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シリーズ・クローズアップ仙台
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#45 荒巻地区の周辺 〜近隣住宅団地地域への入口〜 JR仙山線の北側、北仙台駅と北山駅の間あたりの一帯に、「荒巻神明町」「荒巻中央」「荒巻本沢」と荒巻を冠する住居表示がまとまっています。エリアには荒巻小学校や荒巻コミュニティセンター、荒巻セントラルプラザ、七十七銀行荒巻支店などがあり、この周辺を指す一般的な呼称として「荒巻」が用いられていることが理解されます。元来は仙台城下町が建設される前より城下町一帯に存在した村の名前が「荒巻」でした。城下町造営に伴いその範囲は徐々に狭められ、明治期になって「仙台市」が発足した頃には既に大半が仙台市の範域の中に入っていたようです。七北田村(現在の泉区東部にあたる地域)の一部となっていた荒巻村の残りの部分も、1931(昭和6)年に七北田村から分立する形で仙台市に編入されました。青葉山周辺や国見地区の西に存在する「大字荒巻」がその名残です。 仙台市街地を取り巻くようにあったであろう大字荒巻の大部分は宅地化に伴う住居表示によって消滅したものと思われます。今回お話しする「荒巻」を含んだ住居表示がまとまった地区は、住居表示後の住所名にも「荒巻」が残されました。この要因ははっきりとはしないものの、このことについて仙台市に後に編入された荒巻地区にあって中心的な位置にあったエリアであったことを指摘する文献もあるようです。他の多くの大字荒巻地域で軒並み「荒巻」の地名がなくなっていったこととは対照的ですね。この荒巻地区と青葉山周辺の「大字荒巻」が物理的にかなり離れている理由は、以上のようなことであったわけです。貝ヶ森団地から山手町を経て、JR北山駅周辺を一瞥しながら、荒巻地区へとフィールドワークは進んでいきます。梅田川に架かる橋を渡りますと、荒巻本沢地区です。北山駅へはこの梅田川流域の緩やかな谷を上るため坂道となっているものの、周辺では中高層のマンションが驚くほど多く建設されていました。近年都市近郊路線としての性格を強める仙山線により、都心へのアクセスが良好であることが大きく影響しているのでしょう。
北山駅への勾配の状況とは異なって、荒巻本沢地区周辺の梅田川河谷は比較的広大な低地となっており、高度経済成長期前には水田が広がるような場所であったようです。北仙台方面から荒巻を経て中山団地へ向かうルート上にあたるため、自動車の往来がたいへん多い地域となっている現在でも、郊外型の店舗は比較的少なく、個人住宅が多い印象で、長く農村地域であった特質を残しています。梅田川を挟んだ対岸、山手町に立ち並ぶマンション群とは本当に対照的です。荒巻本沢橋を渡って北山方面から下ってくる道が合流するあたりからは周囲の建物密度は一気に大きくなっていきます。道路に面して低層の個人商店や事業所が軒を連ね、背後には住宅地域や中高層のマンションが立地する景観は、ここがこの周辺地域にとって今でも重要な近隣商業地域であることを示しているように感じられます。北仙台方面から中山や桜ヶ丘方面へ抜ける交通路として機能するために、片側一車線を何とか確保した程度の道路は相変わらず通過車両が絶えません。しかしながら、買物などで狭い歩道を歩く人の流れも存外多く見受けられます。 荒巻本沢三丁目の変則十字路は、そんな近隣商業地域としての荒巻地区のノードとなっている地点です。北側には先述した「荒巻セントラルプラザ」があります。マンションである「ハイネス荒巻」にスーパーマーケットなどを各店舗とした20強のショップやスクールなどが入居した複合商業施設を併設した建物です。梅田川のつくる段丘崖にまたがるようにつくられており、そのために施設が接する東側の市道はけっこう急な坂道となっています。しかしながら、歩道にはこのエリアでは珍しく街路樹が植えられるなど、ゆったりと歩行者空間が確保されています。南は前に述べた北山からのルート、西は桜ヶ丘や川平方面、北は「共済団地」と呼ばれる水の森地区、そして東は北仙台方面と、地域交通の結節点に位置する交差点は、このような商業施設の立地点としては優れていると認められたのかもしれません。現に商業機能の郊外化が進む趨勢の中にあって、相対的に健闘しているほうであるように思われますし、周辺の商店街への波及効果も少なくないように思われました。
セントラルプラザの前を折り返し、荒巻神明町方面へと少し歩いてみます。学生時代堤町に居住していた私は何度かこの道路を通ったことがあります。最初の印象は、大きな市営バスが通過し、たくさんの自動車が通っていくわりには狭い道路である、というものでした。戦後丘陵地を中心に急激に人口が流出した仙台都市圏は、その人口の広がりに比して中心市街地から北部地域へ向かう幹線道路が多くないという問題を抱えています。これらの団地へ向かうバス路線の多くは仙台駅方面へ向かうためにこの狭い道路を通って北仙台へ出て、勾当台通へと進んでいくため、多くのバス路線がここに収斂する現状もあります。このあたりにも、宅地開発を優先し十分な交通路の確保を後回しにせざるを得なかった郊外化黎明期における現状が少なからず反映されているようにも感じられました。手元に時代ごとの仙台市の地形図を集めた図集があります。1946(昭和21)年頃の図では、荒巻地区一帯は梅田川河谷に沿った水田の卓越する地域であり、わずかに上述の「ノード」付近に小規模な集落が認められます。1964(昭和39)年頃の図を見ますと、水田卓越地域としての土地利用は一変し、市街地が拡大しつつある現状が読み取れまして、上記の推測を裏付けているようにも思われました。荒巻神明町の北端、銀行の西側に少し入ったところに、住居表示の由来となった神明社のお社が小ぢんまりと鎮座していました。この神社こそ、水田が広がっていたかつてのこの地域の姿を今に伝えている数少ない事物のひとつであるのかもしれません。そんな小さな神社への参道にも原付が置かれていまして、このエリアのいまを示唆していました。 再び本沢のセントラルプラザ下の交差点に戻り、北山方面へと向かいます。このルートは北山五山のひとつとして崇敬を集める輪王寺の西を抜けるルートです。近年は都市計画道路「北四番丁大衡線」の通過ルートとして大規模な工事が急ピッチで進められています。本ページでも何度かご紹介しているこの都市計画道路は、先にお話ししたやや不足気味な仙台市北部方面への幹線アクセス道路として位置づけられる道路でして、既に泉パークタウンから桜ヶ丘団地下までの部分は完成し、輪王寺南から北四番丁(国道48号線、大学病院の東)の区間についても近年大規模な拡幅工事が進みました。両者の間の区間となる桜ヶ丘生協から輪王寺下までの区間は、北山の緑地帯や既存市街地を含む地域を通過することから、橋梁部分やトンネル部分を含む構造となっており、そのための工事が進んでいます。セントラルプラザの西が道路敷となるようで、大掛かりな掘削作業や整地作業などが実施されていました。北山から北四番丁までの行程は、次項にてお話をしていこうと思います。 |
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