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シリーズ・クローズアップ仙台
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#64 シリーズ・地下鉄東西線を行く(2) 〜(仮)薬師堂駅から(仮)卸町駅へ〜 清水沼から原町の商店街へ進みますと、緩やかな上り坂となっていることが分かりあす。そして、原町から南に隣接する榴ヶ岡公園の高まりを抜けて宮城野原方面へと歩きますと一転して下り坂となり、仙台東郊の広大な海岸平野へとつながっていきます。つまり、原町や榴ヶ岡公園のある一帯は周辺より比高の高い一体となっており、それがおよそ北東か南西に向かって帯状に連なる格好となっています。この高まり二十人町(都市計画道路「元寺小路福室線」として拡幅・再整備が進むルート)の南でほぼ東西方向の緩やかな傾斜(これは広瀬川が形成した河岸段丘の段丘崖で、「上町段丘面」と「中町段丘面」とを分けています)に至って途切れて、かつて地上を走っていたJR仙石線はこれらの崖や高まりと南へ迂回するようにして仙台駅に近づいていました。この帯状の微高地が、これまで指摘してきた「宮城野撓曲(とうきょく)」と呼ばれているものです。 仙台市街地は広瀬川のつくる河岸段丘に発達しており、市街地の中には上述のようにそれらの河岸段丘を反映した傾斜が連続している場所がしばしば認められ、地形学的な特徴の1つとなっています。そして、もう1つの特徴が、市街地を北東から南西に延びる活断層帯の存在です。仙台市とその周辺を広域的な俯瞰で観察しますと、宮城郡利府町から宮城野区岩切にかけての丘陵地帯の南東の山際がナイフで切ったような直線状の形状となって、その延長上に先に説明した「宮城野撓曲」のラインがつながり、さらに南西に目を向けますと長町の西、西多賀方面に向かってせり出す大年寺山丘陵の南東の端がやはり北西から南西方向の直線的な形となっていることが見て取れます。宮城野撓曲を挟んで2筋ある活断層のうち西側は「大年寺山断層」、東側は「長町利府線」と呼ばれています。仙台城下の大町から鉄砲町を経て東へ連接する原町本通りは、その行き先に応じて塩竃街道とも石巻街道とも呼ばれた重要な交通路で、その道筋はこれらの断層帯が作り出した北東方向の高まりをその道筋として利用していることが分かります。
宮城野原の総合公園運動場を過ぎ、乳銀杏で知られる宮城野八幡神社の前を通り、宮城の貨物線のガードをくぐりますと、平坦な海岸平野となっている地域へと至ります。仙台医療センター北の道路は都市計画道路元寺小路福室線の一部であり、榴ヶ岡の東あたりでは仙台駅東第二区画整理から続く同道路と連結されるための道路整備工事が急ピッチで進められているようでした。銀杏町の交差点で南北の大通りである「宮城の萩大通り」を南へ折れて、住宅地とロードサイド型の商業集積が卓越した新しい市街地を歩きます。仙台バイパスの開通により戦後仙台市街地が東へ急速に郊外化したこの地域は、長い間茫漠とした田園地帯であり、広瀬川から取水した複数の用水路が原野や水田の間をのどかに進む光景が広がっていた場所です。宮千代一丁目付近はそのなかでも街村的な集落があったところで、現在は土地区画整理により道路も碁盤目状に整備され往時の面影は失われましたが、七郷堀の用水路は現在でも現代的な街並みの中を貫通しています。 宮千代一丁目交差点から県道137号(東華中学校先で新寺通に連続する道路)を横断して、南西の白萩町の住宅地に入りますと、陸奥国分尼寺跡の史跡が佇みます。宮城野貨物線を挟んで西方の木ノ下に立地する国分寺跡とともに、奈良時代全国に建立された国分寺・国分尼寺のひとつであり、このエリアが歴史的にも陸奥国の中心であったことが理解されます。京から東へ、延々と山並みや盆地などを縫って進んできた古代の東山道はここに行き着き、多賀城へと進んでいたのでしょうか。国分尼寺跡の南に現存する国分尼寺は、古代の大寺の場所に1570(元亀元)年、龍泉院(新寺二丁目)の二世明屋梵察和尚により中興開山し、天台宗から曹洞宗に改められ建立されたものであるようです。白萩町の南西、木ノ下三丁目と同五丁目、そして山と町一丁目が交差する都市計画道路狐小路尼寺線上に、地下鉄東西線の(仮称)薬師堂駅が目下建設中でした。同駅にはバスプールや駐輪場が併設され、若林区南東部方面からのバス路線との乗り継ぎ拠点として想定されています。
(仮称)薬師堂駅の工事現場から宮城の萩大通りを北に進み宮千代一丁目交差点に戻って、県道137号を東へ進みます。このルートで地下鉄東西線は建設されていまして、仙台市の一大流通拠点である卸町地区への入口となる大和町四丁目交差点下に(仮称)卸町駅が建設されていました。大和町地区にはややまとまって高層のマンションが建設されているのが目立つ一方で、地下鉄駅周辺の一帯は幅員のある幹線道路が整えられたロー祖サイド型の店舗と流通関連の規模の大きい事業所が点在する、産業地区的な色彩の強い地域です。 卸町(仙台卸商団地)については、かつて拙稿(#26 仙台卸商団地 〜東北有数の一大流通ゾーン〜)でも紹介しました。モータリゼーションの進行に伴い都心部の卸売業機能を郊外に集団移転させ、仙台バイパスを生かした効率集約的な業務地区の形成を目指し土地区画整理事業の末誕生したエリアで、長らく都市計画上は第一種特別業務地区に指定し、流通業務機能に特化した土地利用を先行させてきた経緯があります。しかしながら、国内流通産業情勢の変化に伴い事業所の縮小や撤退等が進展していることへの対応として、仙台市は2003(平成15)年に一部地区の用途地域区分を変更し、小規模な小売店舗や劇場などが立地できるようにしているようです。そして、地下鉄東西線の開通により向上するアクセシビリティを生かすための方策を地元の関係者等で結成するまちづくり協議会と協議を重ねているようです。既成市街地や住宅地として戦後成長したエリアを主に通過する現行の地下鉄南北線沿線の風景と比較しますと、(仮称)卸町駅建設現場周辺の景観はあまりに茫漠とした印象で、盛んに取り沙汰される採算性の問題からも地下鉄による波及効果がどの程度の影響を地域に与えることができるか、期待というよりもやはり不安な気持ちのほうが拭い去れきれないようにも思われました。いずれにしても、東西線が地域に与えるインパクトを測る試金石的なエリアの一つであるようには思います。 |
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