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#20 太田市生品地区を歩く 〜大間々扇状地を体感する〜 2020年7月17日、自宅から市西部・新田地域にあるショッピングセンター近くまでを歩きました。太田市の中央部には金山丘陵があり、その東側を渡良瀬川が流れています。渡良瀬川はみどり市大間々地区の市街地があるあたりから山間から低地に出て、利根川に合流するまでは低地を流下していきます。金山丘陵の西側は比較的低平な大地が展開していますが、ここはかつて渡良瀬川が流れていたこともある地帯で、地形としては大間々を扇頂部とした扇状地ということになります。歴史的には「笠懸野」と呼ばれた場所で、平安時代以降、「新田荘」として開発が進められた場所でもあります。
太田市街地を抜け、町を南北に貫流する桜の名所、八瀬川沿いを北へ細い道を進みます。川の南岸にある八幡山の頂上には、山上を利用しつくられた八幡山古墳が残されています。古墳のある場所は八幡神社が祀られていまして、古墳時代から時を超えて地域の祈りの場として重視された場所であることをそれらは物語っているようでした。八幡山を西側に降りて県道太田大間々線を北へ、鳥之郷地区の主邑である鳥山地区を抜け、さらに西へ進んでいきますと、周囲に田園地帯が開けて、かつての荘園時代から開拓されてきた大地の雰囲気が感じられるようになります。この日は曇天で視界が開けていませんが、天気がよければ北側に赤城山を間近に望み、そこから西へ、上越国境の山々や浅間山などをダイナミックに見通すことができます。 土地改良により直線的な流路となった蛇川を越えますと、近年市によって開発された住宅団地・パルタウン城西の杜へと至ります。現代的な戸建て住宅が建ち並ぶ一角を経ますと、再び水田が大きく広がるエリアへと行き着きます。道路の南側は工業団地として整備されつつある区画となっていて、それが完成しますとまた新たな景観がここに現れることとなるように思います。このあたりからは、合併前の旧新田町の範域となり、さらに遡れば旧生品村の範囲となります。かつて新田義貞が鎌倉幕府倒幕のために旗揚げをしたことで知られる生品神社もこの地域に鎮座しています。小金井や市野井など、「井」の付く地名が散見されるのは、この一帯が大間々扇状地の扇端部にあたり、多くの湧水に恵まれたことと関係しています。現在でもいくつかの湧水点があり、この場所が扇状地の末端となっていることを知ることができます。
生品地区の集落の中を歩きながら、地区を東西に貫く動脈である県道2号へと出てさらに進みますと、太田市新田庁舎やエアリスホールなどの公共施設が集約された場所へと至ります。隣接地にはジョイフル本田を各店舗とする大規模な商業地域があって、そこは日々多くの買物客を集めるエリアとなっています。かつて新田荘が開かれて美田が開かれた大地は、往時の農村的な集落風景を残しながらも、現代的な開発がかなり進む場所もあって、この地域の歴史的な変化を端的に感じることができるように思います。 |
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