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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜
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#83 渋谷駅前から神宮外苑へ 〜変化を続ける副都心とその周辺〜 (渋谷区・港区・新宿区) 2020年2月1日、宝登山散策を終えた私は、寄居駅から東武東上線などを利用し、現在進行形で大規模な再開発の続く渋谷駅前へとやってきました。冬の季節の只中にもかかわらず、この日もたくさんの人たちが渋谷駅前のスクランブル交差点周辺に集結していまして、日々変化する町並みを闊歩していました。
訪問時の直前に、明治通り直上に移設された銀座線の渋谷駅が現代的なフォルムを見せる背後には、渋谷ヒカリエと渋谷スクランブルスクエアの2つの超高層ビルが颯爽と屹立しています。渋谷駅周辺ではこの2つのビルのほかにも大規模な再開発が現在進行中ですが、渋谷ヒカリエと渋谷スクランブルスクエアのアウトラインはその新しい都市景観を象徴しているように感じられて、変化を続ける大都会の態様を十二分に表現していました。山手線の高架下をくぐり東口側へ、人波の絶えない宮益坂を登っていきます。ビル群に覆われた歩道は冬の低い日射しが遮られ、葉を落とした街路樹の枝もどことなく冷ややかな雰囲気を纏っています。宮益坂上交差点からは青山通りに合流し、さらに歩を進めていきます。振り返ると坂下の渋谷駅前のビル群が手前のビルよりやや低く見えて、渋谷がその名のとおり谷底の町であることを実感します。 青山通りに入ると、道路の幅も広くなって、背後にはいっぱいに輝く太陽が不意に目に入り驚かされます。表参道交差点を過ぎ、外苑前交差点を通過しさらに東へと歩いて、神宮外苑のいちょう並木の入口へと到達しました。真冬の並木は葉はまったくその枝に携えておらず、火の消えた松明のような全身を、寒々しい冬の青空に晒していました。冬空の下静かに整列するいちょうの並木の下を歩いて、神宮外苑を象徴する建造物の一つである聖徳記念絵画館を正面に一瞥します。左手には神宮球場があって、その横を辿りますと、外縁の木々越しに徐々に新国立競技場の姿が目に入ってきました。周辺は開催予定のオリンピックを記念するモニュメントが建てられていまして、来る祭典の喝采をそれらは待ちわびているようでした。
観音橋交差点から西へ、聖輪寺門前へと続く坂道は、同寺の本尊の如意輪観音像にちなみ、「観音坂」と呼ばれます。現在は聖輪寺の境内は住宅街に周囲を囲まれていまして、渋谷川の上流(穏田川)に架かっていたと思われる、交差点名にもなった「観音橋」の語感が呈するような、かつての農村的な風景もまったく想起されないような、都心の只中へとすっかりと地域の表情は変貌しています。聖輪寺の前を通り、狭い街路を歩きますと、地域の鎮守である鳩守八幡神社の境内へと誘われます。梅や河津桜の花がかわいらしい色彩を見せている境内には、「千駄ヶ谷の富士塚」と呼ばれる富士塚が現存しています。都内では最も古い富士塚としても知られていまして、江戸市中における富士信仰の在り方を今に伝えています。 再び国立競技場前へと戻り、一部外構部の整備が進められる競技場の様子を概観しながら、千駄ヶ谷駅方面へと歩きました。外苑西通りは神宮外苑の諸施設のあるエリアと、明治神宮とに挟まれた、千駄ヶ谷の住宅エリアを分けるように町並みを貫いていまして、北の新宿と南の渋谷を間近にしながらも、中小のマンションやオフィスビルのある、都心の中にあっても比較的静かな環境を残すエリアであるように思われました。千駄ヶ谷駅前には首都高速が貫通して、交通量の多い都道も接して、再び大都市たる風貌の只中へと引き戻されました。
渋谷駅前から神宮外苑へ、変化する大都市の景観を辿りながら歩いた道のりは、常に新陳代謝を繰り返してリノベーションの歩を止めない東京を確認する道程であったとともに、その基底に厳然と根付く江戸の名残をも訪ねることのできる者となりました。今後も変わりゆく渋谷を見つめて参りたいと思います。 |
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