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りょうもうWalker

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#22 世良田地区南部を歩く ~地域の歴史を感じる田園風景~

 2020年5月30日、太田市南西部・世良田地区にある歴史公園に車を止めて、西接する伊勢崎市境エリアを回りつつ利根川河畔の境平塚地区へと到達していた私は、上武大橋北詰の境平塚交差点を東へ、太田市域の世良田地区へと進みました。地域を貫流する早川の流域は概ね畑地となっていて、早川を渡る橋の上からは彼方に赤城山の山稜をうっすらと望むことができました。

早川越しに赤城山を望む

早川越しに赤城山を望む
(伊勢崎市/太田市境、2020.5.30撮影)
縁切寺満徳寺資料館

縁切寺満徳寺資料館
(太田市徳川町、2020.5.30撮影)
大和神社(行者堂)

大和神社(行者堂)
(太田市出塚町、2020.5.30撮影)
東楊寺

東楊寺
(太田市大舘町、2020.5.30撮影)

 早川左岸の地名は「徳川町」です。徳川家康が自身のルーツが清和源氏の世良田氏にあるとして、その世良田氏が名乗った経緯があることなどから、「徳川氏」へと改姓していますが、その発祥の地がこの徳川町であるとされます。徳川町自体は小規模な集落で、県道沿いに昔ながらの家並を今に伝えています。地区には縁切寺として知られた満徳寺がかつて存在しており(1872(明治5)年に廃寺)、その境内地は満徳寺遺跡として県史跡指定を受け、隣接して縁切寺満徳寺資料館が開設されています。県道をさらに東へ、行者堂とも呼ばれる大和神社の小さなお社を経て進みますと、東楊寺へと至ります。東楊寺のある大舘地区はこの付近に藩領を持っていた津軽藩の陣屋が置かれていた場所で、東楊寺にはその代官の五輪塔などゆかりの史跡が残されています。

 津軽藩分家・黒石二代の津軽信敏が再建したと伝わる大舘八幡宮を参詣した後は、大舘地区を北へ進み、新田氏の一族である大舘氏館跡に残る小社を訪ねました。耕地整理により館跡そのものは失われていますが、小字にその名残を認めることができることが現地の案内板により語られていました。初夏の青空の下、周辺の耕地は収穫を間近に控えて色づく小麦を除いては作付け前の茫漠とした畑地が広がっていまして、徐々に新緑が深みを増す風景は、盛夏へ向けての一時の清涼感に包まれるような静かさに溢れているように感じられました。

大舘八幡宮

大舘八幡宮
(太田市大舘町、2020.5.30撮影)
麦秋の風景

麦秋の風景
(太田市大舘町、2020.5.30撮影)
大舘氏館跡

大舘氏館跡
(太田市大舘町、2020.5.30撮影)
普門寺

普門寺
(太田市世良田町、2020.5.30撮影)

 茂林寺周辺の自然および文化的な景観を確認した後は、東武伊勢崎線の鉄路に沿うように道を南へ進みました。付近一帯は谷田川に沿って展開する低地で、訪れた季節はそこはまさに小麦色に彩られる場所となっていました。一部の田んぼでは麦の刈り取りがすでに終わり、田植えに向けて水が引き入れられているところもあって、群馬県内でも有数の穀倉地帯である当地の地域性を実感させました。概ね谷田川の水路以南は明和町の範域となります。県内でも最も首都圏に近い位置にある明和町は、農業が中心の町である一方で、東京圏への通勤者も少なくなく、町の中心かつ唯一の駅である川俣駅舎も一新されて、駅の周りには広い駐車場が整備されていました。

 安養寺町から出塚町、そして世良田町へ、だんだんと夕闇が迫るのびやかな田園景観の中を、ゆっくりと歩を進めていきます。旧国道354号の南に沿って進む市道(長楽寺の勅使門前に至る道)をたどり、天台宗の寺院・普門寺の門前へ。比叡山飯室谷の静算によって寛弘年中(1004~1008)に開かれたとされ、南北朝時代には関東天台の名刹と謡われました。梵鐘は、1681(天和元)年に市内下田島に居住した交代寄合格の旗本、岩松万次郎富純の母慶閑より寄進にされたもので、江戸神田鍛冶町の鋳物師宇田川善太郎重久によって鋳造されたと伝わります。青葉が濃くなった参道の桜はいよいよその葉一枚一枚につややかさが増し、紫陽花も少しづつその鮮やかさを加えつつありました。

普門寺梵鐘

普門寺梵鐘
(太田市世良田町、2020.5.30撮影)
普門寺の参道

普門寺の参道
(太田市世良田町、2020.5.30撮影)
長楽寺勅使門

長楽寺勅使門
(太田市世良田町、2020.5.30撮影)
世良田東照宮

世良田東照宮
(太田市世良田町、2020.5.30撮影)

 長楽寺の勅使門の前を通り、東照宮の境内を進んで、資料館の駐車場へと戻り、この日の活動を終えました。この日の前半の境エリアでのフィールドワークと併せ、かつての世良田村の藩域を進んだ今回の彷徨は、歴史的な風景が残るこのエリアの地域性と、近代以降勃興した中心地の盛衰の中で太田市(旧尾島町)と伊勢崎市(旧境町)とに離合した経緯なども感じられるものであったように思いました。


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