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#21 近藤沼から川俣へ ~館林市南部から明和町にかけての風景~

 2020年5月24日、群馬県東部、館林市の近藤沼を訪れました。いわゆる水郷地域として低地や沼沢地の多いこの地域にあって、近藤沼はそうした土地に存在する沼の一つです。現在では釣り堀のように整備されて一般開放され、周辺も「近藤沼公園」として利用され、多くの人々が訪れる場所となっています。

近藤沼公園

近藤沼公園
(館林市下三林町、2020.5.24撮影)
近藤沼付近の田園風景

近藤沼付近の田園風景
(館林市下三林町、2020.5.24撮影)
国道122号

国道122号
(館林市青柳町、2020.5.24撮影)
旧国道122号

旧国道122号の風景
(館林市青柳町、2020.5.24撮影)

 堤には桜も植えられていて、春にはきれいな花を咲かせることが想像できる沼沿いを東へ進みます。堤にはまた柳が植栽されている場所もあり、水辺を志向する柳は、公園として整えられる前から時勢をしていたのかもしれないなと想像します。沼は東西に流れる川に沿った、周囲より一段低い帯状の谷筋に水がたまったもので、低地は基本的に水田として供されてきました。この季節の田は一面の小麦畑で、田植えの時期を前に、小麦色がいよいよ濃くなっていました。その水田を取り囲む微高地には集落があって、坂の上と下とで土地利用が明瞭に違っているのが印象的です。やがて近年整備された新しい国道122号に出てそれを南へ、少し道なりに南へ歩いた後、茂林寺前駅方面へ進むため、再び東へと進路をとります。

 田園地帯から住宅地域へ土地利用が変わるのも、やはり低地から台地へと進んだためです。旧国道122号を少し北へ行った後は、茂林寺前駅へと住宅団地のあるエリアを東へさらに歩きます。駅名にも採られている茂林寺は、上毛かるたでも「分福茶釜の茂林寺」と詠まれるとおり、童話の「分福茶釜」で知られる名刹です。参道にタヌキの置物がたくさん並んでおり、参詣者を迎えていました。茂林寺の北側には、「茂林寺沼湿原」と呼ばれる低地性の湿原が残されています。ヨシやカサスゲなどのイネ科やカヤツリグサ科の草本を中心に、ハンノキやヤナギなどの木、カキツバタなどの貴重な植物が茂林寺沼を中心に自生し、貴重な自然環境が保たれています。湿原内は散策路が設けられていまして、その豊かな自然を体感することができます。

茂林寺前駅

茂林寺前駅
(館林市堀工町、2020.5.24撮影)
茂林寺山門

茂林寺山門
(館林市堀工町、2020.5.24撮影)
茂林寺

茂林寺
(館林市堀工町、2020.5.24撮影)
茂林寺沼湿原

茂林寺沼湿原
(館林市堀工町、2020.5.24撮影)

 茂林寺周辺の自然および文化的な景観を確認した後は、東武伊勢崎線の鉄路に沿うように道を南へ進みました。付近一帯は谷田川に沿って展開する低地で、訪れた季節はそこはまさに小麦色に彩られる場所となっていました。一部の田んぼでは麦の刈り取りがすでに終わり、田植えに向けて水が引き入れられているところもあって、群馬県内でも有数の穀倉地帯である当地の地域性を実感させました。概ね谷田川の水路以南は明和町の範域となります。県内でも最も首都圏に近い位置にある明和町は、農業が中心の町である一方で、東京圏への通勤者も少なくなく、町の中心かつ唯一の駅である川俣駅舎も一新されて、駅の周りには広い駐車場が整備されていました。

 川俣駅周辺を一瞥した後は、国道122号に出て、さらに南、利根川に向けて歩を進めました。2006年から2014年にかけて架け替え工事が行われた新しい昭和橋へ向かう国道の脇、東側にそれる町道を進みますと、かつての日光脇往還の宿場町であった旧川俣宿のあたりへと続いていきます。利根川水運が盛んだった藩政期に繁栄を見せ、鉄道交通の時代の幕開けとともにゆるやかに斜陽化した町並みは、自動車交通全盛となった大幹線である国道122号を横目に、ひっそりとした佇まいを見せていました。川俣の地はまた、足尾鉱毒事件を受けて政府へ陳情しようとした住民と警官隊とが衝突した「川俣事件」の舞台ともなりました。こうした幾多の歴史を経た現代の町並みの先には、利根川のゆったりとした流れが静かに横たわっていました。

川俣事件衝突の地碑

川俣事件衝突の地碑
(明和町川俣、2020.5.24撮影)
川俣の町並み

川俣の町並み
(明和町川俣、2020.5.24撮影)
利根川

利根川
(明和町川俣、2020.5.24撮影)
明和町の田園風景

明和町の田園風景
(明和町川俣、2020.5.24撮影)

 明和町の田園風景を確認した後は、国道122号を北へ戻り、自動車を止めていた近藤沼公園まで、雄大な低地がつくる農地と水路の織りなす景観の中を歩きました。初夏の穏やかな気候の下、植物や作物は徐々に熱量を増していく日の光を受け止めながら、人々の日常に寄り添っているようにも感じられました。


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