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シリーズ・クローズアップ仙台

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#30 定禅寺通から勾当台公園へ 〜現代の杜の都の象徴〜


 仙台は「杜(もり)の都」と呼ばれます。広瀬川が市街地に接してたおやかに流れて豊かな緑地を形成するとともに、伊達政宗公の騎馬像が鎮座する青葉山からの眺めなどに接して、まさに仙台は緑豊かな杜の都であると実感された方も多いのではないかと思います。まさに「杜の都」は仙台の代名詞として広く知られているというこなのでしょう。そうそう、本シリーズでは「杜の都」という呼び名について、詳しくお話ししてはいなかったかもしれませんね。そもそも仙台がいつ頃から「杜の都」と呼ばれるようになったかご存知でしょうか。

 仙台が「杜の都」と呼ばれるようになったのは昭和初期、1910年代頃であったといわれています。この頃の仙台市中心部には、藩政時代から受け継がれた屋敷林がまだ濃厚に残されていました。これに加えて、青葉山や八木山、上杉山・台原、鶴ヶ谷付近等の丘陵地が市街地を三方から取り囲んで、それらの緑が市街地の借景として豊かな景観を作り出していました。現在では高層建築物によってほとんど見えなくなってしまったこれらの丘陵も、古くは仙台駅前などからも望むことができまして、そういった緑に溢れる町並みの風情が、仙台をして「杜の都」と言わしめた最大の要因でありました。戦後は、空襲や市街地化に伴い市街地内部の緑地が減少したのに加え、市街地近隣の丘陵地がことごとく団地として開発されてしまいました。台原森林公園の緑などは、わずかに残された丘陵地の森です。このような現代の仙台の市街地にあっては、戦後の都市計画の中で形成されてきた青葉通や定禅寺通のケヤキ並木が「杜の都」の象徴として、多くの訪問者の旅愁を誘っているように思います。今回は、仙台市街地の中でも最も美しいケヤキ並木の1つである定禅寺通りを歩いてみたいと思います。



定禅寺通のケヤキ並木
(定禅寺通、2003.7.21撮影)


光のページェント
(定禅寺通、2002.12.28撮影)

 定禅寺通は、仙台市街地のやや北寄りに位置し、仙台市役所や宮城県庁に程近いエリアを東西に貫く幹線道路です。駅前通から勾当台公園前の交差点まではかつての「市電通り」として、戦前から拡幅されていた一方、それより西側、現在最も多くケヤキが植えられている部分は、戦後の都市計画により拡幅が行われました。通りの中央には幅11メートルの遊歩道帯が設置されておりまして、4列にわたり植樹されたケヤキ並木が穏やかな影を落とす公園として、さわやかな都市空間を与えてくれております。1958(昭和33)年に最初の移植が行われたというケヤキ並木は、初夏から初秋にかけては鮮やかな緑の天蓋が目に眩しいほどのみずみずしいヴェールをまとい、秋には鮮やかに葉が色づき、そして冬には目映いばかりの電飾に彩られ、四季折々に美しい表情を見せてくれています。ケヤキ並木のある定禅寺通周辺は、多くの市民にとってかけがえのないエリアとなっています。通り沿いには、西公園を挟んで立地する市民会館、図書館やギャラリーなどがあるせんだいメディアテーク、多くの催事が行われる県民会館などの文化施設も立地します。近年はその豊かな緑の都市空間を志向したカフェの出店も目立つようになりました。仙台最大の繁華街である一番町買物公園や、東北随一の歓楽街「国分町」の入口ともなっていまして、平日休日問わず人の流れの絶えないエリアでもありますね。

 その一方で、定禅寺通は大学病院前にある市交通局を起終点としたバスの多くが定禅寺通をルートとしていることもあり、自動車交通量の多い都市の幹線道路としての顔も持ちます。都市にうるおいを与えてくれるケヤキの緑のつくる樹冠は外気との換気を遮断する効果があることから、通り内は排気ガスが滞留しやすい環境となっているようです。また都市のヒートアイランド効果(建築物等の放熱が市街地に滞留し、そこだけ熱の島のように気温が高い状態となること)も手伝って、ケヤキが生育するには過酷な環境となっていることも忘れてはなりません。私が仙台で学生をやっていました当時、ケヤキが強風で倒れるという事件もありました。

メディアテーク

せんだいメディアテーク
(青葉区春日町、2003.7.21撮影)
市役所

仙台市役所本庁舎
(青葉区国分町三丁目、2004.5.29撮影)

勾当台公園

勾当台公園・県庁とドコモビル
(青葉区本町三丁目、2004.5.29撮影)
勾当台公園

勾当台公園・段丘崖の石垣
(青葉区本町三丁目、2004.5.29撮影)

 一番町の交差点を東に行き、東二番丁の大通りに達しますと、地下鉄の駅名にもなっている勾当台公園(こうとうだいこうえん)に至ります。勾当台公園前の交差点は今からおよそ20年前までは現在の直線的な十字路ではなく、クランク状のいわゆる「鉤の手」のような変則的な交差点でした。本町三丁目と国分町三丁目の町丁界が道路と一致していないのもこの変則十字路の名残でしょうか。勾当台公園は、「勾配に当たる台」という名前のとおり、公園の北東の隅には広瀬川のつくる河岸段丘の段丘崖の段差を反映した石垣が形成されています。東二番丁通はこの勾当台公園前までで、ここから北仙台までは「勾当台通」と名前が変わります。勾当台公園とこの勾当台通を挟んだ西側の市役所前の広場は「市民広場」と呼ばれておりまして、各種イベントの開催場所としてしばしば使用されています。公園内は仙台城下町の様子を模した地図が設けられていまして、定禅寺通の緑と連接した豊かな木々や花壇の花々が美しい公園もまた、仙台市民の憩いの場となっています。


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