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HIROSHIMA REVIEW

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#13 五日市エリアを歩く 〜広島市街地西郊のすがた〜

 己斐周辺歩く前、私は平和大通りにある西観音町電停から路面電車に乗車し、そのまま宮島線を通って五日市方面へと向かいました。途中昼食も兼ねてアルパーク周辺を歩き、広電五日市駅まで再び広電を利用して行きました。広島市西郊の地域は、山陽本線や広電宮島線の車窓から概観したことがあり、海岸に迫る丘陵地で相対的に平坦地が限られるエリアにあって、丘陵地上に大規模な住宅団地が形成されているようすが印象に残っていました。その姿は同じ地方ブロックの中心都市として急成長した仙台市の宅地化の状況と類似する特徴でもあり、仙台に思い入れの強い筆者にとってはなお、広島市郊外の都市化の様子が気になっていました。

 複合商業施設「アルパーク」は、広島都市圏における流通拠点として開発された「商工センター」と通称されるエリアに立地しています。手許にある1950(昭和25)年前後の地形図では、広電線は草津の町を過ぎて海岸線に出た後、しばらく海岸線に沿って線路が付けられているので、このエリアが戦後急速に埋め立てられ、開発が進んだことが分かります。郊外型ショッピングセンターの典型である一方、最寄り駅であるJR新井口駅・広電商工センター入口駅とは動く歩道のあるペデストリアンデッキで接続されていまして、都市型の商業施設としてのアクセス性も考慮されていました。その宙空の歩道を駅方向へ向かっていたときも、目の前の丘陵地には、中高層のマンション群を含む多くの住宅団地が開発されているのが見て取れました。

アルパーク

アルパークから北方向を眺める
(西区草津新町二丁目、2007.9.4撮影)
五日市駅前

JR五日市駅前
(佐伯区五日市駅前一丁目、2007.9.4撮影)
五日市駅前

五日市駅前通り
(佐伯区五日市駅前一丁目、2007.9.4撮影)
八幡川

八幡川流域の景観(見える橋は皆賀橋)
(佐伯区五日市駅前二丁目、2007.9.4撮影)

 五日市駅前は、中層のマンションや商業ビルが穏やかに集積する、都市郊外の駅前という印象でした。広電の駅は、JR駅と隣接し、また連絡通路で相互に結ばれていまして、両駅間の移動や線路の南北間の移動がしやすいような構造になっていました。北口はバスプール・タクシープールを備えたロータリーが整えられていまして、大きすぎず、小さすぎず、おさまりのよい駅前の景観が保たれているように感じます。駅前ロータリーの先、もみじ銀行北側を東西に進むルートが旧西国街道筋で、五日市の伝統的な町場はそのルートの西方、現在の住居表示で五日市一〜四丁目一帯であったようです。駅前を北へ進む通り沿いの市街地はまさに新興市街地の様相で、けやきの並木が美しい現代的な景観でした。

 五日市の名前は、中世以降定期市が開かれてきた町場であることにちなむようです。近世になりますと西国街道筋の宿場的な町場(いわゆる「間の宿」と呼ばれるような町場であったのでしょうか)としての機能も加わって、近在の農村地域が依存する商業地として、一定の中心性を保持してきたようです。また、1948(昭和23)年より貨幣の製造の一貫作業が開始された独立行政法人造幣局広島支局の存在も、五日市を特徴づける事物であるようです。高度経済成長期以降の都市化によって造幣局東側に開通した「産業道路(県道原田五日市線;290号線)」は、中小の商店が立ち並んでいまして、駅前と郊外とをつなぐ現代的な商店街が形成されています。産業道路は造幣局にちなみ、現在は「コイン通り」と呼ぶのが主流のようです。五日市の伝統的な町場からコイン通り沿線、そして三筋川に沿った商業地がゆるやかに連続して、総体として五日市の現在の市街地が構成されているように感じられます。市街地が広がる一方で、八幡川周辺では農村的な緑も散見されまして、自然に近接した、ゆったりとした居住空間としての魅力も備わっています。

コイン通り

造幣局支局前
(佐伯区五日市中央六丁目、2007.9.4撮影)
コイン通り

コイン通りの景観
(佐伯区五日市中央五丁目、2007.9.4撮影)
宅地景観

佐伯区郊外の住宅地景観
(佐伯区倉重三丁目、2007.9.4撮影)
宅地と水田

宅地と水田が見える景観(奥の団地は「観音台」)
(佐伯区倉重三丁目、2007.9.4撮影)

 丘陵地の宅地化の様子を確認するため、広島市植物公園周辺へ向かいました。国道2号線西広島バイパスと山陽自動車道の間の丘陵地には、観音台や薬師が丘、八幡が丘などといった住宅地が連続しています。広島市の地形図を確認しますと、昭和45(1970)年頃の図では一部の団地が完成し、それ以外のエリアでも「造成中」といった文字が並んでいることが見て取れまして、1970年代以降に、急速に当該エリアでの宅地化が進行したことが窺えました。丘陵地に刻まれた谷間には水田や緑が残されて穏やかな佇まいを見せる一方、薬師が丘の家並みの遥か彼方、山の上に展開している住宅団地(「美鈴が丘」であろうと推測されます)が広がる景観は、広域中心都市・広島の趨勢を実感させるに余りあるものでした。1985(昭和60)年3月、旧五日市町が広島市に編入され、その区画を持って広島市佐伯区が編成されました(現在では旧佐伯郡湯来町も編入されています)。その直後の国勢調査で人口が10万人を超えたという事実も、宅地化がいかにこの地域で進んできたかを如実に物語っています。

 先に触れたアルパークが立地する「商工センター」が立地する埋立地は、1971(昭和46)年に策定された「広島西部開発事業計画」に基づき開発されたものであるようです。草津や井口沖の海面を埋め立てるための土砂は、丘陵地における宅地開発で生み出されたものが利用されました。1982(昭和57)年に事業は終了しました。その後上述の佐伯区誕生を経て、広島市街地の郊外地域、丘陵地を中心とした宅地開発はさらに進行して、新交通システム「アストラムライン」開業(1994(平成6)年)に伴う安佐南区などへのエリアへと波及していきました。五日市駅周辺の穏やかな町並みだけを見ますと、急速に勃興した丘陵地域の新興住宅地の存在は俄に想像が及ばないかもしれません。当該丘陵地で運行されるバスは五日市駅へ向かう系統のほか、直接広島都心のバスセンターへ向かう系統も存在しています。

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