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シリーズ・クローズアップ仙台
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#98 霞目地区を歩く 〜駐屯地に近接する住宅地と田園風景〜 2015年12月21日、地下鉄東西線の沿線を中心に仙台の町並みを歩いてきた私は、同線東の起点である荒井駅から南西、イグネと呼ばれる屋敷林が残る集落・長喜城の景観を景観を一瞥しながら、荒井地域の再開発エリアの南に大きく広がる田園地帯を進みました。
急ピッチで宅地化が進行する荒井地区と、昔ながらの農業集落としての佇まいを残す長喜城地区が隣り合わせにある光景は、広域中心都市仙台の趨勢を端的に感じさせるとともに、荒井地区そのものが土地区画整理事業と地下鉄駅開業を経て、農村から都市的な地域へと急激に変貌してきたことを示していました。長喜城地区の南、仙台平野の沿岸部における象徴的な景観である水田地帯の只中からは、西方に都心部の建築物群をはっきりと望むことができました。碁盤目上に整理された圃場を歩いて行きますと、霞目(かすみのめ)地区の集落へと到達しました。荒井から霞目へと向かう途上では、田園風景の彼方に、島のように浮かぶイグネを持つ集落の姿を遠望することができました。 霞目の集落は、水田として利用される沖積地よりは数メートル地盤の高い、いわゆる微高地に展開しています。このように周囲より標高の高い場所に選択的に集落が形成されていることは、仙台平野において一般的に認められます。東日本大震災による大津波による被災が記憶に新しいところですが、集落が低地に立地していないことは、津波をはじめとした水害からの罹災を免れやすいということと無関係では無いと考えられます。集落のほぼ中央、地区の公会堂のある一角には、浪分神社が鎮座しています。この神社には、かつてこの地を大津波が襲った際、白馬に乗った祭神が現れて大波を南北に二分して沈めたという伝承が残ります。荒井駅前に植樹された浪分櫻の名前は、この神社に由来しているのでした。
霞目集落の西側に隣接して、陸上自衛隊霞目駐屯地があり、飛行場の敷地が大きく広がっています。1937(昭和12)年に「仙台飛行場」として運用を開始したことを嚆矢として、第二次世界大戦終戦直後の進駐軍の駐留時期を経て現在の陸上自衛隊所管の施設として存立しています。地区内に建立された横綱・谷風の墓は、1942(昭和17)年の飛行場拡張の際に現在地に移されたものです。穏やかな住宅地域としての色彩が強い霞目地区からバスに乗り、地下鉄薬師堂駅へ向かいました。地下鉄開業前は多くのバス便が仙台駅前に直通し、交通局大学病院前雪となっていましたが、開業後は薬師堂駅行きとなっていたようでした。薬師堂駅もこうしたバスからの乗り換えに配慮し、バスプールから駅構内へスムーズに移動できるよう配慮された設計となっていたことが印象的でした。 |
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