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シリーズ・クローズアップ仙台

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#59 青葉山から大年寺山へ 〜都心に近い癒しの森へ〜
 

 仙台は「杜の都」と呼ばれ、市街地のケヤキ並木や緑に囲まれた渓谷美を見せる広瀬川の流れも相まって、このまちを訪れる多くの人々に、うるおいと感動を与えています。定禅寺通の項でも書いておりますとおり、仙台が杜の都と呼ばれるようになった端緒は、大正のころ、城下町時代の名残である旧大名屋敷の屋敷林や市街地を取り巻く近郊の丘陵地の緑が印象的であったことに因ります。戦災と高度経済成長によりこれらの緑は少なくなり、市域の拡大とともに「杜の都」がシンボライズする緑の対象は都市景観の一つとしてのケヤキ並木や遠郊の山々、田園地帯におけるイグネなど多様化していきます。「杜の都」を表現する要素は時代によって変容し、今日でも仙台をより美しく包み込んでくれています。

 地下鉄駅工事の進む西公園を左手に西公園通を進み、立町交差点を西へ行くと、二層構造の仲の瀬橋へと至ります。上層は広瀬川右岸の川内地区へつながる市道が通り、下層は自動車専用道路である「仙台西道路」が貫通し、青葉山をくりぬくトンネルを経て東北自動車道仙台宮城インターチェンジへの最短経路を成しながら、国道48号バイパスとして山形方面へと連接します。緑豊かな仙台宮城インターチェンジを出て仙台西道路に入るとすぐにトンネルに入り、トンネルを出た先には近代的なビルが立ち並ぶ都会へといきなりいざなわれます。都市と丘陵地とが隣り合わせに結び付く仙台の地勢を端的に感じることのできる瞬間ではないかとも思われます。川内へと続く橋の上層の歩道を歩きますと、緑に包まれた広瀬川の穏やかな流れを間近に見ることができます。近代的な都市のシルエットの中を蛇行する広瀬川の流れは、都市と自然との共存を象徴する存在としてこれからもこのままの姿であって欲しいと切に思います。現在仲の瀬橋の南、大橋との間のちょうど中間では仙台市地下鉄東西線の橋梁の建設が進んでいます。

広瀬川

仲の瀬橋から広瀬川を望む(現在は地下鉄橋梁工事中)
(青葉区川内中ノ瀬町、2008.9.7撮影)
仙台二高付近

仙台二高西側の道路景観
(青葉区青葉山、2008.9.7撮影)
川内北キャンパス

川内北キャンパス・段丘崖につけられた階段
(青葉区川内、2008.9.7撮影)
山屋敷

青葉山へ向かう道路から山屋敷・東北大を望む
(青葉区川内山屋敷、2008.9.7撮影)
青葉山

青葉山・青葉橋から望む
(青葉区荒巻、2008.9.7撮影)
青葉山

東北大学青葉山キャンパス(工学系)、青葉山駅(仮称)予定地
(青葉区荒巻、2008.9.7撮影)

 仲の瀬橋を渡り切りますと、メタセコイアやソメイヨシノ、プラタナス、ケヤキなどの並木が美しい交差点へ到着します。仙台二高や宮城県美術館が立地する一帯は、頭上を覆うような緑が目に鮮やかです。交差点を西へ、広瀬川のつくる河岸段丘の崖を反映した坂道を上ります。坂上の土地利用は、左手は東北大学のキャンパスで、右手は川内住宅(公務員住宅や東北大職員宿舎)となります。私が学生時代、このルートは青葉山のキャンパスへ続き、八木山方面へも抜けられる、東北大学のキャンパスを挟んだ南の通り(東北大川内キャンパス・萩ホール前バス停(旧・扇坂バス停)のある道路)から見ると裏通りのような位置づけのような雰囲気でどちらかというと地味な印象の界隈でした。現在はキャンパス付近には皆無だったコンビニエンスストアが立地し、また東北大学の敷地内にも新たに数棟の新しい建物が建設されていて、イメージが一変しています。将来的には地下鉄東西線の川内駅(仮称)がこのエリアに設置されることから、さらなる景観的な変化が生まれてきそうです。

 キャンパス内の講義棟の間を抜け(この間も段丘崖を反映した階段を二度上ります)、都市計画道路「川内旗立線」からの分岐する予定となる市道の用地確保のため一部建物が撤去されたキャンパス西側の細道を進み、青葉山キャンパスへと続くバス通りへと出ます。細道の右手は川内山屋敷の住宅地で、住宅地の間を東北大学の理学部や薬学部へと通じる山道が続いています。ヘアピンカーブのやや急な市道を上り、工学部方面への丁字路を抜けますと、青葉橋と呼ばれる橋を通過します。橋の北側からは仙台市街地への視界が開けています。現在、青葉山のこのあたりには東北大学の理学部・薬学部と、工学部のキャンパスが展開しています。工学部エリアの西端には、地下鉄東西線の青葉山駅(仮称)が設置される予定となっています。さらに、青葉山キャンパスの南に位置する県有地(旧ゴルフ場用地)への農学部(同大雨宮キャンパス)と片平キャンパスの一部の移転が決定し、地下鉄の開業と併せて青葉山をめぐる環境も大きく変貌しようとしています。秋の七草のひとつである葛の花が咲く青葉山のキャンパスを一瞥しながら、学生時代より様変わりしつつある諸施設を確認後、バスで一度仙台駅に戻り、仙台における都市近郊の身近な丘陵の一つである大年寺山にある野草園へと向かいました。

野草園

野草園の景観
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)
野草園

野草園・もみの木の林
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)
野草園

野草園・萩のトンネル
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)
野草園

野草園・芝生広場
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)
野草園

野草園・色づき始めたカエデ
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)
野草園

野草園・ミヤギノハギの見える風景
(太白区茂ヶ崎二丁目、2008.9.7撮影)

 仙台市野草園は、仙台市中心部から南西の方向にある大年寺山丘陵の一角にあります。伊達家の所有地を仙台市が買い取り、1951(昭和26)年に開園しました。園内には東北地方に見られる野草や針葉樹などが中心に植栽され、芝生広場や水辺の散策路など、四季折々の草花を鑑賞することができます。訪れた9月は宮城県の花である「ミヤギノハギ」をはじめ、オミナエシやキキョウ、ススキなどの秋の七草が野趣あふれる美しさをみなぎらせていました。奥まった位置にあったカエデの木の枝先は一部ほんのりオレンジ色に色づき始めていて、秋本番も目の前となっていることを実感させました。萩のトンネルの先にある芝生広場も爽快な雰囲気で、青空の下であったならばさらにさわやかな空間となるであろうことが容易に想起されます。

 大年寺山は西多賀の項でもご紹介しましたとおり、伊達家一門の菩提寺としてかつて大伽藍を擁したという大年寺が立地していたことからその名で呼ばれるようになりました。野草園の敷地が伊達家の所有であったのもこのためでしょうか。現在は伊達家累代の墓所のほか、南斜面にある惣門のみが在りし日の寺院のすがたを伝えています。もとの名前である茂ヶ崎は、住居表示名に採られています。大年寺山にはNHKのほか、宮城テレビ、仙台放送の3つのテレビ塔が建ち、八木山にある東北放送のテレビ塔を含めた4棟中3棟が夜間ライトアップを実施していて、仙台市街地の多くのエリアから眺望できるランドマークとなっています。宮城テレビのライトアップの色は翌日の天気予報を表している(晴れ:白、くもり:オレンジ、雨または雪:緑)ことも、仙台市民の常識でしょうか。こうした現代仙台市街地における象徴性が評価され、テレビ塔の見える風景は第10回仙台都市景観大賞に選ばれたとのことです。緑豊かな丘陵地は、時代の変遷に応じてその表情を変化させながら、人々を癒し続ける存在として今後も杜の都仙台を見守ってゆくこととなるのでしょうか。


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