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関東の諸都市・地域を歩く
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#109 春日部市内牧地区を歩く 〜市街地に近接する緑と味覚の里〜 2016年10月29日、埼玉県東部の春日部市を訪れました。秋の爽やかな空にはしなやかな雲が浮かんでいまして、徐々に冬へと近づく季節感に満ちていました。駅東口をまっすぐに進んで2つめの信号で交差する東西の通りがかつての日光・奥州街道筋で、藩政期は粕壁と表記された現在の中心市街地は、日本橋から4番目の粕壁宿をその基盤としています(春日部の町並みについては、以前に本稿でご紹介しています)。
街道筋を西へ、昔ながらの土蔵造と近代的なタワーマンション(BELISTAタワー春日部)とが重なる風景を進みますと、程なくして街道は最勝院の門前に行き着きます。日光(奥州)街道はこれより手前の交差点で右へ折れて、新町橋を渡り北進していまして、最勝院の門前で道は南へ折れて岩槻方面へ向かっていました(なお、寺院の東側を迂回し進む現在の道路は藩政期には無く、新しくつくられたルートであるようです)。岩槻へと進む道筋には最勝院のほかいくつかの寺院が集まる寺町となっています。その道程は東武アーバンパークラインの線路と重なるなどして現在の町並みの中に埋もれ、幹線道路としての役割は県道2号へと移っているようです。 成就院の壮麗な三門を一瞥し、鉄路を渡って春日部八幡神社へ。一帯は豊かな森に覆われており、八幡公園として整えられています。公園内はちょっとした高まりとなっています。これは「中川低地の河畔砂丘群(浜川戸砂丘)」として県天然記念物の指定を受ける内陸性の砂丘です。砂丘には八幡神社のほか、八幡稲荷神社も鎮座していまして、緑濃い砂丘の森林の中に溶け込むようにあるのが印象的でした。自然が形づくった砂丘が穏やかな暖地性の森をつくり、それが神社の社叢となっている風景は、自然と常に寄り添い文化を育んできた我が国の歴史と重なるようにも思われました。八木崎駅前を通り、北春日部駅付近まで市街地を貫く環状線である「かえで通り」を歩き、国道16号を越えて古隅田川を渡り進みます。春日部の中心市街地を流れる大落古利根川など、「隅田」や「利根」などの名称に「古」の字を冠する河川の存在は、関東平野における河川の乱流と改良の歴史を今に伝えるものです。かえで通り周辺の新市街地を西に逸れて、春日部市街地に西接する内牧地区の田園地帯へと歩を進めました。
内牧(うちまき)地区は、春日部市の中心市街地から西に位置する、梨園などを中心とした農園が多く立地する近郊農業地域です。地域の入口には「緑と味覚の里 内牧へようこそ」と掲げられた案内図が掲出されていました。地区は北と南を小規模な谷津の低地に囲まれた功績台地上に位置しています。その南側の低地を望む台地上には、アスレチック場やバーベキュー広場などが整備された内牧公園があって、そこは豊かな林に包まれた地域の憩いのスペースとなっています。さいたま市岩槻区との境界ともなってる低地には現在も広大な水田が広がっています。公園の近傍には古墳群があり、公園内にも竪穴式住居広場があるなど、広々とした低地を望む台地上は古来より人々の生活の場となっていたことが窺われます。台地上は主に畑と住居とが点在するのびやかな景観が卓越していまして、秋から冬へ向かう季節、畑には多様な野菜が栽培されていました。 地区の農産物が集まる「四季の里 うちまき」で小休止した後は、香取神社と鷲宮神社それぞれの分霊を合殿したと伝えられる内牧鷲香取神社を確認し、地区の東側に開発された住宅団地を経て北側の低地へと進み、北春日部駅の自由通路を経て県道85号へと出て、そのまま春日部市街地へと戻りました。洋々とした水田の彼方には市街地のタワーマンションが屹立していまして、郊外の田園地帯の中心にベッドタウンとして成長したまちの現在を農耕に感じさせました。 ※このフィールドワークは、この日を含め期間限定で開催されていた東武健康ハイキング「春日部内牧エリア 緑と味覚の里ハイキング」に参加することにより実施しました。 |
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