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#1 小諸散策 〜秋色に彩られる城跡と町並みを歩く〜 今回、長野県の諸地域のお話を書くにあたり、そもそもなぜ現在の長野県にほぼ相当する地域が古来より「信濃国」としてまとめられたのかということを考えていました。長野県歌「信濃の国」はその地域性の豊かさを示す材料としてしばしば引き合いに出されます。歌詞には「松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地」とあります。それぞれが同県内を代表する松本盆地、伊那盆地(伊那谷)、佐久盆地、長野盆地を指していまして、それぞれが長野県内を区分した場合の各地域(中信、南信、東信及び北信)の中心たる平地に相当しています。しかも、それらの地域は地勢や産業などがまったくことなる多様性を内包していまして、それらがいかにしてひとつの令制国として成立するに至ったかというのは大変興味深く感じられます。 2009年11月1日、穏やかな晴天に恵まれたこの日、小諸の町を訪れました。上記の地域文で言えば、東信地域の歴史ある都市である小諸は、都市間競争の観点では新幹線駅を軸に成長を見せる佐久市との較差が拡大している感が否めないものの、当該エリア内における伝統的な都邑としての基盤を随所に残していました。
近世以降を城下町として多くの時間を過ごした小諸の町は、中山道から分岐し長野を経て直江津へと向かう旧北国街道筋を中心に穏やかな町並みが残ります。さくら名所百選の地であり、紅葉の名所としても著名な小諸城址・懐古園(かいこえん)は珠玉の秋錦に満ち溢れていました。小諸の市街地は千曲川の河谷に臨み、浅間山から千曲川へ向かった斜面に展開しています。千曲川やその支流は大地を大きく浸食して両岸に規模の大きい崖(田切地形)を形成しています。小諸城はこの田切地形や千曲川を天然の要害として成立しました。 この城の特徴は、北東に広がる城下町は城より高い場所になって、城下町から城を見下ろすような格好になっていることです。しかしながら、現在では城跡の三の門の前にはしなの鉄道線(かつての信越本線、長野新幹線開業とともに第三セクター化)が縦断し通路はその下を貫通している影響もあってこの地形的な特質があまり実感されないように思われます。JR小海線も乗り入れる小諸駅前のほど近くには小諸城の大手門がその威容を見せていました。城跡と視覚的に別区画と思える市街地部分に大手門があることは、却ってここが城下町であるということを意識させる効用もあるのかもしれないとも思えます。この大手門は、維新後には民有となり、料亭や塾舎として使用された経歴もあるようです。
大手門のある公園の西に接する街路を北へ進み、時計店のある交差点を西に進むと、小諸宿の旧脇本陣と旧小諸本陣(問屋場)があります。本陣の間口が八間もある切妻造の建物は、妻部分に施された破風のような小さな意匠が目を惹きます。旧街道に接して往時はたいへんに目立ち、その格式を存分に醸し出していたと思います。隣の薬医門とともに旧北国街道時代の数少ない本陣建築として重要文化財の指定を受けています。本陣主屋は大手門に市の一角に移築され、歴史資料館として活用されているようです(執筆時現在、2005年4月より休館中)。旧街道はここから東、市町・本町・荒町・与良町と県道40号のルートに沿って旧市街地の中心を形成しています。 旧本陣を出て東へ進み、前出の時計店のある交差点から本町交差点までの区間は実は街道筋ではなく、実際の街道筋は北に「コの字状」に屈曲しており、いわゆる「桝形」が形成されていました。本町交差点の北東隅、釣具店を東から北へ入りそば店の西南で国道141号に接続する街路が旧街道筋で、国道に分断された街道筋は西へ進んで養蓮寺東で南へ折れて時計店の交差点に出て、県道40号のルートに戻るという形になっていました。この部分だけ街道が曲がっていたのは、小諸城の曲輪があったためともいわれ、ここにも城下町としての小諸の特質が表れています。
本町の旧街道筋は土蔵造やなまこ壁や格子壁の美しい町屋造の立ても名が並ぶ街並みが続きます。間切地形により急坂の多い小諸の町にあって、市街地はなるべく平坦な場所にそって形成されています。そのため、街道筋につながる道は必然として坂道となることが多いようで、設置されている市街地のガイドマップには「権兵衛坂」や「祇園坂」といった名前が見えました。「町屋館みはらし庭」など小公園となっている空間からは浅間山への眺望が利く場所もあって、さまざまな風景に出合えるのもこの町を歩く楽しみの一つであると言えますね。健速(たてはや)神社へ下る「大和屋小路」が中沢川を渡る場所にある石橋の石灯や、島崎藤村が使用したという井戸など、小諸の町の往時を彷彿させる豊かな事物に触れながら、佐久平随一の商業都市として隆盛を極めたこの町の歴史に思いを馳せました。 光岳寺の門前で街道は南へ折れ、荒町・与良町へと続きます。街道に面して建つ三門は旧小諸城の足柄門を移築したものです。維新後に城門が市街地にある寺院の山門として移設され残存するケースは各地にありますね。三門越しに眺める街道筋のたおやかな眺めは、今も昔も変わらぬ伝統的な町並みとしての情趣を感じさせます。その後も町屋と昭和期の商店街の建物が穏やかに交わる市街地を歩きながら、小諸駅前を経由し、懐古園へと戻りこの日の行動を終えました。小諸の町が今に残す町並みの奥ゆかしさは、浅間山麓の千曲川が形成する鮮やかな自然景観とも相まって、この上のない歴史的資産としての価値を生んでいるように感じました。懐古園内の天守台などから仰ぎ見る千曲川の河谷は雄大な信州の姿そのままに眼前に存在していました。島崎藤村ら多くの文人の心をとらえたその情景は、多くの詩情や文学的感傷を生み、今日もなお多くの人々にあたたかな旅情を与えてくれているように思います。 |
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