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シリーズ・クローズアップ仙台
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#67 勾当台通の周辺 〜主要交通軸と住宅街とが同居する場所〜 中心市街地を南北に縦断する一大幹線道路である東二番丁通は、仙台を象徴するケヤキ並木のある定禅寺通との交差点までで、それより北は勾当台通(こうとうだいどおり)と呼ぶ別の通りとなります。勾当台通は定禅寺通と丁字路になっており、東二番丁通とはクランクになっていたことはこれまでも何度か触れてまいりました。地下鉄南北線開業に合わせて1986(昭和61)年に勾当台通が勾当台公園を貫く形で付け替えられて東二番丁と一本でつながり、現在の形状になりました。勾当台通は仙台市北部へと続く幹線道路として重要な役割を担っています。
勾当台の名は、伊達政宗が仙台城下を開いた頃、現在の勾当台公園のあたりに居を構えていた盲者・花村勾当に由来します。勾当は盲者の官名で、検校の下、座頭の上に位した称号であったとされているようです。その勾当の屋敷があった高台であるために「勾当台」と呼ばれるようになりました。藩政期は藩校の養賢堂が置かれ、定禅寺通の名のもとになっている寺院定禅寺(現在は廃寺)も勾当台に所在しました。その後も勾当台は宮城県庁をはじめ仙台市役所、宮城県図書館(数回の移転の後、現在は泉区の泉パークタウン内にあります)等の公共機関が集積する場となり、イベントの開催場所としても利用される勾当台公園や市民広場があって、市民の憩いの場ともなっています。 勾当台公園から北へ、勾当台通は右手に県庁・県警本部・青葉区役所を、左手に市役所の建物を見ながら片側3車線の道路として整備されています。歩道も広く取られており、繁華街である一番町や国分町にも近いことから多くの人通りがあります。県庁市役所前バス停は市北部を中心とした多くのバスが発着しているため、系統ごとに停留所が北一番丁(市役所北の東西の通り)の交差点の南と北とに分散しています。公共事業関連企業の営業所も多く見受けられるのもこのエリアの特徴です。片側三車線の道路は北四番丁までで、以北は片側二車線に減少します。藩政期の勾当台通は北四番丁までの通りで、通りの名も仙台城下町の通りの名前の原則のとおり、「勾当台に通じる道」であることに因みます。勾当台通が現在のような大通りに拡幅され、さらに北仙台駅方面まで広幅員の道路として延伸されたのは、仙台市電の軌道敷とするためでありました。仙台市電は1976(昭和51)年3月に全線で廃止されています(北四番丁以北の北仙台線は先だって1969年に廃止)。二日町北四番丁交差点にある味の素の東北支社の看板は、多くの市民にとってランドマーク的なものであったと回想されるものであるようです。国道48号は勾当台公園前を起点として勾当台通を北し、この二日町北四番丁から西へ折れて山形方面へ向かっています。これより北、勾当台通は県道22号となり、仙台市北部へ続く幹線道路の一部を形成します。仙台バイパスが市街地東方に完成するまではこのルートが国道4号の指定を受けており、現在でも旧4号という言い方がされることもあるようです。
北四番丁を過ぎますと、通りは道幅を減じて、歩道もかなり狭くなり様相がやや一変します。周辺は消防署なども立地しますが概して住宅地であり、いわゆる商店街的な商業機能の集積は顕著ではありません。それはこの道路が先に述べたとおり市電を通すために新設された道路であり藩政期からの歴史を持つものではないこと、そしてその城下町時代は時代ごとに徐々に拡張された郊外の武士居住エリアであったためであるといえるでしょうか。商業や職人の集まる町人が主体のエリアは旧奥州街道筋(現在の国分町通〜青葉神社通)であり、この延伸された広い道路沿いはどちらかというとその後背地的な住宅街でありました。 この地域を東西に貫く道路は市役所北の北一番丁を起点に、北二番丁、北三番丁、北四番丁(現在の国道48号、この道路も市電通りとして八幡町まで延伸・拡幅された経緯があります)、と順番に北十番丁まで数えることができます。これが先ほどお話しした城下町の拡張に伴って順次割り出された道路に付された名称です。仙台城下町では、武士が住む街には「丁」、町人が住む街には「町」の字をあてる習慣がありました。北一番丁から七番丁までは侍屋敷、八番丁以北には足軽や職人衆が概ね配置されていたとのことです。人口動態や藩政の推移によっては、このエリアは荒廃することもあったようで、近代に入り、現在の東北大学医学部・歯学部及び同大病院(いわゆる東北台星陵キャンパス)や同大農学部(雨宮キャンパス)などの区画の大きい土地の確保も可能であったようです。雨宮キャンパスは東北大の青葉山への統合計画により移転することからその跡地の利活用についても注目されています。
勾当台通は通町二丁目交差点に至って終点となり、県道22号は東へ折れて昭和町交差点方面へ進みます。同交差点から西も広幅員の道路となって、前項に述べた北四番丁大衡線に木町交差点で連絡しています。仙台市北部へつながる二つのメインルートが相互に連絡する場所としても重要な結節点となっています。勾当台通沿いは近年超高層マンションの建設もありましたが、重要な交通路沿線というスペックの割に大規模な開発が少なく、概して穏やかな住宅医としての姿をとどめているようです。先に述べた東北大雨宮キャンパスの売却方針も、拠点的な開発ではなく、こうした閑静な住宅街としての地域性に配慮する方向で検討が進められているとも聞きます。伝統ある城下町としてのたたずまいを残しながら現代の大都市圏内の都心近傍エリアとしてどのような変化を見せていくことになるのか、行く末を見守っていきたい地域であると思います。 |
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