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関東の諸都市・地域を歩く
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#171 奥日光・中禅寺湖畔を歩く ~盛夏の雨の中の湖と森~ 2020年7月28日、東武日光駅に早朝のうちに着き、湯元温泉行きのバスに乗り換え、中禅寺湖畔のボートハウスまでやってきました。この日は朝からどんよりとした曇り空で、やわらかに雨の降る生憎の陽気となっていました。湖を望むデッキはぐっしょりと水に濡れていて、鈍色に沈む湖面の向こうの山並みも靄に一部が隠されていました。この日の目的である、ウォーキングのコースマップを片手に、湖畔を周遊する歩道へと向かいました。
湖岸線に寄り添うように続く歩道は、舗装されない山道で、豊かな森に包まれる下を続いていきます。湖岸へ降りられる場所もあって、高原の静かな湖も間近にしていることも、散策の足取りをより軽やかにさせてくれています。盛夏の成熟した木々の下をしばし歩いて行きますと、十三番と呼ばれる地点へと至りました。付近には「西十三番園地」名付けられたスペースもあります。明治時代に入り、ヨーロッパの気候と似て、また風光明媚な中禅寺湖畔には多くの海外公使の別荘地が切り開かれました。それらは湖の入口から西、そして南へ順番に番号が振られ、この西十三番地にはフィンランド公使の別荘があったと言われているのだそうです。ミズナラやブナがみずみずしい緑の天蓋の下、気持ちよく歩を進めていきます。 ルートは時折湖岸をゆく国道120号の脇に出たり、木道で沢を渡ったりしながら、土の道となって湖のほとりを進んでいきます。大崎のバス停を経て、さらにしなやかな森の中を歩み、「西六番園地」へと到達しました。ここは1924(大正13)年に、中禅寺湖を拠点として設立された外国人の社交倶楽部「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」の別荘地として使用されていた場所です。暖炉や煙突、石積みなど当時のままに残されたものもあって、四阿やベンチなどが配された園地内からは、別荘地からの風景がどのようなものであったかを窺い知ることができました。相変わらず曇り空の下の湖面は静かに佇んでいまして、豊かな森に包まれた対岸をより幻想的なものへと変えていました。
やがて、湖の東側の湖岸が間近になって、木々に隠れるようにしてある立木観音(中禅寺)の結構が見えるようになっていきます。二荒山神社中宮祠の鳥居のあるあたりからは、湖岸は森を抜けて、土産物店やボート乗り場などがある、観光施設が集まるエリアへと周囲は移り変わります。二荒山神社は下野国一之宮で、中宮は男体山頂に鎮座する奥宮への登拝口となります。中宮祠からは男体山が望めるわけですが、この時は中腹より上は雲に隠れていました。湖岸へと戻り、二荒山神社の大鳥居のある交差点からは、一路中禅寺湖の東岸を進みました。これまでは湖越しに見えていた立木観音の参道ともなっている道を歩きます。ホテルや民宿、土産物店が並ぶ一角には、フランス大使館やベルギー大使館の別荘も現役で残っていまして、保養地から観光地へと変化してきた湖畔の近現代史を実感させました。 土産物店街の先に、立木観音(中禅寺)の楼門が目に入ってきます。同寺は、世界遺産・輪王寺の別院で、784(延暦3)年、日光開山の祖である勝道上人によって建立されましたと伝わります。勝道上人が湖上に見いだした千手観音を、桂の立木に掘ったものが、本尊である十一面千手観世音菩薩(国重要文化財)であるとされます。壮麗な朱色にまとめられた寺院の横を過ぎますと、門前の商店街はなくなって、湖岸は再び穏やかな木々に覆われる風景となります。しばらく森の中を歩いた先には、英国大使館別荘記念公園と、さらにその奥にイタリア大使館別荘記念公園が整えられています。湖に静かに望む別荘の建物は、ゆったりとした時間を過ごせる休憩・カフェスペースとなって一般に供されていまして、テラスやベンチなどからゆったりと、中禅寺湖と背後の山々とを眺めることができるようになっています。
終始小雨が降りる曇天の下の訪問となりましたが、中禅寺湖は曇り空の下で静かな佇まいを見せていまして、成熟した葉を繁らせた森や木々を纏わせた周囲の山々へ、こころゆくまでそのみずみずしさを届けているように感じられました。 |
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