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点描千葉市とその周辺


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#8 城下町佐倉 〜住宅都市の中に歴史が佇む街〜 後編

甚大寺付近の町並みを訪ねた後、鉤の手に戻ると、豆腐売りの「トーフー」というチャルメラ風の音が聞こえました。見ると、鉤の手のところで、豆腐の移動販売車が止まり、多くの買い物客が集っていました。こんな光景に出会えるのも、佐倉の街の、歴史の面影をふんだんに残した性格のなせる業なのかもしれません。

鉤の手から、再び新町を今度は西に取って返して、レトロ感覚溢れる町並みを楽しみながら、新町交差点に達して、丁字路の信号のたもとに、「佐倉町道路元標」なる石碑を発見。やはり、この界隈が昔から佐倉の町の中心であることを再確認しました。このあたりから、JR佐倉駅までは下り坂になり、彼方に住宅地や商業地などが広がる低地の景観が豊かに眺められました。

佐倉市新町の景観

佐倉市新町の景観
(2003.2.8撮影)
佐倉町道路元標

「佐倉町道路元標」の碑
(佐倉市新町、2003.2.8撮影)

互い違いになっている新町交差点から、西に入る街路へと進みます。程なくして到達したのが、麻賀多(まかた)神社、城下町佐倉の総鎮守です。大きな注連縄の渡された鳥居の向こう、入母屋の社殿が豊かな杜の下鎮座していました。10月14日から16日までの祭礼には、江戸中期製作の山車や神輿が繰り出すのだそうです。

ここから南、宮小路町は、並木町あたりの喧騒から離れた、ほんとうに穏やかな住宅地が展開します。モータリゼーションの進展により自動車の排気や騒音と日々関わりながらの生活環境が当たり前のようになって久しく、そのことをしばしば憂慮する見方もありますが、一方においてそういったものとは無縁の、落ち着いた場所が存在するのであれば、この場所の価値を逆に賛美したほうがよっぽどヘルシーなのかもしれないな、宮小路町を歩いていてふとそんな考えが浮かびました。物は考えようです。

この界隈は、昔ながらの武家屋敷(旧河原家住宅、旧但馬家住宅など)が美しく保存・整備されていて、「武家屋敷通」と呼ばれているようでした。これらの建物の雰囲気に加え、周辺の住宅も豊富な緑と落ち着いた色彩の建物とでまとめられていまして、それらの総体として、この界隈の風情がつくられているのではと感じました。武家屋敷通の西端、台地上の末端に大聖院。穏やかに成長した竹林を背負ったそのお寺はまさに静寂の中にありました。

裏手の「ひよどり坂」を下り、台地に貫入した谷地(住宅地になっていました)を遡って坂を登ると、佐倉城址公園のある台地上に達します。市民体育館からは、元気のいい子供たちの声が木霊します。体育館から西へ進むと、市営住宅の北に「佐倉城大手門跡」の表示と石碑。表示には明治5年頃撮影の、往時の大手門の姿が示されていました。現在、城に関連した建物はまったくなく、公園として供されており、多くの市民が訪れて、運動をしたり、散策をしたりしていましたね。また、空堀も多く掘られていて、要害の城の在りし日が垣間見られるようでした。

旧但馬家住宅

旧但馬家住宅
(佐倉市宮小路町、2003.2.8撮影)
佐倉城址公園

佐倉城址公園
(佐倉市城内町、2003.2.8撮影)

城址公園の北側には、国立歴史民俗博物館の巨大な建物。時間の制約から、入館したものの、すべての展示を見ることはできませんでした。とにかく、豊富な展示資料、詳細な解説文、広々とした展示スペースに圧倒されます。やはり、ここを訪れる際には、どの時代の何が見たいかを予め整理しておいて、そのことに集中して展示を楽しみ、企画展を堪能するといったスタイルにしたほうが、より濃密な見学をすることができるのだと思いますね。外壁に大きく「歴博」の文字が、印象的な、すてきな博物館でした。

市役所へ戻る帰路、城下町の主要な町であった田町の路地を経由しました。ここも、自動車が溢れかえる成田街道から外れた、穏やかな雰囲気と、スポット的に残る昔ながらの住宅や商店の風情とが、とても好感が持てます。それらが、佐倉城下町の乗る台地の緑に囲まれて、心温まる景観をつくっているかのようです。急な坂を上がって市役所に戻りました。

佐倉は、現在では京成線や総武線沿線を中心に住宅地が開発されて、首都圏の住宅都市としての性格を強めつつあるように思われますが、その中においても、城下町としての伝統を随所に感じさせる、歴史のエッセンスいっぱいの、情緒豊かなまちでした。帰路、江原新田の新田集落の景観を一瞥しながら、佐倉城下町の乗る丘陵のような台地を遠望しました。低地に住宅地などが発達していなかった近世の時分では、佐倉のお城とその城下町は、この近隣にあって、燦然としたランドマークであったに違いありません。

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