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シリーズ・クローズアップ仙台
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#31 広瀬通を歩く 〜仙台市街地の東西交通軸〜 仙台の市街地では、戦後の都市計画によりさまざまな高規格の道路がつくられました。前項の定禅寺通をはじめ、東二番丁通や晩翠通(拡幅前は「細横丁(ほそよこちょう)」という道路でした)、東五番丁(現在の愛宕上杉通)などが既存の道路を拡幅する方法で近代的な道路となりました。その一方で、今回ご紹介する広瀬通や、南の青葉通はこれらの道路とは異なり、原則として道路の無かった場所に新設される形で割り出されました。広瀬通は北のイチョウ並木となっていることから市街地にあってはやや地味な印象を与えられがちな気がします。しかしながら、仙台市街地においては東西の重要な交通軸となっておりまして、欠くことのできない街路となっています。定禅寺・青葉の両通りが景観面において仙台を象徴しているとすれば、この広瀬通は機能面において仙台の町をリードしています。 広瀬通の西の基点は立町交差点となります。これより西は広瀬川方面となり、仲の瀬橋へと至ります。仲の瀬橋は二階建ての構造となっており、上層は川内への市道、下層は「仙台西道路」として青葉山をトンネルで貫く道路となります。仙台西道路は無料で通行できる自動車専用道路でして、愛子の項でもご紹介しましたとおり、東北自動車道仙台宮城インターチェンジと接続しています。この道路が完成する前は仙台市街地からこのインターチェンジまで到達する幹線道路は、広瀬川の狭い峡谷部を通過する国道48号線しかありませんでした。そのため国道48号線は当該区間でしばしば渋滞を起こしており、仙台西道路はそれを打開するためのバイパス道路として建設されたという経緯があります。仙台西道路は市街地側で出口が2つあり、立町交差点と春日町交差点西の二箇所から進入することができます。インターチェンジと市街地とをスムーズに接続する道路としてきわめて利便性が高いことから、現在では高速バス便をはじめ多くの旅客輸送の要として機能しています。仙台西道路は、広瀬通の交通軸としての機能性を格段に向上させました。
仙台西道路に入り長いトンネルを抜けますと、インターチェンジ付近の緑豊かな青葉山西側の景色とはがらっと代わって、大都市仙台の高層建築物に埋め尽くされた都市の只中にいざなわれます。この景観のギャップに驚かされる訪問者も少なくないのではないでしょうか。仙台ゆかりの詩人・土井晩翠(つちい ばんすい)が学んだという市立立町小学校は立町交差点に面して立地します。広瀬通に面したフェンスには、「土井晩翠先生の母校」と記された案内板が設置されており、同校の校歌が晩翠の手になることが記されていました。立町交差点から東の信号で西道路からのもう1つの入り口が接続し、晩翠の名前が通りの名前となっている「晩翠通」を越えますと、道路は市街地の核心へと突き進んでいきます。通りの南、大町二丁目には仙台市戦災復興記念館があります。ここは第二次世界大戦による仙台市街地の戦災に関する展示を戦前・戦中・戦後の復興期・そして現代にわたる時系列の中で行っています。また、晩翠通との交差点の北東には東北交済病院も立地していまして、いずれも「東北公済病院・戦災復興記念館入口」というバス停名となっています。 晩翠通以東は、仙台における中心的な歓楽街・繁華街の只中へと入ってまいりまして、一気に人通りも町の華やぎも増してまいります。広瀬通一番町の交差点は、現代仙台における中心市街地の中心的なポイントの1つといえるでしょう。仙台駅方面へ続く中央通のアーケード街へと連接するぶらんどーむ一番町の商店街と、定禅寺通から続く一番町買物公園との接点に位置し、国分町の歓楽街も近いことから、人通りの絶えないエリアです。かつて交差点北側には水時計が設置されていまして、広瀬通一番町のシンボルであるとともに、仙台市街地における待ち合わせスポットとしての役割も果たしていたことは以前お話したとおりです。
東二番丁を越えますと、繁華街としての性格は薄れるものの、ホテルやオフィスビル等の建築物によって充填されたこざっぱりとした市街地へと移り変わってまいりまして、仙台駅近傍における業務地区としての性格がより強まってまいります。東北自動車道を経て仙台の市街地に入ってきた高速バスの多くが起終点として利用している高速バス乗り場もこのエリアの広瀬通沿いに立地しています。駅前通に至りますと、北側にアジュール仙台、東側に東北最大の超高層ビル「アエル」が立地します。付近には花京院スクエアや東北電力エナジースクエアなどの超高層ビルが近年いっせいに完成していまして、仙台市街地におけるホットな業務核エリアを形成しつつあるようです。愛称として広瀬通の名が付されている通りは、駅前通に至って終点となります。道路はこれより東はその形状から「エックス橋」と呼ばれる宮城野橋によって鉄路を越えて、仙台駅東側へとつながっていきます。そこは以前ご紹介した二十人町・鉄砲町エリアでして、土地区画整理がここ数年急ピッチで進められているエリアです。土地区画整理が完工しますと、このルートは片側二車線の街路となって、銀杏町の交差点から箱堤交差点で国道4号バイパスに接続し、産業道路と呼ばれる鶴巻交差点まで至る東西方向の一大幹線道路が出現することとなります。その時には広瀬通は東西交通の主軸としてさらなる機能性を保持することとなるのでしょうか。 「広瀬通」という通りの愛称は、青葉通などとともに1947年に地元紙の河北新報が企画した公募により選定されたものであるといいます。定禅寺通や青葉通が通りの名前とともに緑豊かな雰囲気と都市空間とが融合したイメージとして喚起されるのとは対照的に、広瀬通は「通り」としての一体的なイメージを持たれにくい街路であるように思います。このことは、広瀬通が自動車交通の軸として主に機能していることと関係があるといえるのかもしれませんね。 |
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