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俳句の中の地域
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#890 五箇山・菅沼合掌集落の風景(富山県南砺市) (2025年8月16日執筆) 2024年8月11日、初秋とはいえまだまだ残暑厳しき折りの富山県・五箇山を訪れました。菅沼合掌集落では、鮮やかな夏のような日差しの下、エメラルドグリーンばりにきらめく水田の輝きに新鮮な感傷を覚えました。山深き合掌造りの集落の風景に、それぞれの地域の気候に根ざした、豊かな文化の粋を見ました。
#889 生月島、大バエ断崖の風景(長崎県平戸市) (2025年8月15日執筆) 2001年8月3日、福岡市から西へ、北部九州を探勝しました。長崎県北部、平戸島の西に浮かぶ生月島は、1991年に開通した生月大橋によって平戸島から陸路で行けるようになりました。夕刻が迫る中訪れた大バエ断崖は、ダイナミックな高さで東シナ海に対峙していました。輝く夕日の美しさに、キリスト教の哀史を重ねました。
#888 熊野速玉大社境内から見た熊野川の風景(和歌山県新宮市) (2025年8月14日執筆) 2006年8月21日、和歌山県新宮市の熊野速玉大社境内から見た熊野川の様子です。熊野三山のひとつである当社からは、古来より多くの信仰を集めてきた熊野三山の荘厳さを象徴しているかのように、熊野川が悠然と流れているのを俯瞰することができました。先人がそうであったように、紀伊山地の只中を行く大河に、人知を越えた神秘を感じました。
#887 佐賀城址・鯱の門の風景(佐賀市) (2025年8月13日執筆) 2004年8月29日、佐賀市街地を歩きました。前日まで対馬に滞在し、この日はフェリーで壱岐に向かう予定でしたが、台風の影響で欠航となり、何とか就航した飛行機で福岡に入り、予定を変更して壱岐からこの日の夜に到着するつもりだった佐賀市内に先行して入りました。クリークで知られる平地の市街地は、城下町としての風情も加わり、のびやかな表情を見せていました。
#886 伊勢神宮内宮、宇治橋前の風景(三重県伊勢市) (2025年8月12日執筆) 2006年8月19日、最初に訪れた伊勢神宮内宮、宇治橋前の風景です。古来より、多くの日本人にとって、憧れの参詣地であった伊勢神宮は、現在においても多くの人々にとって一度は訪れたい「聖地」であり続けています。門前町である「おはらい町」と境内への入口である宇治橋は、喧噪と静寂との劇的な接点として、眼前に現れました。
#885 隠岐・西ノ島、国賀海岸の風景(島根県西ノ島町) (2025年8月11日執筆) 2022年8月28日、島根県の隠岐、島前の西ノ島、国賀海岸の風景です。奇岩のダイナミックな景観が続く国賀海岸は、初秋のきらめきに満ちた青空の下、極上の青の透明感に包まれていました。写真の海食洞は「通天橋」と呼ばれる、国賀海岸随一の景勝地として知られています。
#884 稲佐山から見た長崎の夜景(長崎市) (2025年8月10日執筆) 2025年8月8日、被爆から80年の原爆の日前夜の長崎市・稲佐山からの夜景です。九州南部、鹿児島県を中心に大雨に見舞われたこの日、長崎も曇りベースの一日であったようで、夜景も時折靄で霞みました。一瞬晴れた靄の向こうの夜景はとびきりの輝きに包まれていまして、訪れていた国内外の多くの人々を魅了していました。
#883 至仏山頂から見た尾瀬ヶ原の風景(群馬県片品村) (2025年8月9日執筆) 2015年8月1日、尾瀬ヶ原の西側に聳える至仏山に登りました。一般的には鳩待峠から小至仏山を通り向かうのですが、至仏山から尾瀬ヶ原へ下るルートが上り専用で、尾瀬ヶ原にも行きたかったので、急登を強いられる尾瀬ヶ原からの登頂にトライしました。案の定、頂上に着く頃にはぐったりしてしまったのですが、眼下の尾瀬ヶ原は筆舌に尽くしがたい美しさでした。
#882 多良間島の海の風景(沖縄県多良間村) (2025年8月8日執筆) 2017年8月26日、沖縄県の宮古列島を訪れました。宮古島に滞在しながら、その南西にある多良間島にも足を伸ばしました。隆起珊瑚礁の島は概ね平坦で、写真のような美しい海にも出会うことができました。島にはフクギ(福木)の並木が多くあって、島を守る防風林としての役割を持つものもあるようでした。
#881 広島市・似島の風景(広島市南区) (2025年8月7日執筆) 2005年8月6日、戦後60年目の原爆の日を迎えた広島市の似島(にのしま)の海です。島には「安芸小富士」と呼ばれる特徴的な山容の山があって、そのシルエットは広島市街地からも望むことができます。似島には明治以降、在外から帰還した兵士の検疫所が置かれていて、原爆投下直後から被災者の救護所として機能しました。
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