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白百合の誘(いざな)い
〜2006 伊勢・熊野訪問記〜

2006年8月末、伊勢・熊野を訪れました。夏の大地や海は太陽の神々しさそのままの輝きをみなぎらせているように感じられました。行く先々に咲く白百合に誘われながらの行程だったように思います。


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ページ設置:2006年11月19日

この地域文は、「伊勢市街地を巡る」  「鳥羽から新宮へ」  「中辺路を行く」 の三部構成となっています。

追記「2013年・式年遷宮訪問記
※2013(平成25)年の第62回式年遷宮が進む伊勢神宮を訪問した記録です。
             

白百合の誘(いざな)い

山を駆ける 海に向かう そして空に思う
たおやかな山並みは快い風を海原に吹かせて
返す波はひとひらの便箋となってこの夏の記憶を写す

豊穣の香りをいっぱいに含ませた水田の只中を
海岸を、峠を、道は進んでいく
あの山の頂の彼方へ
あの海の波濤の届く先へ
あの雲が流れる気流の方向へ
人々の累々の祈りを昇華させて道はつづいていく

路傍の白百合は夏の残照に揺れて
道の行き先をささやいているようだった



伊勢市街地を巡る

 2006年8月19日、前夜さいたま市・大宮駅前を出発した夜行バスは三重県内の諸都市を経由しながら伊勢市内に入り、午前8時過ぎにJR伊勢市駅前に到着しました。この年の3月に訪れて以来の伊勢の町並みは、伊勢神宮外宮へと続く参道と共に変わらぬ姿を見せていました。古来より篤い崇敬を受けてきた伊勢神宮−正式には単に「神宮」と称します−は、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)の2社を中心として、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社の総称とされています。伊勢市駅前からは外宮に向かってまっすぐに通りが伸びていまして、両側に旅館や土産物店などをたくさん従えていました。朝早い時間帯であるため、人影はまばらでした。しかし、閑散としている分、かえって“表参道”としての駅前通りの広さが実感されます。初詣の時期などはこの通りも芋を洗うような人出となるのでしょうか、そんな想像もはたらきます。

 駅前のロータリーを思わせるようなゆったりとしたバス停群を従えた外宮の杜は、うっそうとしながらも深閑とした雰囲気を濃厚に携えているように感じられました。宮の祭神である豊受大御神は、天照大神の御饌(みけ;食事のこと)を司り、衣・食・住をはじめすべての産業の守護神として崇められる存在です。春先に訪れた伊勢は、時折冷たい風が吹きながらも、やわらかな日差しの下にありました。駅前の一角が高いフェンスで囲まれて更地となっている景観に地方都市としての厳しさを実感していたのも一瞬で、外宮へと足を踏み入れると共にその圧倒的な存在感に徐々に引き込まれていったのが思い出されます。時間とお金があれば訪れることが容易な現在と違い、「お伊勢参り」として徒歩にて訪れた参詣者にとっては、その高揚感は比較にならないほど大きなものであったのではないでしょうか。

駅前通りの景観

外宮へ向かう駅前通りの景観
(伊勢市本町、2006.8.19撮影)
外宮入口

外宮入口
(伊勢市豊川町、2006.8.19撮影)
外宮・正宮

外宮・正宮
(伊勢市豊川町、2006.8.19撮影)
式年遷宮予定地

外宮・式年遷宮予定地
(伊勢市豊川町、2006.8.19撮影)

 いくつかの鳥居をくぐって、朝のさわやかな空気の中、掃き清められた参道を進んでいきます。やがて板垣、外玉垣(とのたまがき)、内玉垣、瑞玉垣の4つの玉垣に囲まれているという正宮前へと至ります。参拝は外玉垣南御門前からとなります。周囲は太幾本の大杉がまさに「林立」して、常緑の照葉樹が輝きます。この地域における古来の原植生はこのようであったのだろうかとの思いが沸いてくるような光景です。正宮の左に隣接して、古殿地と呼ばれる敷地が存在します。ここは20年に一度、正殿をはじめ玉垣や御門、神宝などすべてを新しくする「神宮式年遷宮」のためのものです(次回の式年遷宮は2013[平成25]年に行われます)。殿地南の御池が並ぶ一帯がかつて宮川の流路であったということを観光ツアーのガイドが伝えていました。正殿へのお参り後、隣接する多賀宮、土宮、風宮の別宮へ参り、宮城外にある月夜見宮へ向かいました。外宮北御門前から月夜見宮へと続く道は「神路(かみぢ)通り」と呼ばれているようでした。それは月夜見宮の祭神・月夜見尊(つきよみのみこと)が夜な夜な外宮に通う道といわれており、中央を歩かない風習があったとされるのだそうです。月夜見宮も宮城内の厳かな雰囲気そのままに鎮座していました。現代の市街地の中にあってそれとは緩やかに隔てられた神域が体現されることは、この町ならではの凄みなのではないでしょうか。

 外宮にて体感した、自然美の中に凝縮された荘厳な佇まいは、外宮前に戻りバスにて向かった内宮でもまた同様に展開されました。五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、五十鈴川の清らかな流れが洗う御手洗場で身を清めた後、滝祭神、風日祈宮とめぐり、内宮正殿を参拝、荒祭宮を詣でて、門前町として豊かな町屋景観が整えられた「おはらい町」へ。前回の式年遷宮が挙行された1993(平成5)年に、江戸時代以来の町並み保存や再現されました。個性的な土産物店などが立ち並ぶ「おかげ横丁」とともに、芋を洗うような人出でした。参拝者が詰めかけて渋滞する内宮前の道を行き、「みちひらき」の神として崇敬を集めている猿田彦神社をお参りしました。境内内外には「佐瑠女(さるめ)神社例祭」に伴うものと思われる紅白の提燈がたくさん奉納されていました。

神路通

神路通の景観
(伊勢市宮後一丁目/一志町、2006.8.19撮影)
内宮・宇治橋

内宮・宇治橋
(伊勢市宇治今在家町、2006.8.19撮影)
内宮・御手洗場

内宮・御手洗場(五十鈴川)
(伊勢市宇治館町、2006.8.19撮影)


内宮・正宮
(伊勢市宇治館町、2006.8.19撮影)

 内宮別宮である月読宮への参拝を挟みながら、内宮から市街地へは、旧参宮(古市)街道を歩いて戻ります。かつてお伊勢参りに訪れた参宮客は、外宮参拝の後この参宮街道を通って内宮へと向かいました。街道は“間山(あいのやま)”と呼ばれる丘陵地を越えていくため、若干のアップダウンがあります。猿田彦神社の境内地の林を右手に、「宇治惣門跡」と記された石碑があります。俗に「黒門」と呼ばれたこの門の傍らには明治維新まで番屋があったことが石碑に刻まれていました。坂を登りきり、奉納された大きな常夜燈の前を行き、伊勢自動車道の上を越えますと、古市へと至ります。

 古市は江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大遊郭のひとつがあったことで知られ、全盛期には妓楼70軒、遊女1,000人を抱えていたといわれています。また、伊勢歌舞伎と称された歌舞伎も演じられ、上方役者の登竜門ともなっていた歴史もあります。現在では旧街道筋に穏やかな町並みが続く都市近郊の住宅地域となっている古市の中にあって、江戸期より唯一現存する旅館が「麻吉(あさきち)」であるのだそうです。懸崖造り、六層に及ぶ寄棟の建物最上層からは朝熊山や二見ヶ浦などを望めることから「聚遠楼」の名で喧伝されていたそうです。

おはらい町

おはらい町の景観
(伊勢市宇治中之切町、2006.8.19撮影)
常夜燈

旧参宮街道・常夜燈
(伊勢市桜木町、2006.8.19撮影)
古市の景観

古市の景観
(伊勢市中之町、2006.8.19撮影)
麻吉旅館

麻吉旅館
(伊勢市中之町、2006.8.19撮影)

 宇治山田駅の駅舎は度会府庁舎跡地にあって、明るいベージュ色の壁面が印象的なモダンな建物です。前面に上部を梯形に角ばらせたアーチ状の五連のファサードが設えられた駅舎は、外壁をクリーム色のテラコッタによって細かく装飾されていまして、シンプルかつ壮麗なデザインが光ります。1933(昭和6)年に宇治山田(伊勢市の旧称、宇治は内宮の鳥居前町、山田は外宮の鳥居前町で、現在の伊勢中心市街地)の玄関口たるターミナルとして完成した駅舎は2001(平成13)年に国の登録有形文化財に指定されています。伊勢観光をリードするごとく高架の線路が延びる近鉄線と、ローカル線色の濃厚な単線のJR参宮線のガード下をくぐって、“伊勢の台所”として門前町の流通を支えた商業町・河崎へと向かいました。水運が物資の輸送の主役だった江戸時代、勢田川に沿って発達した河崎の町に紡がれてきた、お伊勢参りの興隆と共に豊かさを増してきた歴史は、妻入りの町並みに随所に認めることができました。駅周辺の密集した住商混在地域から続く細い路地を抜けて歩いていきますと、町場の景観は次第に昔風に変わっていきました。奥行のある町屋は通りに面して格子壁と庇を広げて、往時の姿を忍ばせます。通りが時折のこぎり状に凹凸があるところも昔を語っているように感じられます。「河崎まちなみ館」はかつての酒問屋の蔵を利用した資料館です。付近には大きく庇を広げたたくさんの町屋や蔵が集まっていて、河崎の町並みの美しさが凝縮された一角を構成しています。

 勢田川の川岸に出ますと、そんなたおやかな河崎の町並みを穏やかな水辺を介して眺めることができます。緩やかな川の流れと町並みのシルエットの彼方にはたなびくような山並みも重なります。河川改修もあり、この町が最も繁栄した時期における川の様子や位置などは現在のそれとは異なっているようです。しかしながら、この川が伊勢神宮を巡る人々の生活に不可欠な多くの物資を運び、まちを潤したことを考えますと、河崎の古い町並みを見守るようなこの川の佇まいの中にその凄みが実感されます。河崎から勢田川の流れを下流に進みますと、二軒茶屋と呼ばれる一角へとたどり着きます。旧参宮街道が県道と落ち合う場所に、老舗の餅屋・角屋(現在の二軒茶屋餅店)があります。この角屋のほか、東隣に湊屋と呼ばれた茶屋があったため、二軒茶屋と呼ばれたこの河岸には、志摩や尾張、三河、遠江などから船でやってきた参宮者(どんどこ、どんどこと笛太鼓をかき鳴らしながら上陸したため、その船を「どんどこ船」、また参宮者を「どんとこさん」と呼んだとのことです)が多く上陸し、伊勢神宮を目指したといいます。付近は角屋をはじめいくつかの古い町屋や蔵造りの建物が残されていまして、伊勢神宮を中心とした「お伊勢参り」の残したのびやかな遺産がここにもいきいきと残されていました。


宇治山田駅

近鉄宇治山田駅
(伊勢市岩渕二丁目、2006.8.19撮影)
河崎の景観

河崎まちなみ館付近の景観
(伊勢市河崎二丁目、2006.8.19撮影)
河崎・勢田川沿いの景観

河崎・勢田川沿いの景観
(伊勢市河崎二/三丁目、2006.8.19撮影)
二軒茶屋

二軒茶屋の景観
(伊勢市神久六丁目、2006.8.19撮影)

 伊勢神宮、外宮・内宮の神社たちとの出会いに始まり、古市や河崎などの穏やかな町並みに触れることのできた伊勢散策は、春先に初めて訪れたときと同様にみずみずしい感動と憧憬とを心に刻み込ませた道のりであったように感じられます。河崎の先にある二軒茶屋などを回ることができた分、あるいはそれ以上であったといえるのかもしれません。神宮では深き緑に囲まれた静かな空間に純粋に向き合って、古来より脈々と受け継がれてきた景観や遺産に対する畏敬の念を思い、それぞれの神前において、日本の諸地域に思いをいたして、その永遠の安寧と発展とをお祈りしました。また、今日の伊勢の町−かつては外宮・内宮それぞれも門前町の併称から「宇治山田」と呼ばれた−の基盤の直接の礎となった門前町としての気風は、内宮門前のおはらい町をはじめ、古市や河崎において濃厚に息づいていました。春風に吹かれながら町を巡ったあの時の感慨は、その余韻のままに残暑の季節に受け継がれていまして、「神都」たる伊勢市街地を歩くことができたように思います。

 「鳥羽から新宮へ」へ続きます。


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