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#3 山形市街地、霞城公園の宵 〜城下町、桜に染まる濠〜 2013年4月28日、宮城県内を彷徨した後、国道347号で奥羽山脈を越え、山形県内へと進みました。国道13号を南下し、山形市・霞城公園に到着したのは午後5時30分前。少しずつ夜の帳が降りる時間帯の山形の町を散策しました。
山形は霞城(かじょう)または霞ヶ城(かすみがじょう)と雅称される山形城を中心に発達した城下町をその基礎としています。中世最上氏の築城に始まるこの城は、本丸、二ノ丸、三ノ丸を有した城郭で、藩政期は山形藩の藩庁が置かれ藩政の中心として機能しました。近代以降は二の丸より内側は陸軍の駐屯地を経て戦後は霞城公園となり、現在に至ります。三の丸は田畑に転用されたり市街化が進み、往時の面影はほとんど残っていません。現存する二ノ丸の濠や土塁、石垣は都市公園として整備された霞城公園を取り囲み、城下町としての歴史を今に伝える事物となっています。山形城は、1986(昭和61)年に国の史跡に、また2006(平成18)年には「日本百名城」の一つとして認定されています。 霞城公園の土塁上にはソメイヨシノが多く植えられ、この日はそれらが見頃を迎えていました。夕闇に染まり行くソメイヨシノの桜色は、穏やかな春の空気をさらに温かみのあるものにしているように感じられます。園内にはシダレザクラも美しくその枝をなびかせていまして、市街地方面へ開く二ノ丸東大手門(1991(平成3)年復原)の結構も相まって、県庁所在都市として成長した山形の礎をより輝かしいものにしているようでした。門を出ますと、濠は花筏がなめらかにその水面に堆積させていて、桜色のさざなみをつくっている様子を見て取ることができました。濠とJR奥羽本線をまたぐように渡された橋を通り、山形市の中心市街地へと歩を進めました。
文翔館(これは愛称で、正式には「山形県郷土館」。国の重要文化財。)は、1916(大正5)年に、山形県庁舎及び県会議事堂として建設された、レンガ造りの洋風建築です。1975(昭和50)年に県庁舎が現在地に移転するまで県庁舎等として活用されました。シンメトリーのデザインが美しいこの瀟洒な建物は、山形市役所や山形地方裁判所が立地するエリアを経て、大沼デパートなどが立地する繁華街・七日町商店街へと続く山形市街地の都市軸の先に立地しています。夜間はライトアップも施され、山形市街地におけるランドマークとして、街並みに風格を与える存在です。山形市街地が載る扇状地を形成する馬見ヶ崎川端まで出ますと、こちらも桜並木が満開の花を咲かせていました。それらの「花の門」は、背後の山並みとともに豊かな自然景観を構成していました。 ライトアップに輝く文翔館前に戻り、繁華街である七日町を歩きながら、JR山形駅前へと町中を進みます。七日町から十日町へ至る国道112号の沿線は、伝統的な山形の繁華街であるとともに、町家造りの建物も認められるなど、江戸時代から続く城下町としての風情も残すエリアです。駅前大通り周辺にはホテルなども多く立ち並んで、県都の玄関口としての活気に満ちていました。駅前の様子を一瞥した後は再び霞城公園の入口である二ノ丸東大手門に戻り、ライトアップで鮮やかさを増した桜の姿を楽しみ、この日の山形での滞在を終えました。山形といえば山寺や蔵王など、周辺地域に目が行きがちですが、江戸期以来の城下町としての豊かな街並みを宿す市街地は、現代都市としての基盤を持ちながら、魅力的なきらめきが溢れているように目に映りました。 |
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