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俳句の中の地域
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#250 きらめく銀座の夜の風景(東京都中央区) (2023年11月15日執筆) 2010年11月27日、銀座四丁目交差点の夜の様子です。銀座を象徴する時計台のある風景は、いつの時代も多くの人々を惹き付け、輝かしく、日本における最高峰の繁華街としてそこに存在してきました。照明に彩られた町並みは、漆黒の夜空と好対照を見せて存立し、大都会としての唯一無二の風景を構成しています。その明暗に、人間の機微を感じずにはいられません。
#249 唐沢山城跡から関東平野を見下ろす風景(栃木県佐野市) (2023年11月14日執筆) 2017年11月26日、東武が主催するハイキングイベントで、佐野市の唐沢山城跡を訪れました。関東平野北縁の山上からは、広大な関東平野と、それを取り巻く山々とを美しく眺望することができました。難攻不落の山城として多くの武将が群雄割拠した城跡としての遺構も多く残されていまして、それらは鮮やかな紅葉によって彩られていました。
#248 洗足池公園、初冬の風景(東京都大田区) (2023年11月13日執筆) 2015年11月28日、穏やかに晴れた冬空の下の洗足池公園の風景です。東京の山の手から多摩地域へ、いわゆる武蔵野と呼ばれる台地上には随所に湧水があって、古くから生活用水として供されてきました。洗足池もそうした湧水による池の一つで、農業用水として利用されましたが、都市化が進んだ現在では、貴重な水辺として市民の憩いの場となっています。
#247 宇陀松山、宇陀川沿いの風景(奈良県宇陀市) (2023年11月12日執筆) 2013年11月30日、奈良県宇陀市の宇陀松山を訪れました。古くから城下町として町場を形成し、現在でも昔ながらの町並みが残された山間の都邑です。国の重要伝統的建造物群保存地区の指定も受けています。初冬の宇陀松山は、穏やかな冬の日差しの下、ただ静かに、ゆるやかに、歴史を語りながら時を刻んでいました。
#246 桜山公園、冬桜と紅葉の見える風景(群馬県藤岡市) (2023年11月11日執筆) 2005年11月26日、藤岡市(当時、多野郡鬼石町)の桜山公園に出かけたときの写真です。上毛かるたの「さ」の札に、「三波石とともに名高い冬桜」と詠まれる場所です。季節外れの晩秋から初冬にかけて花を開く冬桜は、紅葉とのコラボレーションも楽しめることもあって、多くの人々が訪れています。
#245 天神山公園から太平洋を望む風景(千葉県匝瑳市) (2023年11月10日執筆) 2018年11月23日、JRが開催する駅からハイキングの一環で、千葉県外房、九十九里浜にほど近い匝瑳市八日市場を訪れました。九十九里平野に帯状に広がる浜堤列と、その間の低地のある地形を実感しました。海岸線の後退でもともとの砂丘の列が内陸に残された高まり(浜堤)の親集落と、海岸沿いに派生した納屋集落とが特徴の九十九里平野は、この日、穏やかな冬晴れの下にありました。
#244 明石海峡の夕景と淡路島の島影(兵庫県明石市) (2023年11月9日執筆) 初冬の兵庫県播磨地方、明石海峡の夕景、2008年11月23日の写真です。左端(東側)には淡路島の島影が見え、さらに東には明石海峡大橋がありますが、この日は夕日がきれいでしたので、兼題の写真はその西側のものを選びました。姫路から明石へとめぐったこの日のフィールドワークでは終始穏やかな晴天に恵まれまして、それは瀬戸内の風光そのままの装いでした。
#243 立石寺・五大堂からの風景(山形市) (2023年11月8日執筆) 2013年11月4日、初冬の雰囲気が濃厚な、山形市の立石寺を訪れました。山寺の名で広く知られる古刹も、冬を間近にして、鈍色の空の下、静かに佇んでいるようでした。写真の風景は、境内の山上にある、五大堂からの風景です。背後の山々も雲に覆われて、間もなく訪れる沈黙の季節のはじまりを告げていました。
#242 愛宕山公園から見た浦賀港の遠景(神奈川県横須賀市) (2023年11月7日執筆) 2004年11月21日、横須賀市の浦賀を訪れました。港を見下ろす愛宕山公園からの風景です。浦賀と言えば、幕末のペリー来航が有名ですが、実際に上陸したのは浦賀の南の久里浜でした。現在の浦賀は、要港として栄えた歴史を感じさせながらも、穏やかな海辺のまちとして静かな佇まいを見せています。
#241 松山城から見た松山市街地遠景(松山市) (2023年11月6日執筆) 2001年11月18日、松山市街地の真ん中に聳える城山(勝山)に築城された松山城の天守から、城内と松山市街地を俯瞰した写真です。四国最大の人口を擁する松山市にあって、道後温泉とともに地域の歴史を刻む象徴的な存在ですね。藩政期から残る現存十二天守のひとつでもある天守は、今日も多くの松山市民にとって大切な存在であるようでした。
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