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春光と深閑
〜砺波平野と白山平泉寺旧境内を訪ねる〜

2013年5月、初夏の穏やかな陽光の下、富山県砺波平野と福井県東部、勝山市を井を訪れました。
我が国有数のチューリップ生産地と散居村で知られる地域のすがたと、中世に巨大な宗教都市を成立させた旧跡を跡付ける道筋となりました。


チューリップ公園

砺波チューリップ公園
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社参道

平泉寺白山神社参道
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)


訪問者カウンタ
ページ設置:2016年12月6日

砺波平野の春光 〜満開のチューリップと散居村の風景〜

 2013年5月4日、ゴールデンウィーク只中の富山県砺波市を訪れました。この日は雲一つない鮮やかな青空が広がっていまして、まさに晩春から初夏へ移り変わる季節そのままの天候に恵まれました。北陸自動車道砺波インターチェンジから中心市街地郊外のロードサイド型商業地域を抜ける道路を北へ、砺波チューリップ公園へ向かいました。4月下旬よりゴールデンウィーク期間中まで開催される「となみチューリップフェア」の会場である同公園は、敷地面積7ヘクタールの大規模な都市公園で、チューリップフェアの開催期間中は600品種、100万本というチューリップが花を咲かせまして、毎年30万人を超える観光客が集まる人気スポットです。

チューリップ畑

砺波チューリップ公園近くのチューリップ畑
(砺波市高道付近、2013.5.4撮影)
砺波チューリップ公園

砺波チューリップ公園の景観
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)
砺波チューリップ公園

砺波チューリップ公園の景観
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)
砺波チューリップ公園から見た山連峰

砺波チューリップ公園から見た立山連峰
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)
砺波チューリップ公園・地上絵

砺波チューリップ公園・地上絵
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)


砺波チューリップ公園・八重桜
(砺波市花園町、2013.5.4撮影)

 富山県は県の花にチューリップを制定しているように、同じくチューリップを県花とする新潟県とともにわが国有数のチューリップ栽培地域として大変著名です。球根栽培においては、両県で国内シェアのほぼ100%を供給しています。大正期に、水田の裏作として導入され、気候がチューリップの生育に適していたこと、そして希少価値から高値で取引されたことから、両県はチューリップ栽培地域として飛躍的な成長を遂げて今日に至っています。砺波チューリップ公園近くの駐車場から公園へ向かう間、鮮やかな花をいっぱいに咲かせたチューリップ畑を目にしました。豊富な水と肥沃な土壌に恵まれ、主に稲作が行われる砺波平野の大地は、チューリップ栽培という新たな実りを根付かせました。専ら水田として利用されてきた土地に輝くチューリップの花弁は、地域の自然環境を生かしながらチューリップの品種改良に取り組み、一大産地にまで昇華させた歴史を雄弁に物語っているように感じられました。

 新緑がまぶしいさみどり色を枝先にまとわせはじめる季節、公園内は色とりどりのチューリップによって華やいでいました。ハナミズキやライラック、八重桜なども美しく花を咲かせていましたが、圧倒的な鮮烈さを迸らせるチューリップにその主役の座をゆずっていました。ミルクをにじませたような晩春の空は、そうした地上の花々を穏やかに包み込んでいまして、よく目を凝らしますとその空に溶け込むように、立山連峰がその白銀の山肌を瞬かせていました。園内のチューリップタワーからは、チューリップで描かれた大花壇の地上絵を見下ろすことができます。毎年テーマを定め、趣向を凝らしたデザインで人気を博す地上絵のこの年のコンセプトは「心つなぐ愛の花」。手を取り合う人のデザインによって、それがダイナミックに表現されていました。



散居村展望広場からの眺望
(砺波市庄川町隠尾、2013.5.4撮影)
散居村のアップ

散居村をアップで撮影
(砺波市庄川町隠尾、2013.5.4撮影)
北陸新幹線遠望

散居村展望広場から北陸新幹線(中央上)を遠望
(砺波市庄川町隠尾、2013.5.4撮影)
庄川

散居村展望広場から庄川を眺める
(砺波市庄川町隠尾、2013.5.4撮影)
散居村・田植えの終わった田

散居村・田植えの終わった田
(砺波市内、2013.5.4撮影)
散居村・チューリップ畑

散居村・チューリップ畑
(砺波市内、2013.5.4撮影)

 水が張られ始めた水田も認められるチューリップ公園周辺の風景を一瞥しながら、市郊外の高台にある「散居村展望広場」へ向かいました。茫漠とした水田地帯の中に、屋敷林を伴った約1万戸の農家が点在する集落景観は「散居村」と呼ばれ、砺波平野の地勢の代名詞ともなっています。水田に水が張られますと、広大な水面に無数に浮かぶ島のような風景となります。散居村の集落形態は藩政期に成立、そして成長してきました。散居村が存立した背景には諸説があるようで、季節風による火災の延焼防止とか、農家の集団化による一基を恐れた政策によるものなどが提唱されているようです。屋敷林は防風林として北、西、南の三方を囲むように設けられ、東からの風が極端に少ないことから母屋は東向きに建てられるという特徴があります。日本各地にみられる屋敷林と同様に、この防風機能のほか、枝や葉を燃料や建材としても利用するなど、屋敷林は日常生活に密接に結びついてきました。

 砺波平野では屋敷林を「カイニョ」または「カンナ」と呼びます。仙台平野の「イグネ」や出雲平野の築地松など、地域によって多様な呼び名と態様を見せる屋敷林は、稲作とともにあった地域の発達史を濃厚に感じさせる風物です。カイニョは漢字表記すると「垣饒(かきにょう)」で、カイニョはそれが訛った言い方であるといいます。たなびくような宝達丘陵の下、眼下には散居村の穏やかな景観が南北に雄大に広がっていました。庄川と小矢部川がつくりだした豊穣の大地は、散居村という歴史が醸成した奥ゆかしい農村景観を得て、一際美しく輝いていました。遥か遠方に目を向けますと、北陸新幹線の高架が横切っていまして、時代の変化を感じさせます。展望広場から下り、福井へ向かう道すがらで、カイニョに囲まれた農家や、一部田植えの終わった水田、そしてチューリップ畑となった水田がパッチワーク状に耕作する様子を確認することができました。それは地域の特性を熟知しながら地域構造と産業を成長させてきた土地の発達史そのものであるようにも思えました。




深閑たる白山平泉寺旧境内 〜一大宗教都市の面影を訪ねる〜

 砺波平野から西へ石川県内に入り、金沢を過ぎて白山の山懐に入りさらに大きく山を越えて福井県へ。勝山市にある平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)に到着したのは午後4時30分を回っていました。歴史を感じさせる杉木立の中、苔むす石塔が立ち並ぶ参道は厳かに佇むように、石段に悠久の霊力のような凄みを宿させているように感じられます。古来より信仰の山として崇められて期は白山の西麓のこの地に泰澄大師が717(養老元)年この地に平泉寺を開いたと伝えられます。その後時代の趨勢により数尾と中興を経た今は、平泉寺白山神社としてこの地に鎮座しています。

平泉寺白山神社・常夜燈

平泉寺白山神社・常夜燈
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・一の鳥居

平泉寺白山神社・一の鳥居
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・拝殿

平泉寺白山神社・拝殿
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・本殿

平泉寺白山神社・本殿
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)

 かつての平泉寺の参道であった石畳の道筋は、日本の道100選に選定される歴史ある道です。菩提林と呼ばれる林に覆われています。旧参道に使用した石の供給元でもある九頭竜川が形成した勝山盆地に張り出すような台地上の丘陵地の尾根筋を進むように参道は続きます。平泉寺白山神社の境内に入り、いくつかの鳥居を抜けて深閑たる森の中を進みますと、拝殿(1859(安政6)年造営)と本殿(1795(寛政7)年造営)が厳かな結構を見せていました。本殿には向かって右側に別山社、左側に越南知社(おおなむちしゃ)が配されています。これは白山三社の神々を勧進する、白山信仰本来の姿を示すものであるとのことです。

 現在はかつての平泉寺の旧参道と、神社の境内地のみが現存する形となっているこの場所には、中世には平泉寺を中心に四十八社三十六堂六千坊が建立されていまして、僧兵8,000あまりを擁する一大宗教都市が展開していました。1574(天正2)年一向一揆により焼き討ちに遭い、全山が消失しています。この地が歩んだ多くの史実については、他サイトなどで多くの説明がありますので省略しますが、そうした壮大な宗教都市がここにかつて現存していたということを思うだけでも、何か底知れぬ力がこの場所に今でも秘められているような思いに駆られます。石段を踏みしめる一歩一歩に白山信仰に導かれた数々のドラマの胎動が伝わってくるようです。

平泉寺白山神社・境内

平泉寺白山神社・苔むす境内
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・二の鳥居と参道

平泉寺白山神社・二の鳥居と参道
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・周囲の集落景観

平泉寺白山神社・周囲の集落景観
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)
平泉寺白山神社・周囲の田園風景

平泉寺白山神社・周囲の田園風景
(勝山市平泉寺町平泉寺、2013.5.4撮影)

 
1989(平成元)年からはかつての平泉寺の広がりを確認する発掘調査が行われ、旧境内は約200ヘクタールの広域にわたり存在していたことが明らかになっています(この範囲が国指定史跡「白山平泉寺旧境内」です)。そうした歴史的背景を持ちながらも、史跡地域を取り囲む一帯は、水田や集落が広がるのびやかな風景となっていました。多彩なチューリップにどこまでも麗しい明るさを届けていた春空は、夕刻を前に鈍色にその色調を変えていました。その空の色は中世における平泉寺の栄華を懐かしく思わせるような、どこまでも深いセピア色を呈していました。



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