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シリーズ・クローズアップ仙台

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#63 小田原界隈 〜都心近隣の穏やかな住宅地域〜
 

 旧来の古い街並みがほぼ消滅し、現代的な都市地域へと急速に開発が進む鉄砲町・二十人町エリア(仙台駅東部第二地区)のようすを確認しながら、国道45号沿線へと出ます。広幅員の幹線道路となった東八番丁(都市計画道路「東八番丁中江線」)や東十番丁(都市計画道路「宮沢根白石線」)もほぼ完成し、国道と接続して車両も侵入できるようになっているようでした。

 国道45号は、1948(昭和23)年に開通した仙台市電原の町線(1976(昭和51年)に仙台市電は全線廃止)の軌道敷として、当時のメインストリートの裏道的な街路を拡幅して建設されたことはこれまでの稿で触れてまいりました。原町は仙台市街地東郊の物資の集散地・近在からの地域的な商業中心都市して一定の基盤を擁しており、1928(昭和3)年に仙台市に編入されるまでは宮城郡原町として郡役所も設置される町場でした。

鉄砲町

鉄砲町の景観
(宮城野区鉄砲町、2008.12.27撮影)
鉄砲町

鉄砲町の景観
(宮城野区鉄砲町、2008.12.27撮影)
国道45号

国道45号の景観
(宮城野区小田原金剛院丁、2008.12.27撮影)
小田原金剛院丁

小田原金剛院丁通りの景観
(宮城野区小田原一丁目、2008.12.27撮影)

 国道を境に北側は宮城野区からJRの鉄路を挟んで青葉区にかけての一帯が「小田原1〜8丁目(3丁目までが宮城野区、4丁目以降は青葉区)として住居表示されているのとは対照的に、南側は「小田原広丁」や「小田原金剛院丁」、「小田原大行院丁」、「小田原山本丁」などの旧来の町名が鉄砲町の北側にわずかに残っているのが目にとまります。
 
 「小田原」は、古くより当該地域の広域的な汎称で、「小俵」などと表記されることもあったようです。漢字の示す語感が象徴するように、旧来は歌枕「宮城野」や「榴ヶ岡」などの原野に連なる田園地帯であったようで、「小田原田圃」または「玉田横野(たまだよこの)」と雅称され歌人の憧憬を集めた野原の所在地として比定される地域としても知られているようです。江戸時代、都市として次第に過密となった仙台城下町は何回かの拡張を経ており、この地域が「小田原八町」として城下に組み入れられたのは、延宝年間(1678〜1681年)における第三次拡張によるものでした。小田原界隈は、現在は都心近郊の比較的閑静な住宅街となっています。「小田原八町」とはこの拡張により割り出された車通・山本丁・金剛院丁・広丁・大行院丁・清水沼通・牛小屋丁・蜂屋敷の八町の総称で、それらの一部が国道の南側に局所的に残されているというわけです。車通と蜂屋敷以外は上記のとおり国道の南に残ります。車通は仙台駅近くの町名「車町」へ続く南北の道路に沿った町名(街路名)で現在は小田原1・5丁目及び宮町1丁目の一部となっており、蜂屋敷は現在の小田原6丁目で旧町名は藩政期の「蜂屋敷」から「新常盤町」、そして「旅籠町」と変遷しています。これはこの場所に「小田原遊郭」と呼ばれた遊郭が常盤町(現在の市民会館がある一帯)から1894(明治27)年に移転したことに伴い「新常盤町」に改称、さらに戦後に遊郭が廃止されると遊郭が旅館や下宿などに転業したことによって「旅籠町」として再び名を変えたものです。

小田原

小田原地域の景観
(青葉区小田原四丁目付近、2008.12.27撮影)
常盤木学園

常盤木学園前、「小田原八丁」の石標
(青葉区小田原四丁目、2008.12.27撮影)
キリンビール跡地

キリンビール工場跡地・再開発中
(青葉区小田原四丁目、2008.12.27撮影)
清水沼公園

清水沼公園
(宮城野区清水沼一丁目、2008.12.27撮影)

 市電が無くなりすっかり自動車のひしめく一大幹線道路となった国道を北へ横断し、小田原金剛院丁の通りを進みます。JR東北本線と東北新幹線、東側では仙山線が分岐する、鉄路が地域を縦断することから都市圏を縦貫するような大きな道が建設されることの無かったこのエリアは、仙台駅に比較的近い立地にありながら、戸建の住宅が立ち並ぶまさに静かな住宅地でした。榴ヶ岡公園の乗る「宮城野撓曲」の高まりや、勾当台公園南に緩やかな崖を形成する河岸段丘(上町段丘)の傾斜などから離れ、仙山線北に明瞭な段丘崖を形成する河岸段丘(台原段丘)との間の平坦な土地に広がることも住宅地としての良好な条件を提供しているように思います。常盤木学園の敷地を右手に街路を曲がり、東へ進んでいきますと、学校の敷地に東接して広大な敷地がマンションと戸建ての団地として再開発が進む様子が見て取れます。現在は仙台港(宮城野区港二丁目)に移転しているキリンビール仙台工場の跡地です。線路の南側は同社系列のスポーツクラブが立地しています。

 再開発が進む現場の東に接する「小田原東丁」の通りを歩きながら、清水沼公園を経て原町の街並みを一瞥し、JR仙石線の旧路盤が残る仙台育英高校付近に出て東へ、卸町に向かって、地下鉄駅の建設が進む現場の確認へと戻りたいと思います。


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