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俳句の中の地域

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#510 名護屋城跡、真夏の風景(佐賀県唐津市) (2024年8月1日執筆)

 2001年8月3日、福岡から唐津、平戸を経て長崎へと向かうドライブを行いました。この彷徨はその後、島原、天草、阿蘇へと続いていきますが、その過程で訪れた北九州の大地は鮮烈な夏の日差しを受けて輝いていました。写真の名護屋城跡は、秀吉によるいわゆる文禄・慶長の役の前線基地となった歴史のある場所です。現在ではそんな過去にさまざまな憂いを込めるように、静かな雰囲気のある場所でした。
 
鎮西の古城 しずかに百日紅

名護屋城跡、真夏の風景
名護屋城跡、真夏の風景(2001.8.3撮影)



#509 夏の中禅寺湖と男体山を望む風景(栃木県日光市) (2024年7月31日執筆)

 2021年7月19日に撮影した、奥日光・中禅寺湖と男体山のようすです。中禅寺湖は男体山の噴火によって川が堰き止められてできました。付近には華厳の滝や戦場ヶ原、湯元温泉などの自然があって、夏は涼を求めて多くの人々がここを訪れています。高原の湖は空の青ではなく、山々の美しい碧をその水面に写し取っているようでした。
 
夏空や 湖面は男体山の碧

夏の中禅寺湖と男体山を望む風景
夏の中禅寺湖と男体山を望む風景(2021.7.19撮影)



#508 川口田麦山・晩夏の水田の風景(新潟県長岡市) (2024年7月30日執筆)

 2016年7月30日、新潟県長岡市の山間に位置する、川口田麦山地区を訪れました。長岡市に合併される前は、北魚沼郡川口町の大字であったため、現在は川口を冠した地名となっている山里です。2004年の中越地震では大きな被害を受けた地域も、過疎の緩やかな流れの中で、山里ののびやかな風景を残していました。
 
山里の田や グラジオラスの深紅

川口田麦山・晩夏の水田の風景
川口田麦山・晩夏の水田の風景(2016.7.30撮影)



#507 四国カルスト・姫鶴平の風景(愛媛県久万高原町) (2024年7月29日執筆)

 2002年7月30日、「四国の屋根」とも呼ばれる、四国かスルトを訪れました。石灰岩が分布するカルスト台地である高原にあって、姫鶴平では夏季に酪農も行われていて、その冷涼な気候は、ここが南国・四国であることを忘れさせます。晩夏の酷暑の中の訪問でしたが、高原のそこはとても涼やかで、爽やかな空気をいっぱいに吸うことができました。
 
夏深し 天空の高原の宵

四国カルスト・姫鶴平の風景
四国カルスト・姫鶴平の風景(2002.7.30撮影)



#506 江川地区・里山と谷地田の見える風景(千葉県野田市) (2024年7月28日執筆)

 2016年7月16日、夏の盛りの千葉県野田市の郊外をウォーキングしました。つくばエクスプレス・柏たなか駅から北西へ、利根運河を越えた先にある野田市の江川地区は、生物多様性保全のために重要な里山として保全活動が行われている場所です。さわやかな水田が青々とした輝きを見せるこの地には、鸛(コウノトリ)がまとまった数生息していまして、地域のシンボルとなっています。
 
夏の昼 谷地田に棲む 鸛

江川地区・里山と谷地田の見える風景
江川地区・里山と谷地田の見える風景(2016.7.16撮影)



#505 経ヶ岬灯台と日本海の見える風景(京都府京丹後市) (2024年7月27日執筆)

 2013年7月13日、丹後半島周辺の沿岸を彷徨しました。その旅程の最後は、丹後半島の最北端、近畿地方においても北の果てにあたる経ヶ岬でした。経ヶ岬には、日本では5カ所にしかない「第一等灯台」である経ヶ岬灯台が設置されています。夏の凪いだ夕方の海を前に、灯台は静かに明かりを灯し、その長い役割を果たそうとしていました。
 
灯台の 光と闇や 土用凪

経ヶ岬灯台と日本海の見える風景
経ヶ岬灯台と日本海の見える風景(2013.7.13撮影)



#504 千畳敷・岩石海岸の風景(青森県深浦町) (2024年7月26日執筆)

 2014年7月20日、臨時快速列車「リゾートしらかみ」に乗車し、美しい海岸風景を探勝しました。途中、千畳敷駅では列車が散策時間を設けて停車します。その際に、藩政期の地震で隆起したというこの「千畳敷海岸」を歩くことができます。この日は夏らしい気温の高い陽気に恵まれて、コバルトブルーに輝く海と、白亜の岩石海岸とのコントラストが絶妙でした。
 
炎天や コバルトブルーの磯の影

高千穂・国見ヶ丘の風景(2014.7.20撮影)



#503 高千穂・国見ヶ丘の風景(宮崎県高千穂町) (2024年7月25日執筆)

 2002年7月27日、改正の熊本空港に降り立ち、九州山地を越えて到達した高千穂の地は、土砂降りの豪雨の下にありました。驟雨の高千穂峡を観た後訪れた国見ヶ丘からは、雨が小康状態となった後の、薄雲を纏った山々の幻想的な風景を展望することができました。秋から初冬にかけての国見ヶ丘は、雲海の名所としても知られています。
 
高千穂の峰 層雲の夏の朝

高千穂・国見ヶ丘の風景(2002.7.27撮影)



#502 生地・漁港近くの海の風景(富山県黒部市) (2024年7月24日執筆)

 2015年7月19日、富山県から石川県にかけての地域を巡りました。富山県黒部市にある生地(いくじ)は、黒部川がつくる扇状地の扇端部に位置する港町です。この日は夏らしい穏やかな青空の一日で、写真のように海も穏やかなアクアブルーを呈してきらめいていました。上述の地形的な影響で、生地の町は湧き水がわくことでも知られています。
 
浜日傘 水平線に 滲む白

生地(いくじ)・漁港近くの海の風景(2015.7.19撮影)



#501 旧下ヨイチ運上家の風景(北海道余市町) (2024年7月23日執筆)

 2018年7月14日、北海道余市町の「旧下ヨイチ運上家」を訪れました。旧下ヨイチ運上家は、運上家と呼ばれる松前藩が交易による利益を家臣に知行の代わりに与えるために作られたものの、道内における唯一の遺構です。広大な蝦夷地を統括した運上家は約80カ所あったと言います。ここが恵み豊かな土地であったことを実感します。
 
夕顔や 蝦夷地の運上家の板間

旧下ヨイチ運上家の風景
旧下ヨイチ運上家の風景(2018.7.14撮影)

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