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関東の諸都市・地域を歩く
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#123 いすみ市、海岸と田園の風景 ~早春の外房を歩く~ 2017年3月4日、千葉県いすみ市の太東駅に到着したのは午前9時10分過ぎでした。地元を約5時30分に出発し、東武線から武蔵野線、総武線、外房線と乗り継いでの移動でした。切り妻屋根の小さな駅舎の周辺はまとまった住宅地で、「椎木商店街」のアーチが架けられた駅前通りがありました。ただ、そこには個人経営と思しき商店とJAの支所以外にはめぼしい施設は無く、地方における商業環境の現状を反映しているようでした。なお、この地域における伝統的な町場は駅の西側を南北に通過する県道152号沿いに街村状に発達していたようで、現在でも県道沿線の方が多く商店があるようでした。駅南側を東西に貫通する県道の踏切を越えて東進しますと、程なくして田園風景が広がってきます。
県道を北に折れて、まだ何も植わっていない茶色の水田の中を歩きます。畦にはオオイヌノフグリやホトケノザなどの春の花が咲いていまして、穏やかな日射しを受けています。千葉県内でも最大の流域面積を持つ夷隅川の下流域に位置するこの地域は伝統的に水田耕作が行われてきました。地域の人々はその豊富な支流を堰き止めて、農業用水として供してきました。椎木堰もそのひとつで、時期的に水はほとんどありませんでしたが、その広がりからは、地域の耕作を支えてきた歴史を何より物語っていました。丘陵性の台地と低地との境界にそって、集落も続いていきます。家々は暖地性の照葉樹に覆われていまして、丘陵の植生と一体化したような風景が印象的です。菜の花や河津桜なども咲き誇っていまして、春の訪れを穏やかに感じながら、台地を背にする集落とその前を進む生活道路と、低地に広がる水田のつくるたおやかな景観の中、快い散策を進めていきます。地区には特産という梨畑も点在しています。丘陵を石段で上った先には地域の鎮守・玉崎神社。古来より物部系の氏族を祀る社として創建された由緒を持つ神社は、照葉樹のしなやかな社叢に覆われていまして、地域を優しく見守っているように感じられました。 台地の際に寄り添うような集落を進み、再び広大な田園の中を歩きます。路傍には芽吹き始めたヨモギやセリ、土筆などが見られまして、春浅い水田をやさしく縁取っていました。外房を縦貫する国道128号を越えますと、海に向かって高台へ分け入るような形となります。水田として利用される平坦地と、丘陵に近い部分の集落と畑地とが続く景観を越えて、坂道を歩いた先には大正堰が豊かな水を湛えていました。堤の傍らからは水面を介して西側に展開する、夷隅川の下流一帯の低地の風景を俯瞰することができます。そこからさらに小さな峠道を上り詰めた先に、太平洋へと着き出した太東崎がありました。1703(元禄16)年に発生した元禄大地震によって大きく崩落し、浸食を受ける形で成立した太東崎は、房総半島の中程にあって太平洋に大きく張り出すような格好となって、北から続く九十九里浜のエンドマークとなっています。1952(昭和27)年より現在の形での運用が開始された太東崎灯台の立つ岬からは、雄大な太平洋と、その南に広がる、夷隅川河口付近の海岸線と低地とを見晴らすことができました。
太東崎からは元来た道を折り返し、「波の伊八」の名で知られる宮彫り師の作品が現存する飯縄寺(いづなでら)へ。茅葺・朱塗りの仁王門が威容を誇る境内へ進んで、躍動感のある横波の彫刻が欄間に施された堂内を参詣しました。立体感に富んだその作風は、葛飾北斎の富嶽三十六景の代表作の一つ「神奈川沖浪裏」のデザインにも影響を与えたといわれています。波の伊八が掘り出した作品は、先ほど眺めた太東崎の先の太平洋がつくる荒波に着想を得たものとも伝わります。その優れた作品の数々は、海と山とが隣り合わせに存在し、茫洋たる大海と向き合ってきた外房の風土の結晶であるように感じられました。寺院は豊かな暖地性の植生に覆われていまして、周囲の集落の佇まいの中に穏やかに調和していました。 飯縄寺からは再び国道沿いに出て、南へ向かいます。房総半島有数の河川である夷隅川を渡り、広大な水田の中を海岸方向へ進みます。海岸近くを緩やかに流れる江場土川に架かる橋には「黒潮橋」のプレートが取り付けられていまして、南海へと続く当地の地域性を実感します。九十九里ヴィラそとぼう近くで小休止した後、海岸線に沿って続く遊歩道を進みました。夷隅川から大原港へと続く砂浜海岸は、北側は和泉浦、中南部辺りは日在浦海岸と呼ばれていまして、その中を進むサイクリングロードは太東崎を挟んで九十九里浜へと至るハイキングコースである「関東ふれあいの道・九十九里の砂をふみしめて歩くみち」の一部を構成する道筋でもあるようでした。松林や篠竹などからなる防風林を抜けて、砂浜に沿って歩を進めました。打ち寄せる波は時折激しく逆巻くように打ち寄せて、波の伊八の彫刻さながらの迫力を感じさせました。
豊かなさざなみが春風を染み渡らせる中、海岸線をしばらく歩いて、南端の大原漁港へと到達しました。旧大原町は平成の大合併により誕生した現在のいすみ市を構成した3つの町(他の2つは夷隅町、岬町)の中で最大の規模を持つ市街地を形成しています。南側に張り出した岬に守られるようにしてある大原漁港は風浪を避けられる良港として存立し、港を中心に成長した町並みは明治期の地勢図を見ますと「字小浜」と記載されていまして、現在のJR大原駅西側の市街地である「字大原町」とは別の町場を構成した歴史があるようでした。ただし、地勢図ではその2つの市街地をと連接する道路沿いにも市街地が数珠状に連なっていまして、両市街地が一帯となった今日へと続く萌芽も読み取ることができます。大原駅周辺の市街地は多くの商店がまとまって存在していまして、この地域の中心商業地としての規模を備えているように感じられました。 |
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