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シリーズ・クローズアップ仙台
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#36 北仙台エリアを見つめる 〜高密度化が進む交通結節点〜 台原入口バス停から県道仙台泉線の広い道路を南方向へ歩みますと、前方にはそそり立つように林立する中高層のマンション群が威勢を見せています。上杉山通りが分岐する昭和町交差点までに通過する梅田川の流れや仙山線のガードもあまり目立たないほどです。かつて梅田川を渡る部分の北側あった小さなガソリンスタンドの敷地や電機メーカーの営業所が入った低層のビルがあった敷地は近年大幅にクリアランスされて、1階をテナントに貸し出したマンションへと変貌していました。隣にはコンビニエンスストアも開店していまして、景観が一変しています。向かいにある長崎屋台原店にはかの「ドンキホーテ」が進出しているのにも驚かされました。台原段丘面の崖上に連なる森を突き破るように県道は進んでいきます。右側には8年前に完成した仙台市青葉体育館・武道館の建物があります。北仙台駅北側はかつて大規模な工場の敷地を中心とした住工混在地区でした。私が大学生時代を過ごしたのはまさにここでして、大きな工場の敷地が線路の土手の手前に広がっていた光景をよく覚えております。その残像は工場地区としての北仙台の最晩年の姿でした。 この工場は仙台市より北方の大衡村に新工場を建設して移転させ、1995(平成7)年からは「北仙台駅第一地区市街地再開発事業」と称した大規模な再開発事業が実行に移されます。その結果、かつての工場敷地は高層マンション3棟、オフィスビル、地下駐輪場、青葉体育館・武道館、都市計画道路(上杉山通東仙台線)、梅田川親水広場とが建設・竣工した近代的な都市的な土地利用構成へと変貌し、地下鉄駅と連接したバス・タクシープールが地区西側に新たに出現しました。再開発地区は愛称として、「北仙台シティプレイス」と呼ばれているようです。後に青葉体育館側にも地下鉄入口が新設されて利便性が高まった一方、期待されたJR北仙台駅へのアクセスは整えられませんでした。現在でもJR駅は北側からは直接は利用することができません。目と鼻の先の北仙台駅へ行くために、地下鉄の連絡通路を経由したり、昭和町交差点から北仙台駅入口交差点と通過して行ったりするなど、大幅な迂回を余儀なくされます。
仙山線の下をくぐりますと、上杉山通(通称としては「愛宕上杉通」)が分岐する昭和町交差点となります。交差点に架かる歩道橋上からの眺めはどの方向も壮観で、このエリアの地域性をよく表しています。北の方向−これまで歩いてきた方向−は、仙山線を介してゆるやかに段丘崖を上がっていく県道の周辺に、段丘崖の豊かな緑が都市的な景観の中にも穏やかに存在しています。前述のとおり、近年はこのエリアにもマンションが立ち上がるようになり、都市的な要素が拡大しつつあるようです。東は上杉山中学校周辺の住宅地域で、閑静な住宅地域としての上杉のテイストが残されているエリアで、南へは上杉山通のイチョウ並木が鮮やかなラインが続き、仙台の新たなランドマークとなったNTTドコモ東北ビルへと連なります。西は道の両側に中高層のマンションがひしめくエリアとなっていまして、その彼方のわずかな空間に北山方面の緑の山並みが遠望される景観。昭和町交差点は方向ごとに多様な姿を見ることができるなかなかのビューポイントです。 交差点からマンション街となった県道を西し、これらのマンション群に埋もれるような仙台北警察署前を通過、北仙台駅入口交差点より北へ折れて、JR北仙台駅へと進みます。交差点付近には昔ながらの商店も比較的多く残されていまして、古きよき北仙台駅界隈の雰囲気を感じさせています。そんな雰囲気の代表格が「仙台浅草」と呼ばれる商店街です。「新・仙台の魅力発見 12の散策コース」サイト内の「楽し懐かし横丁・小路」ページにある紹介文を引用します。 マンションが立ち並ぶ北仙台駅界わいにあります。戦後、材木商が廃業し、跡地に日用品の市場を開き、東京の浅草にあやかりたいと名前を付けました。ところが、浅草観音を祭る敷地も確保してにぎわいを見せた横丁は次第に衰退、老朽化が目立つようになりました。活気を取り戻したいと篤志家の尽力で、念願の観音様を建立。菓子、鮮魚、青果、毛糸屋など昔からの店舗に新しい飲食店が加わり、たたずまいが一変しています。 仙台浅草は決して開放的な雰囲気ではなく、本当に昔ながらの味わいを今に残した、小ぢんまりとした商店街です。周辺に高層マンションが雨後のたけのこのように続々と建設されてからはその小ささがいっそう際立って、その小ささならではの「あたたかみ」がむしろレトロ調で馴染みやすい印象になっているようにも感じられます。それくらい、ここ数年来の北仙台駅前の変貌振りには目を見張るものがあります。この仙台浅草の向かいには宮城交通の本社と車庫があり、カレーライスやうどんなどを出すターミナルならではの食堂もあったりして、仙台浅草のひなびた容貌ともあいまって、落ち着いた近隣商業・交通結節地としての空気が濃厚でした。しかし、現在この北仙台ターミナルがあった場所には、超高層マンション「ライオンズタワー仙台青葉」が屹立しています。かつて仙台鉄道の始発駅としての北仙台駅の発祥の地であり、鉄道廃止後も宮城交通の拠点として多くのバスが発着してきた歴史あるターミナルは、都市化の流れの中であっさりと姿を消しています。JRと地下鉄の駅が近接し、仙台市北部の住宅団地から出発した多くのバス路線が収束する北仙台は現在でも主要な交通結節点として機能しています。しかしながらその態様は急速に様変わりしているようです。あるいは現在の流れは北仙台駅に1969(昭和44)年までは通っていた、仙台市電の廃止とともに既に運命づけられていたのかもしれないな、とも感じます。
両側に高層マンションがそそり立つ中前方(北方)に見る北仙台駅は、三角屋根のファサードが印象的な、仙台浅草同様、小ぢんまりとした姿が愛らしい駅舎です。先にご紹介した「北仙台シティプレイス」の高層マンション群が背後にどんと覆いかぶさるように建てられまして、その「小ぢんまり感」はまた仙台浅草と同じように、いっそうはっきりと認識されます。北仙台駅の駅舎はこの駅が開業した1929(昭和4)年に建設され、以降さまざまな改装が施されながらも現在に至るまで使用され続けているもののようです。サイト・“写真集「北仙台駅」”に、1983(昭和58)年当時の北仙台駅舎の貴重な写真が掲載されています。周りにマンションも無い北仙台駅はまだたくさんあった大空の下で、落ち着いた近隣商業地区の中心に佇んでいます。市電が廃止されて14年後の北仙台も、まだこのような昔懐かしい雰囲気のままであったのかと思いますと、現在の姿と重ねて考えますといっそうの感慨があります。北仙台駅前は道路幅に不釣合いなほどに広大な空間です。この空間こそ、何よりここが仙台市電の軌道の起点があった場所であり、この中央に設けられた電停から、多くの路面電車が都心方面へ出発していました。 現在、「北仙台」と言いますと単に駅の名前というだけでなく、「北仙台」が公式な住所地名でないこともありその範囲は一定しないものの、北仙台駅周辺のエリアを指した地域名としても広く呼称されます。「北仙台」の名の初出は、1929年に開業した国鉄(現・JR)北仙台駅であるようです。仙台市街地の北部に位置していたことからの命名と推測されます。その後、1937(昭和12)年に当時の仙台市電が北仙台駅まで延伸され、その停留所名も当然に「北仙台」となり、この市電と交差するために当初の始発駅であった「通町駅」を廃止し新たに北仙台駅前に起点駅を設けた仙台鉄道の駅の名前もやはり「北仙台」となりました(その廃線跡を継承しているのが上述の「仙台浅草」であると思われます)。時代が下り、仙台鉄道と市電の「北仙台駅」が廃止となり、新たに地下鉄の「北仙台駅」が開業しました(1987[昭和62]年)。バス・市電を中心としたものからバス・地下鉄を中心としたものへと交通体系がシフトし、都心への良好なアクセス性から急速に都市化・高層化が進んだ地域は、「北仙台」として紡がれてきた時間軸の中で常に時代と隣り合いながら、進化を続けていくこととなるのでしょうか。 |
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