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シリーズ・クローズアップ仙台
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#69 富沢から中田エリアへ 〜仙台南郊の地域のすがた〜 仙台市地下鉄南北線は仙台駅から南へ向かう区間は広瀬川の下を通る区間も含めてすべてが地下区間であり、南の起点である富沢駅の手前で地上に出て、高架駅である同駅へと到達しています。駅の南西には地下鉄の車両基地も設けられており、隣接して仙台市電保存館もあって、仙台市における軌道系交通機関の今昔に触れることができる地域であると言えるでしょうか。富沢駅周辺は仙台市体育館の最寄駅ではあるものの、開業当初は周囲にまとまった住宅地域も多くなかったため、同線北端の泉中央駅の活況とは好対照の様相を見せてきました。とはいえ、近年は周囲の土地区画整理事業も進捗し、東西入口やロータリーも完成するなど、徐々に地下鉄駅前という好立地に見合った都市的ストックの集積が進んできているようです。
2009年12月12日、仙台を訪れ、地下鉄の南のターミナル富沢駅を出発して南へと歩き始めました。富沢駅のすぐ南には都市計画道路「郡山折立線」が通過しています。この道路は仙台都市圏の外縁部における主要環状道路の一部に位置付けられていて、その名が示すとおり富沢地区に東接する郡山地区(国道4号に連接)と東北道仙台宮城インターチェンジのある折立地区とを結びます。全通はまだ先のことのようですが、八木山地区や当該地区などで工事が部分的に進行しており、この道路が地域の動線を分断しないよう、富沢駅へ続くペデストリアンデッキが道路の南にまで延長されています。また、駅の南を流下する河川は笊川(ざるがわ)です。名取川の支流であるこの川は戦後に河道改修が行われ、直線的に名取川につながる新しい流路(新笊川)が整備されています。 笊川を越え、穏やかな住宅エリアを通過しながら、名取川を渡る太白大橋へ。名取川の堤防に沿うように続く仙台南部道路を下に見て、仙台平野南部を貫通する名取川の河川敷を眺めます。河川敷にも豊富な林を生育させる名取川の橋上からは、奥羽山脈へとつながる丘陵地域や区名の由来となっている太白山の参画の頂、そして郊外住宅地域としての街並みが穏やかに眺められました。
名取川より南に位置する仙台市域は中田地区と呼ばれます。1941(昭和16)年に仙台市に合併するまでは中田村であった地域です。名取川の南にあって戦前から仙台市に編入されたことはいろいろな想像を働かせます。ここが東北本線や国道4号などの主要幹線交通路が通過し都市政策上重要と考えられたからか、名取川と広瀬川の合流点を市内に包摂させることにより治水面での利便性を確保するためとか、いろいろ考えが浮かびます。とはいえ、戦時下に向かう時期での合併ですから単に周辺部の村を取り込んで、資力の拡大を図ったというのが実際であったような気がいたします(この時、他に六郷村・七郷村・岩切村・高砂村も同時に編入し市域が一気に拡大しています)。 太白大橋を渡り堤防上の道路をしばらく上流方向に歩き俯瞰した地域の姿は、田園地帯に屋敷林(イグネ)に囲まれた家屋が点在する、伝統的な仙台平野の農村景観そのものでした。堤防からは、名取川の河畔林を介して特徴的な山容の太白山の姿もきれいに眺めることができました。堤防を降り、水田に囲まれた集落の中を進みます。この付近は柳生地区で、「やなぎう」と読みます。地区と同名の柳生寺(こちらは「りゅうしょうじ」)の横を過ぎて到達した柳生北集会所には、「中田尋常小学校柳生分教場」の表札が残されており、時代を感じさせました。柳生地区は藩政期から続く和紙の産地としても知られており、現在は一戸のみとなった農家が伝統をつないでいるそうです。地域の小学生は柳生和紙で漉いた卒業証書をもらっているのだそうです。中田村にただひとつであったであろう尋常小学校はいま、西中田小、柳生小と新設が繰り返され、分教場が存在した時点とは隔世の感がありますね。
地域をさらに南に歩き、県道39号周辺まで来ますと、マンションや商業施設が増えてまいりまして、現代の大都市郊外の様相へと一変ます。土地区画整理が施工された地区は仙台市域だけで、お隣の名取市との境界線でしっかり画されているのがなんとも象徴的です。仙台の都心からはやや距離があるものの、東北線でアクセスのしやすい中田地区は、太白大橋の架橋で交通の便が格段に向上し、郊外の住宅エリアとして開発が進んだ様子が見て取れました。太白大橋から続く県道258号との交差点(西中田五丁目交差点)は交通量も多く、名取市方面と仙台市を結ぶ主要幹線道路としての趨勢を感じさせました。 さらに県道39号を進み、新幹線の下をくぐって到着したJR南仙台駅は、かつては「陸前中田駅」という名前でした。郊外化による人口増により朝晩を中心に多くの利用があるようです。駅周辺では「中田」という地域名称に加え、マンション名や店舗の支店名等に「南仙台」を使用する例が増えているように感じられます。駅にほど近い中田神社は、先に紹介した旧中田村が1889(明治22)年の町村制施行の際に柳生、前田、袋原、四郎丸の4地区が合併して誕生した時に、旧四地区の鎮守を合祀して造営された由緒を持ちます。「中田」は奥州街道沿いの宿駅の名であったようで、合併時の村名にも採られました。 ロードサイド型の店舗が中心で中心商業地的な商業集積はそれほど目立たない中田エリアは、農村的な容貌を呈しながらも穏やかに郊外化が進んだ都市外縁部の様相そのままの姿を見せているように感じられます。今後南仙台駅の拠点化が進み都市化が進捗しても、そうした豊かな地域性を生かしたまちづくりが望まれるように思います。 |
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