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シリーズ・クローズアップ仙台

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#32 宮町界隈 〜東照宮門前の町並み〜


 JR仙台駅の北、東北本線や新幹線と国道45号線とが交差する付近から北へ、東六番丁小学校の西あたりからほぼ一直線に伸びる道路があります。この通りは、市街地北東に鎮座する東照宮に向かって画されたことから「宮町」と呼ばれます。現在では宮町の通りに沿って宮町一丁目から五丁目までの住居表示も設定されています。宮町は仙台城下町が造営された当初からの町場ではなく、正保・寛文年間(1644年〜1673年)に城下町の第二次拡張が市街地北東方向に行われた際、1654(承応3)年に東照宮が造営されたことに伴い新たに割り出されました。文字通り、東照宮やその別当寺である仙岳院への門前町としての役割を持つエリアでした。東照宮へと一直線につながる宮町は、南方向へもほぼ直線的な街路と連結し、現在大部分がJR仙台駅の構内となっている東六番丁と愛宕上杉通の南端となっている清水小路を経て、広瀬川南岸の大年寺山(当時は松島・瑞巌寺と並ぶ名刹であった大年寺も鎮座していた)と相対する位置関係にあり、門前町としての豊かな情緒を仙台城下町に与えていたといいます。宮町は東照宮の門前町であったことからまた「権現町」とも、また東照宮に敬意を表して「御宮町」とも呼ばれました。

 仙台駅西口のペデストリアンデッキを北へ、東北最大級の高層ビルの1つ・アエル方向へ歩いていきますと、アエルの南にペデストリアンデッキに面して新たな高層ビルが建設中でした。ここには地上19階建ての再開発ビルが建設される予定で、うち低層部分はファッションビル「仙台パルコ(仮称)」が2008年春に進出する見込みのようです。そのパルコ進出予定地から北へ、アジュール仙台、アエル、花京院スクエア、少し西に東北電力エナジースクエアが燦然と屹立していまして、このエリアは現在の仙台市街地における高層ビル建築ラッシュをリードする地域の1つとなっています。「茂市が坂」と呼ばれ、緩やかなスロープを描く市電通りの両側に中高層の雑居ビルが林立してきたこのエリアも、超高層ビルの相次ぐ建築により急激な変化を見せ始めているようにも感じられます。広瀬通が仙台駅東口地区で進行している土地区画整理事業の進捗により東口方面へ延伸される頃には、このエリアはさらなる変化を見せることになるのでしょうか。駅前通の方も新しく完成する建物が歩道より後退していることから、拡幅される予定があるようですね。定禅寺通と駅前通が交差する交差点まで来ますと、これより北及び東は道路が細くなりまして、上杉地域の住宅街エリアへと遷移していきます。

花京院スクエア、エナジースクエアが見える

光禅寺通・南方向
(青葉区錦町一/二丁目、2006.8.5撮影)
上杉地域の景観

北一番丁通、西方向、ドコモビル遠望
(青葉区錦町二丁目/上杉四丁目、2006.8.5撮影)
宮町

宮町通の景観(南方向)
(青葉区宮町三丁目、2006.8.5撮影)
宮町、北六付近

宮町通、北六番丁交差点付近、北方向
(青葉区宮町五丁目、2006.8.5撮影)

 宮町通やこれと西側に並行する光禅寺通(駅前通を北へ、定禅寺通との交差点から続く道路)は直線的な道路であるため、仙台駅方面への抜け道としての需要が強いようで、特にバス通りとなっている宮町通は現在ではたいへん自動車の交通量の多い巷となっています。光禅寺通を北に進み、通る自動車の多さとは裏腹に慎ましやかな十字架の尖塔が瀟洒な仙台青葉荘教会の前を過ぎ、北一番丁を東へ、閑静な住宅街の中を進みます。緑の木立が涼やかな影を落とす上杉公園は、そんな住宅街のちょっとした憩いの場であるようです。なだらかな家並みの向こうには、NTTドコモ東北ビルや花京院スクエア、アエルなどの超高層ビル群も垣間見えます。公園内に「東北中学校開校の地」と刻まれた石碑がありました。その碑文は1900(明治33)年に現在の私立東北高等学校の前身である東北中学校が設立された地であることを伝えていました。

 宮町通は近年西側方向に道路の拡幅が行われ、歩道のあるゆったりとした街路へと生まれ変わりました。東側には門前町の佇まいを感じさせる懐かしい雰囲気の町並みが残る一方で、西側はアパートやコンクリート造りの建物が幅を利かせるようになっており、モータリゼーション全盛となった時代の流れを感じさせます。商店街も全体として現代的な都市近郊の町並みとしての要素がより強くなってきているようにも感じられます。そんな中でも、宮町二丁目には仙台市内に唯一現存する武家屋敷である安藤家住宅や、昭和のはじめに建築された旧宮町郵便局の建物など、かつての宮町の下町的な情緒を感じさせる事物もまた多く残されています。

 やはり拡幅された北四番丁との交差点付近に至りますと、再び現代的な町並みの中にいざなわれます。遊戯施設の巨大な建物や中高層のマンション群などが景観の多くを占めるようになってまいります。古くからこのエリアにおける東西の交通路で、鶴ヶ谷や東仙台方面へのバス便が多く通過する北六番丁の交差点付近は、その利便性の高さからかより多くのマンションによって充填されているエリアとなっているように感じられます。東照宮の門前町である宮町にあって、東照宮に近い部分ほどかつての町の佇まいが薄れて現代的な住宅・マンション街となっているのに対し、離れた宮町二丁目付近において古くからの建物が多く残されている現状は、東北地方の一大中核都市たる仙台市のいまを如実に表しているようにも感じられました。

石鳥居

東照宮・石鳥居
(青葉区東照宮一丁目、2006.8.5撮影)
参道

東照宮参道の石段と石灯篭
(青葉区東照宮一丁目、2006.8.5撮影)

随身門

東照宮・随身門
(青葉区東照宮一丁目、2006.8.5撮影)
宮町遠景

東照宮より宮町通を見下ろす
(青葉区東照宮一丁目、2006.8.5撮影)

 梅田川の流れを渡り、JR仙山線の線路を越えますと、東照宮はいよいよ目の前となります。仙台藩二代藩主伊達忠宗が三代将軍徳川家光の許しを得て創建した東照宮は、葛西大崎一揆の征定後に家康が藩祖政宗と宿陣をした地に鎮座しています。仙台市街地に展開する河岸段丘面の1つである台原段丘の縁に続く樹林帯はそのまま東照宮の杜となって連続し、穏やかなグリーンベルトを形成しています。東照宮へと続く緩やかな石段の手前には、先にご紹介した東照宮の別当寺である仙岳寺が佇みます。藩政時には藩内で最高の寺格を持ち、平泉の中尊寺をも管理していたという由緒があるのだそうです。樹齢300年を越え仙台市の保存樹木である笠松をはじめとした豊かな木々に抱かれる門前は、緑あふれる東照宮への動線にいっそうの落ち着きを与えているかのようです。道路は小松島方面へ緩やかなカーブを描いて去り、宮町通は東照宮参道へと進んでいきます。入口に立つ石鳥居は創建当時からのもの。参道は石段に変わり、杉木立の下両側に続く石灯篭の列は深閑な雰囲気を醸しながらも、藩を挙げての一大事業として造営されたという往時の活気をも語りかけているようにも感じられます。銅板葺入母屋造の随身門も創建当時より伝わっているものです。

 東照宮より参道を見下ろしますと、杉木立の中、石灯篭の並ぶ参道の向こう、石鳥居を介して一直線に南へ伸びる宮町通の姿がありました。かつて9月17日の東照宮例大祭は「仙台祭」と呼ばれ、参勤交代で1年おきに不在となった藩主が在仙時に盛大に開催されていたといいます。明治以降も市電敷設の頃まで続いたという仙台祭は多くの人出で賑わう、仙台における一大イベントでありました。門前町として開かれ、活気ある祭礼、伸びやかな町場景観とともに生きた宮町は一見して現代都市の装いに包まれているようにも見えます。しかしながら、東照宮門前から眺める宮町の道筋はどこまでもまっすぐで、この町が今にあってもなお門前町としての礎の上に生きていることを何よりもはっきりと示しているように感じられました。


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