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シリーズ・クローズアップ仙台

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#38 星陵町周辺 〜大学病院周辺の町並み〜


 八幡町から東へ、国道48号線を進みます。巨大な超高層マンション「ライオンズタワー仙台広瀬」が屹立する西を斜めに縦断する土橋通を越えますと、住居表示は柏木二丁目と広瀬町となります。国道48号線がこの土橋通との交差点から西で少し西南西側に曲がり、国道よりは一本南の通りの西の延長上までずれながら続いています。これはこの曲がっている区間にはもともと道は無く、広瀬川へと続く深い谷間(「へくり沢」とか「巴谷」などと呼ばれました)があって道路が行き止まりであったことを反映したものです(このことは、八幡町を歩く 〜伝統と現代とが息づく門前町〜でも触れています)。

 土橋通より東の国道は旧通名で言いますと「北四番丁(きたよばんちょう)」、八幡町へダイレクトにつながり、八幡町への主要なルートであった南の通は「北三番丁」となります。この「北何番丁」と呼ばれる道路は、仙台城下町が拡張される中で順番に割り出されてきた通でありまして、現在の仙台市役所の北を通る道が「北一番丁」で、以降北へと順番に建設されていったものです。「北何番丁」という地名の語感は、八幡町を東してきた通行者に、「このあたりからは仙台城下町の一角として割り出された場所だ」、ということを感じさせ、都心へといよいよ近づきつつあることを実感させたのでしょうか。 

大学病院前

大学病院前・北四番丁(国道48号)・西方向
(青葉区星陵町、2006.8.6撮影)
大学病院

大学病院
(青葉区支倉町、2006.8.6撮影)
西公園通

大学病院前、西公園通、南方向
(青葉区星陵町、2006.8.6撮影)


大学病院・旧正門
(青葉区星陵町、2006.8.6撮影)

 このあたりは超高層マンションができるまでは仙台厚生病院の敷地の周りは穏やかな住宅地域であるように感じていました。しかしながら、厚生病院が新築されたり、マンションの建設によって国道沿線の景観が大きく近代化されまして、見るアングルによっては中高層の建築物群によって道路の両側が埋め尽くされているようにも見えるくらい、大きく景観が変わりました。その反面、一歩路地を入り、国道を北や南へそれますと、けっこう昔懐かしい雰囲気の、閑静な住宅街は健在です。私は学生時代大学へ通うためにしばしばこの界隈の北三番丁を自転車で通り抜けていたものでした。国道沿いのきらびやかな都市的な容貌とは一味違った、穏やかな住宅街となっている広瀬町周辺地域は広瀬川の流れも間近で、たいへん好感していました。国道から北に位置する土橋通界隈などともからめながら、次の機会でフィールドワークを行いまして、そういったエリアについても紹介したいな、とも考えています。

 さて、国道48号線、といいますか、北四番丁へと話を戻します。北四番丁のほうが私にとってはしっくりきますので、以降はこの言い方で進めてまいります。「北四番丁」は地下鉄の駅名やこの地下鉄付近にあるバス停名「二日町北四番丁」などによって、私と同様馴染んでいる方も多いと思います。厚生病院前を過ぎますと、道路北側一帯にはヒマラヤシーダーの木立が現れてまいりまして、東北大学医学部付属病院、通称「大学病院」の敷地前へと差し掛かってきます。木立は樹高も高くて、高層建築物が立ち並び、自動車の波の絶えない街路の喧騒から病院を守ってくれているかのようです。付近には医書専門店や調剤薬局、花屋や青果店などが立地し、医学町としての雰囲気を感じさせます。一帯には大学病院のほか、同大医学部、歯学部、同学部付属病院、同大学医療技術短期大学などの一連の施設がまとまっていまして、「星陵キャンパス」とも呼ばれている街区です。このキャンパスを中心とした街区も「星陵町(せいりょうまち)」という町名が設定されています。この「星陵」という町名は住居表示の際はじめて命名された地名です。東北大学医学部の同窓会である「艮陵会(こんりょうかい)」と、大学病院勤務の看護婦と東北帝国大学医学部附属看護婦養成所の生徒の合宿所として始まった寄宿舎である「星寮(せいりょう)」の名前から「星」と「陵」の文字を合わせて名づけられたものであるとのことです。

木町通

木町通、北方向(道路拡幅が進行中)
(青葉区星陵町、2006.8.6撮影)
大幹線もここで丁字路となる

木町通/北四番丁(国道48号)交差点を眺める
(青葉区星陵町、2006.8.6撮影)
交通局

仙台市交通局・バスヤード
(青葉区支倉町、2006.8.6撮影)
交通局前

交通局前、西公園通
(青葉区支倉町、2003.9.13撮影)

 大学病院の施設も年々更新が進みまして、現在ではヒマラヤシーダーの森の向こうに燦然と屹立する堂々たる威容を見せています。仙台市民をはじめ多くの人々のよりどころとして、また現代医学研究をリードする学府の1つとして、ますますの発展を期待したいところです。そんな医学部のルーツとなるような、モダンな門柱が病院前に建てられています。煉瓦とコンクリートとを交互に組み合わせた美しいデザインのこの門は、かつての病院の正門であったものを復元したものです。傍らには、旧正門についての由緒が書かれた碑がありました。碑文を以下に示します。

 東北大学医学部付属病院の前身である県立宮城病院が明治四十四年三月に竣工し煉瓦作りの門柱四基の
並ぶ所が正面入り口であった
 八十年にもならんとする星霜に耐え乍らも老朽化が避けられない貴重な歴史的建造物としてここに創建当時の
ままに復元された
 この塩焼き煉瓦は建設当時の現物である

                                            平成二年三月 東北大学艮陵同窓会


 実は、この旧正門は現在は大学病院の南、ヒマラヤシーダーの木立の中に設置されているものの、当初は大学病院の東南角、北四番丁と木町通(大学病院の東に接する南北の通)との交差点に近い場所に復元されていました。ですので、碑文中にある「門柱四基の並ぶ所」は現在の位置ではなく、病院敷地の東南角であったのかもしれません。旧正門が移転を余儀なくされたのは、この木町通が北から徐々に拡幅されていまして、将来的には片側二車線の堂々たる大路となるためです。しかも、この道路は都市計画道路「北四番丁大衡線」の一部をなすものでして、仙台市北部、泉パークタウンから長命ヶ丘、桜ヶ丘、北山を経てこの北四番丁へと至る大幹線道路となる見込みです。北山から桜ヶ丘にかけての未開通部分についても、現在トンネル工事が進捗中です。都市計画道路が全通した暁には、仙台市中心部と泉区の住宅地域とを有機的に結びつける大幹線として、さらなる交通流の変化をもたらすことは必至と思われます。医療施設周辺地域としての適切な環境を維持しながら、交通需要を的確に誘導するための計画的な交通流動のコントロールを大いに期待せずにはいられません。なお、大学病院の正面から南へ伸びる道路は「西公園通」となります。仙台市営バスの一大拠点である交通局も間近に立地し、通はかつての市電通りでした。北四番丁もやはり市電通りでしたので、二日町北四番丁方面、八幡町方面から来る路面電車がここで合流し、南へ向かっていった往時は、まさに“市電銀座”のごとき賑わいだったのでしょうか。交通局前のバス停留所としての名称は「交通局大学病院」。市の東部や南部を発着する多くのバス路線の基点として、たくさんの市民に親しまれています。


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