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シリーズ・クローズアップ仙台
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#37 続・八幡町を歩く 〜変容する門前町の景観〜 八幡地区の西側、広瀬川が峡谷部となる入口の付近に「山上清水(さんじょうしみず)」という地名があります。現在では住居表示が施されて八幡五丁目から同六丁目のエリアとなっていて、山上清水は自治会の名前などとなっているようです。広瀬川はこのあたりでは大きく蛇行しながら青葉山北側の丘陵地域を横断する形で深い谷間をつくっていまして、緑深い豊かな景観を形成しています。広瀬川の流れに沿うように付けられた国道も曲がりくねりながら、背後の急斜面に寄り添います。このあたりは地質的に地すべりが起こりやすい地域で、継続的な地すべり防止対策が行われているようです。山上清水とは、この地域で湧き出した湧水の名前です。本櫓丁(現在の国分町二丁目から立町にかけて存在した旧町名)の柳清水、米ヶ袋鹿の子清水とともに「仙台三清水」と言われていました。現在では柳清水は残存せず、鹿の子清水も通の名前に残るのみで、山上清水がわずかにその風情を今に伝えています(ただし飲用には向かないとの但し書きがされているようです)。 豊富な湧水は、藩政期には仙台城下町を縦横に潤したという「四ツ谷用水」の取水源ともなっていました。弘法大師が錫杖を突き立てたところ、その場所から涸れることのない清水が湧き出し、それが山上清水であるとする伝説があるのだそうです。そのため、清水背後の山の名前も「弘法山」となっているとのこと。元来湧水の多い土地柄であったようで、付近のとある住宅地の中には湧き水がたっぷりとわいている場所がありまして、地域の人々に利用されているようでした。
広瀬川は山上清水あたりから急に河原が広がるようになり、東に展開する仙台市街地方面への司会も大きく開けてきます。丘陵の山の緑と峡谷ながらもどこかゆったりと流れているような雰囲気の広瀬川とがつくりだす伸びやかな景観は、高層ビルの立ち並ぶ仙台市街地のふもとを覆うようにやさしいヴェールのようでもあり、杜の都と称されるまちを美しく守り立てているようにも感じられます。そのような地形的な条件から、このあたりは自然と仙台の西の入口として茶屋町が発達してきたエリアとなっていまして、山形方面から関山峠を越えて仙台に入る多くの人々が疲れを癒す場所であったようです。茶屋町の風情と豊かに湧き出す清水の清涼感、山と川とが演出する爽快な自然の恵みは、この地域を四季折々に彩ってきたことでしょう。牛越橋一帯の河原は、秋になると芋煮会を楽しむ多くの人々が繰り出します。 2006年8月6日、私は作並方面へ向かう市バスを利用して山上清水付近で下車、関山街道(国道48号線)を東へ、市街地方面へ戻りながら、八幡町の町並みを歩いていました。八幡町については、以前にも「八幡町を歩く 〜伝統と現代とが息づく門前町〜」及び「「どんと祭」を訪ねて 〜仙台地方に息づく伝統行事を見つめる〜」にてご紹介してまいりました。八幡町は伊達家の信奉も厚く、民間からも多くの信仰を集める大崎八幡宮の門前町として藩政期以降発展してきた町場です。現在では「八幡」として住居表示が実施され「八幡」と呼ばれることが多いこのエリアは、伝統的な町名が「八幡町」であることから、通称的に「八幡町」とも呼ばれます。ことも八幡五丁目交差点付近の道路が少し広めにとられているのは、かつて八幡町にも通じていた市電の起点があったためだと思われます。その起点が八幡町の中心たる大崎八幡宮のまさに門前に置かれていたのは必然であったのでしょう。八幡町はいま、門前町として成長してきたゆたかな歴史性に育まれながらも、都心近郊にありながら穏やかな自然環境にも恵まれた優良な住宅地域としても成長を続けています。今回の八幡町再訪の目的は、天賞酒造が仙台市の南、川崎町に移転した(2005年3月)ことにより、八幡町がどのように変化したかを確認することでした。上掲ページでもご紹介していますとおり、天賞酒造の蔵と黒い板塀とが作り出す景観は八幡町の昔懐かしい雰囲気を象徴しているものでした。それらがなくなった現在、都市近隣の住宅地域としての変化が著しい八幡町の姿は・・・。
天賞酒造は大崎八幡宮の御神酒酒屋として、三代目勘兵衛が1804(文化元)に八幡町で創業しました(同社ホームページより)。以来、大崎八幡宮の門前町たる八幡町とともに歩み、周辺が都市化の波に現れながらもその穏やかな景観によって八幡町の歴史と伝統とを地域に伝えてきました。北山杉の街路樹が個性的な八幡町の町並みは、大崎八幡宮などについての知識などがなく普通に通過してしまえば、中高層のマンションも多い、都心近郊の住商混在地域としてごくありふれた景色として目に映るのではないかと感じられます。最近八幡を歩いたのは、2004年1月のどんと祭の際及び同年8月の七夕祭のときでした。今目の前に見ている町並みは、その時の記憶と比較してもまったく別の風景になってしまっているのではないかと錯覚してしまいました(もちろんこれは個人的な印象であり、実際どのような変化があったのかなかったのかについてはより慎重な評価・検討が必要です)。このような穏やかな住宅地域の中を進んでいきますと、その商業施設は突然に眼前に現れました。 天賞酒造の跡地は、生協のスーパーマーケットを核店舗とした複合商業施設「レキシントンプラザ八幡」へと大きく様変わりしていました。地図で位置を確認し、その場所が天賞酒造の跡地であることを頭で理解するまでに時間を要しました。しかしどのように考えてもその場所はかつての造り酒屋の本社があった場所以外には比定できません。あの美しい板塀が並んでいた場所は、その以前の姿がまったく想像が及ばないほど、大きく変貌を遂げていました。店舗の西側の歩道よりの一隅に、天賞酒造の板塀を模したモニュメントが作りつけられていたことだけが、この場所の来歴を静かに物語っています。板塀を駐車場と歩道との間にもう少し延長する等の工夫ができないものかとも思われたものの、それはこの現代的な利便性優先の商業施設の周囲にあっては趣きも何もあったものではないのかもしれないと思い直しました。道路を介して反対側には、明治期創業の最上醤油・仙台味噌の老舗「庄子醤油店」の瓦葺の店舗が佇んでいます。1936(昭和11)年に建造されたという町屋は、国の登録文化財にも指定されていまして、八幡の歴史を語る数少ない事物の1つとなっています。町並みは市街地に近づくにつれて密度を増し、その正面には、ライオンズタワー仙台広瀬の超高層マンションが巨大なランドマークとしての威容を示していました。都市は時として生き物のごとく、劇的にその姿を変えることがあり、その営みこそ都市の本質でもあります。魅力あるエリアとしての八幡が新たに紡がれ、のびやかに歴史を刻んでいくことを期待したいと思います。 |
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