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関東の諸都市・地域を歩く
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#122 海老名から座間へ ~再開発の現場から湧水の町へ~ 2017年2月4日、横浜市街地再訪を終えた私は、鉄路でJR海老名駅へ移動し、活動を再開しました。東名高速道路の海老名サービスエリアでも知られるこの町は、現在海老名駅周辺の再開発により急速に注目度が上昇しています。海老名駅は小田急線と相模鉄道線、JR相模線が収束する神奈川県中部における結節点で、各線の出入口間には自由通路が完成し、利便性が格段に向上していました。JR線の北側には「ららぽーと海老名」が完成して再開発が進むとともに、JRと小田急線間の街区も再開発計画が進んでいるようでした。海老名駅のある場所を含む一帯は、相模川左岸に広がる低地で、元来は一面の水田地帯でした。
小田急線の駅の東口に出ますと、複合商業施設「ビナウォーク」を中心に、マルイやTOHOシネマズなど多くの店舗が集積していまして、活気のある駅前の繁華街が形成されていました。店舗に囲まれる海老名中央公園の真ん中には、市の観光シンボルモニュメントと題された七重の塔が建てられていまして、周辺の現代的な景観と対照を見せていました。この商業エリアから北東の段丘上には相模国分寺跡があり、このモニュメントは復元図を元に実物の約3分の1スケールで完成させたものであると説明されていました。この辺りの地名も「国分」で、この地に国分寺が立地したことを今に伝えています(なお、相模国府は現在の平塚市にあり、相模国では国府と国分寺がやや離れて立地していました)。駅周辺の商業地域を抜け、国分坂下交差点から段丘崖の勾配を上り詰めていきますと、県道沿いにひときわ大きいケヤキの木が枝を伸ばしていました。海老名の大ケヤキとして県天然記念物指定を受けるその大木は、交通量の多い県道が根元にまで迫り、どこか窮屈そうにしているように見えました。かつては台地の斜面林に立ち、西側の相模川がつくる低地を望んでいたであろうケヤキは、現代の風景を隔世の感で見つめているのでしょうか。 大ケヤキの脇の市道を入り、さらに歩きますと、相模國分寺の境内へとたどり着きます。相模国分寺の後継寺院である寺域からは、郊外における商業中心地域として著しい成長を見せる海老名市街地の建物群によって往時よりは視界が狭まっているとはいいながらも、彼方に大山や丹沢方面の山並みを美しく見通すことができました。かつては相模川流域をその中心的な範域としてきたと思われる相模野一帯を広く俯瞰することができたことでしょう。相模國分寺の北側には、その国分寺跡が史跡公園として整えられていました。金堂跡や塔跡などが基壇や礎石を復元することによって配置されていまして、かつての大伽藍を偲ぶことができます。国分寺跡の四方はほぼ住宅地となっていまして、宅地の中にあるまとまった空間である敷地内では、多くの市民が思い思いに休日を過ごしている様子を確認することができました。
国分寺跡の東を貫通する県道407号に出て北へ進み、相模鉄道線の踏切を越えてさらに住宅地域内を歩いて行きますと、小田急線と交わる手前の西側に国分尼寺跡も一部残されています。発掘調査により国分寺よりは一回り小さい規模であったことが分かった尼寺跡には、小さなお社が佇んでいまして、歴史の流れを実感させました。東側の丘陵上には彌生神社が、桜並木の参道と、銀杏と思われる並木が植えられた石段の先に鎮座していました。付近は清水寺公園として豊かな緑に包まれています。清水寺は国分尼寺と縁のある古刹の名で、その観音堂は龍峰寺の仏殿として使用されているもののようです。彌生神社から龍峰寺の境内からも、現代の海老名市街地を間近に見下ろすことができました。 小田急線を越え、国道246号(大和厚木バイパス)の高架下をくぐって、小田急線沿いに続く住宅地域の中をさらに北へと歩を進めていきます。東側の丘陵上は団地として開発されている地区も多く認められまして、首都圏からの郊外化が進展した地域の今を間近に視認できます。地図を見ますと、この付近では小田急線とJR相模線がほぼ並行しているのですが、小田急線は台地上を進む一方で相模線は段丘崖の崖下に沿って路線を延ばしているのが対照的であることが分かります。これも都心から放射状に延びて市街化を牽引した前者と、相模川の土砂運搬を主目的として建設された後者との背景の相違が反映されたものであるように思われました。やがて、座間市との境界が近づくにつれて畑地も垣間見られるようになり、この地域が宅地化する以前の土地利用を彷彿させました。
座間駅が近くなりますと再び建物の密度が増して、座間市の中心市街地へと誘われました。県道は、奈良時代に行基が建立したと伝えられる星谷観音(星谷寺)の境内に突き当たります。ここから西へ、段丘崖を降りたあたりが「湧水と歴史の里 鈴鹿・長宿」と呼ばれるエリアです。地域を縦貫する県道51号の西に鎮座する鈴鹿明神の境内脇には清らかな湧水が側溝を流れていまして、それが龍源院の境内から流出していることが解説されていました。段丘の斜面林の穏やかな森と、そこから湧き出る清らかな水に包まれるようなこの界隈は、その落ち着いた町並みもあいまって、とても清浄な印象を与えていました。かつて座間郷と呼ばれた地域の中心的な集落を形成していたこの町場は、東西の「天王・大縄道」と、ここから南下した「藤沢街道」が結節する場所でした。 現代における郊外の商業中心として興隆する海老名の駅前から歴史を感じさせる地域へと及んだ今回の彷徨は、歴史の舞台として輝き続けた地域の姿と、現在の市街地の趨勢、そしてそれらを包含するようにたおやかな姿を見せる相模川の段丘がつくる地形と雄大な山並みとが渾然となった色彩を帯びているように感じられました。 |
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