまな取り組みを進めるプロ野球の象徴として、今後とも新鮮な輝きを放ちつづけてほしいと思います。最寄駅であるJR宮城野原駅の出入口は楽天イーグルスのヘルメットをかぶった「楽天カラー」にイメージチェンジしていました。

宮城野、そしてその面影を継承した宮城野原の移り変わりは、現代都市仙台成長のあゆみをそのまま写す鏡のようでもあります。
その昔、都人が思いを寄せた遥かなる宮城野の残照は、時を越え、都市化と共に目立たないものとなりましたが、「宮城野」というえもいわれぬ雅な呼び名は変わらず現在まで受け継がれてきました。宮城野原に立ってその名前の持つ魅力に思いを馳せますと、地域の姿は変われど、ここが朝霧のたゆたう幻想的な美しさに溢れるたおやかな原であったという深い感慨を抱かずにはいられません。


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