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#5 太田市石橋を歩く 〜駅名に名を残す結節点(ノード)〜 地域を歩く視点の一つとして、重要な交通路の結節点を見つけるというものがあります。それが都市の場合、その町が建設された基礎となった場所、あるいは高札場など町に居住する人々にとって大切と思わせる町の中心と重なることが多く、いわば町の顔たる場所であることが多いためです。主要な道路が交差する場所や渡河点、河岸などもそういった結節点としての要素を持つ場合があって、そこに人々が集まり、市が立ち、やがて町場が形成されるといった過程を経ることも多いものです。前項の丸山宿もその好例であるといえましょう。今回ご紹介するのはその丸山宿から西、県道足利伊勢崎線を約3.5キロメートル進んだ場所にある石橋町界隈です。東武桐生線治良門橋駅が所在し、小規模ながら一定の商業集積が認められるエリアです。
ここで、この治良門橋駅です。「じろえんばしえき」と読む、なかなかの難読駅名です。周囲は石橋町や成塚町といった町名であり、駅の名前の由来ではないようです。東武鉄道の説明によりますと、鳥山村(現在の太田市鳥山の各町)の篤農家・天笠治郎右衛門(あまがさ じろうえもん)に由来する名前であるようです。治郎右衛門は江戸時代初期の人物で、用水路や川に石橋を架けたり、地域の寺に鐘を寄進したりしています(市指定文化財・妙英寺の梵鐘)。石橋十字路の東、蛇川に架かる橋はその石橋を端緒とするもので、現在でも「次郎右衛門橋」の名がつけられています。東武線の治良門橋駅や三枚橋駅はそうした地域の偉人が架けた橋を駅名に採ったものであるようです。主要な道路が交差しかつ目立ったランドマークとなった石橋の周辺にはやがて町場が整えられていったようです。
この現在の治良門橋駅周辺の町場は架けられた石橋に因んで石橋と通称されるようになり、町名設定時に正式な住所地名となりました。鉄路を超え、それに沿うように流下する蛇川を越えますと、北に広がる八王子山丘陵との間はのびやかな田園地帯となっています。成塚町内には住宅団地が建設され、近年は北関東自動車道が東西に貫通するようになったものの、もともとこの地域の集落は丘陵の山際に近いところに分布し、渡良瀬川の作る扇状地の一端であるこの平坦地は集落に近い部分を除いて雑木林の広がる地域であったようです。 折しも麦秋の季節を迎え、小麦色に輝く水田では麦の刈入れが進むと同時に、刈り取りが終わった田では徐々に水が引き入れられ、田植えの準備が進められつつありました。新緑は成熟して夏の色をなお濃くして、盛夏に向かって一段とスピートをあげていく気配を感じているようでした。 |
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