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#4 晩秋の山寺を歩く 〜静寂に包まれる霊山〜 2013年11月4日、晩秋の山形市・山寺を訪れました。前日の夜半から降っていた弱い雨で煙る門前の街並みは、靄に沈む山々に向かい静かに佇んでいました。立谷川は、紅葉川が合流するこの場所から平地へと流れだす形となり、西側に扇状地を形成しています。
微かに雨が漂う中、立谷川を渡り、山寺の伽藍が展開する山肌へ進みます。紅葉の状況は所々で色づき始めといったところで、この時季としてはやや遅めであるように感じられました。登山口から約200段の石段を登って最初に到達する根本中堂(本堂にあたる建物、重要文化財)を拝し、山門へと進む間にはまだ緑鮮やかな楓も認められました。山門をくぐると、いよいよ杉木立が連なる参道を上がります。寺のホームページによりますと、麓の根本中堂で標高258メートル、山上の「奥の院」と呼ばれる如法堂が同417メートルとのことですので、その差はおよそ160メートルとなります。その標高差を800段の石段によって登っていくこととなります。この寺院が山寺と通称される所以です。山寺は正式名称を宝珠山立石寺(りっしゃくじ)といいます。開山は寺伝によると860(貞観2)年。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の紀行中に立ち寄り、「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだ場所であることはよく知られています。古来より多くの修行者が踏みしめてきた道筋を、一歩一歩歩いていきます。 参道はすべての音を吸い込むような杉木立や、自然豊かな木々に覆われていまして、坂を上りながら心が落ち着くような清浄感を覚えます。路傍には地蔵尊や石塔などが多く建立されて、この地を訪れた先人の深い信仰心を実感します。参道に時折せり出す岩もすべての生物が自然の中の一部であることを象徴しているようにさえ思えてきます。そうした岩により、参道にはわずか幅14センチメートルの場所もあって「四寸道」と呼ばれています。そこは先祖も子孫も同じ場所を踏みしめることから、「親子道」とも「小孫道」とも呼ばれるとのことです。芭蕉を慕う弟子たちが芭蕉の句をしたためた短冊を土台に埋めて建てたと伝えられる「せみ塚」や、長い年月で直立した岩が阿弥陀如来の姿を削り出した「弥陀洞(みだほら)」などを過ぎて、仁王門へ至ります。そこから石段をさらに上り、性相院や金乗院。中性院といった諸堂を抜けていくと、ようやく奥の院へと到達します。背後の山はきれいに色づいていまして、標高の高さを感じさせました。これまで歩いてきた参道を振り返りますと、堂宇越しに雲に煙る山並みが見えて、霊場としての空気を表現しているように思われました。
岩屋の中に安置された三重小塔(重要文化財)を拝観した後、石段を戻り開山堂へ。百丈岩と呼ばれる岩盤の上に建つ開山堂は開山の慈覚大師のお堂であり、真下には師が眠るという入定窟があります。開山堂の脇を右へ上っていきますと、随一の展望が開ける五大堂。眼下の街並みと背後の山々が晩秋の色に染まる風景は筆舌に尽くしがたい美しいものでした。自然がすべてを包み込む古来からの修行の山は、多くの人々の祈りと幾星霜の時間とを溶け込ませながら、なお静寂をその身にまとっているように思われました。 |
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