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俳句の中の地域
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#540 阿蘇・草千里ヶ浜の風景(熊本県阿蘇市) (2024年8月31日執筆) 2001年8月5日、熊本県阿蘇を訪れました。北九州を平戸、島原、天草と巡った後、最後に訪問した阿蘇は、その広大なカルデラの中に、自然が長い長い時間をかけて紡いできた物語を映像として見せてくれていました。過去には甚大な規模の噴火を繰り返してきた阿蘇の、束の間の平穏をみる、8月の光景でした。
#539 開陽台から眺める根釧台地の風景(北海道中標津町) (2024年8月30日執筆) 2013年8月26日、北海道道東の中標津町、開陽台で格子状防風林の広がる風景を眺めました。土壌が痩せた冷涼な気候下の当地において、適した農業は酪農ということで、格子状に防風林を形成した農場が一面に広がる景観が形成されました。人々の開墾への困苦が刻まれたこの風景は、北海道遺産にも認定されています。
#538 高知城から眺める高知市街地の風景(高知市) (2024年8月29日執筆) 2019年8月31日、曇り空の高知市街地の風景です。桂浜のイメージがある高知ですが、市街地そのものは内陸に位置していまして、高知城の天守からも海を望むことはできません。高知城は、また江戸時代から残るいわゆる「現存天守」のひとつとしても知られます。幕末の動乱期に多大な影響力を持った土佐藩の中心地は、現在においても南国の鮮烈な印象そのままの表情を見せているように感じられました。
#537 名勝・猿橋の風景(山梨県大月市) (2024年8月28日執筆) 2020年8月10日、山梨県大月市、日本三奇橋のひとつともされた猿橋を訪れました。相模川の上流にあたる桂川にかかるこの橋は、五街道のひとつ甲州街道の通る交通の要衝でもありました。現在は甲州街道をなぞる国道20号のルートからは外れた人道橋となっています。峡谷をなす桂川にしなやかに架かる橋はとても流麗で、初秋の彩りに満ちていました。
#536 世界文化遺産・大野教会堂の風景(長崎市) (2024年8月27日執筆) 2020年8月26日、長崎市外海の大野教会堂を訪れました。教会堂のある大野集落は東シナ海を望む高台にあって、世界文化遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産の構成資産となっています。教会堂自体も国の重要文化財指定を受けています。1983(明治26)年に、地域の信徒のために営まれた教会堂は、地域の歴史の悲哀と光芒とを今に伝えています。
#535 隠岐・西郷の町並みの俯瞰風景(島根県隠岐の島町) (2024年8月26日執筆) 2022年8月29日、隠岐・島後の西郷にあるホテルから眺めた浅野町並みの俯瞰風景です。隠岐は、一島の「島後(どうご)」と複数の島々からなる「島前(どうぜん)」からなる島々の名前です。西郷は隠岐における最大の都邑で、隠岐を統括する行政機関が集約される町です。穏やかな初秋の海に抱かれる西郷の町並みは、どこまでもたおやかな表情をしていました。
#534 ケヤキ越しのさいたまスーパーアリーナの風景(さいたま市中央区) (2024年8月25日執筆) 2019年8月11日、コンサートを観るためにさいたま市のさいたまスーパーアリーナを訪れました。大規模なコンサートが行われる会場としては最も身近な場所のため、何度も足を運んでいる場所です。JRさいたま新都心駅から直結するアリーナへ向かう途中には欅の植えられた「けやきひろば」があって、残暑のこの日はまだ青々とした葉を繁らせていました。
#533 生駒山上から見た大阪市街地の風景(奈良県生駒市) (2024年8月24日執筆) 2023年8月31日、まだ残暑厳しい奈良県・生駒山上から大阪市街地を遠望しました。彼方には大阪湾の水面を介して六甲山地や淡路島も望むことができます。見渡す限り市街化し尽くされた大阪平野の只中に、市街地の海に浮かぶように大阪都心のビル群が展開しています。大阪平野を飲み込んだ郊外化は、生駒山地を越えて奈良県下へも及んでいます。
#532 首里城公園・守礼門の風景(那覇市) (2024年8月23日執筆) 2017年8月28日、沖縄本島・那覇市周辺を訪れました。暦の上では初秋とは言え、沖縄の8月下旬はまだまだ真夏の雰囲気が濃厚で、まさに真夏さながらの鮮やかな風景が広がっていました。首里城の正門としての位置づけである守礼門も、夏の日差しを返して屹立していて、ここが独自の文化を展開した琉球の本拠であることを主張していました。
#531 壱岐・水田の広がる風景(長崎県壱岐市) (2024年8月22日執筆) 2004年8月31日、長崎県の壱岐を訪れました。当初は対馬からフェリーで壱岐へ向かう予定でしたが、台風の影響で予定を変更し、この九州訪問の日程の最終日に壱岐の地に踏み入れました。平坦地が多く米を自給できるほどの田に恵まれる壱岐の大地は、どこまでもたおやかで、古来議事倭人伝にも書かれたそのままの風光を持っているように感じられました。
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