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シリーズ・クローズアップ仙台
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#72 福田町界隈 〜東郊における交通の要衝を行く〜 2010年11月21日、七北田川河口の町蒲生から西へ歩き、仙台東部道路端の賀茂皇神社へ到達していた私は、卸町や扇町方面から連担する流通系産業集積エリアを北へ向かいました。鶴巻交差点から西へ、地区を横断する幹線道路は本稿でも度々ご紹介している都市計画道路「元寺小路福室線」の一部です。道道路が完成しますと、中心市街地から東の郊外エリアにかけてを貫く一大幹線道路となる見込みです。ここから北、七北田川と梅田川の合流点あたり、七北田川右岸に発達した町、福田町を目指します。
福田町は国道45号とJR仙石線が通過する伝統的な町場で、古くは藩政期に海岸防備のため足軽を置いたことに由来する市街地のようです。明治期の地図を確認しますと、原町から伸びてきた道路が福田町の集落につながり、そのまま七北田川に沿って蒲生に繋がっていたことが理解されます。このルートに沿って、七北田川に並行した町場が形成されていました。なお、福田町の地名は周辺の福室と田子から一字ずつを採ったものであるようです。 福田町の旧市街地は現在の福田町一丁目から同二丁目にかけての七北田川と梅田川にはさまれた自然堤防上で、そこから西は原町の市街地まで茫漠たる水田地帯であったようです。昭和初期に東仙台地区の区画整理事業(#60小鶴新田編を参照)や旧陸軍の造兵廠(現在の陸上自衛隊仙台駐屯地)の設置に伴いその広大な田んぼは次々に開発されて、高度経済成長期の中、卸商団地の造成や国道4号仙台パイバスの開通により都市的と利用への転換が進んで、現在のような流通関連の業種が集まるエリアとなりました。そうした地域の様子を概観しながら、梅田川を渡って到達した福田町の町場はそうした場所の姿とは対照的に、集合住宅が混在する中にあっても町屋造りを思わせる民家も残されていて、証明書発行センター(旧高砂支所、高砂村役場)周辺では小規模ながらも商店街の景観を呈しており、ここが旧高砂村を代表し、近隣地域における最寄品を扱う商業中心であったことを感じさせます。
仙台から塩竃方面へ、仙塩都市圏と呼ばれるエリアの都市軸である国道45号の繁華な往来を越えますと、JR福田町駅は至近です。福田町の町場はちょうど鉄路の通るあたりが北限であったようで、そこから北は七北田川の自然堤防上を集落を連ねるように道路が続き、岩切(今市)の町場へと至ります。かつては駅舎もあったという福田町駅は今橋上駅であり、郊外の住宅エリアと中心市街地との間の旅客輸送の機能に特化した簡素な佇まいでした。 流入するバス路線がないことや、周辺が旧来からの市街地であること、そして駅前ロータリーがあり一定の拠点性を有する東隣の陸前高砂駅の存在などにより、相対的に地味な印象の駅は、主に幹線道路沿いの地域を中心として戦後に進んだ市街化の趨勢にありながらも、伝統的な町場の基盤は比較的残存されやすい典型を示しているようにも思われました。 |
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