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#4 丸山宿の景観 〜穏やかな田園風景を歩く〜 上州の初夏は目映いばかりの麦の穂波で彩られます。5月から6月にかけては稲の裏作として小麦が水田いっぱいにさみどり色に輝いて、青空の下に展開される風景はまさに群馬県における風物詩の一つと言えるでしょう。現在は衰退の一途をたどっている養蚕は群馬県における主力産業の一つであり、群馬県における田植えが入梅前後と他の地域よりやや遅れるのは養蚕の繁忙期の後に田植えを行うためであると聞いたことがあります。春の鮮やかな花々が咲く中、山々の新緑と麦の穂とが最高のグラデーションをつくっていた2009年4月、太田市北部の毛里田(もりた)地区を散策しました。
毛里田地区を東西に貫く県道39号(主要地方道足利伊勢崎線)は、地区を南北に連絡する県道316号(旧国道122号・県道太田桐生線)とともに拠点都市間を接続する主要路として供されてきました。この二つの道が接合する場所に設けられたのが、今回ご紹介する丸山宿です。宿の成立は1606(慶長11)年とされ、太田宿と桐生とを結ぶ宿場としてつくられたといわれているようです。 現在の両県道は直線的に整備されているため、旧道と完全には合致していません。丸山宿は両県道が交差する丸山交差点の北、丸山宿交差点で県道316号を東西に横切る街路沿い(足利伊勢崎道の旧道)に形成されています。太田桐生を連結する旧道は丸山宿でクランク状に連接していたようで、太田方面からの旧道は現在の県道の東、大圓寺の西で丸山宿の通りに突き当たるルート、そして桐生方面への旧道は現県道の西約50メートルほどを北へ折れる道路であるようです。街路の中央を水路が流れ、両側に土蔵や薬医門を擁する古い建物が穏やかに残る宿場の風景は宿の西側に小ぢんまりと聳える薬師山に向かって実に落ち着いたたたずまいを見せています。藩政期から近代にかけて各地で存立した市場町の姿の典型は、まさに丸山宿の風景そのものであるとも言えるのかもしれませんね。
宿場町の通りを西へ進み、カタクリの群生地としても知られる薬師山の北側を歩いてきますと、冒頭にお話ししたさわやかな麦の風景が目の前に展開してきます。足利伊勢崎道の旧道は薬師山の北をかすめて進み、新田堀用水に行き当たってからは水路に沿って西へ進んでいたようです。用水路に沿った道路には「西 大原宿 伊勢崎道 東 足利町 桐生町道」と刻まれた道標やお地蔵様があって、道行く人の安全を祈った往時の風景が想起されました。 付近には最近になって整備された北部運動公園があり、折しも一面に芝桜の花が咲き誇る季節を迎えていました。道すがらにもヤグルマギクや菜の花の黄色、ライラックの落ち着いた薄紫など、たくさんの初夏の色彩があふれていました。そうしたみずみずしい初夏の色たちを総括するように丘一面にひろがるピンクや純白の絨毯は、やがておとずれる夏本番をたぐりよせるような爽快さや力強さのようなものを感じさせてあまりあるものでした。 |
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