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関東の諸都市・地域を歩く
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#20 世界遺産・日光を歩く 〜一大観光地の光と影〜 2006年3月20日、今市市、日光市を中心とした2市2町1村が大同合併し、栃木県の面積の約4分の1を占めるという広大な新・日光市が成立しました。名称は「日光」となったものの、市役所は人口最大だった今市に置かれ、従前の日光市役所は「日光市役所日光総合支所」という位置づけとなっているようです。今般の「平成の大合併」によって多くの市町村が淘汰され、その多くは地域の中心都市に合流、あるいは同程度の複数自治体が統合、という形をとりました。その中にあって市名が存続する一方で新市の事務所が名前の存続した旧市の域外に位置づけられるというケースも少なからず認められました。 私は比較的日光(ここではだだっ広い現在の日光市ではなく、狭い意味での「日光」です)近い位置に居住しています。とはいえ、日光へ行くのはたいてい中禅寺湖や戦場ヶ原などの奥日光方面ばかりで、日光東照宮などのある日光の旧市街地方面は通過したことがあるだけでいまだにしっかりと歩いたことのないエリアでした。2006年9月3日、そんな日光の今を感じようと思い、出かけてみることといたしました。国道122号線を北へ、桐生市、みどり市、桐生市、みどり市とめまぐるしく入れ替わる渡良瀬川河谷を進み、やはり新しい日光市の一部となった足尾を通過し日光へと入っていきます。
日本三大瀑布の中で最後の訪問となる華厳の滝の豪快な姿を確認した後、いろは坂を縫って日光市街地へ。自動車から降りて日光の旧市街地をまず散策します。1919(大正8)年、大名ホテルとして建築された日光総合支所の建物は、洋風建築の上に和風の屋根を載せた、いわゆる帝冠様式のテイストを感じさせる建物です。外国人向けのホテルとしてつくられた経緯もあり、市街地を見下ろせる高台にかろやかに鎮座している印象です。日光総合支所は日光山内入口の「神橋」にも近い位置にあり、東武・JRの日光駅までの間に比較的コンパクトな市街地-日光の旧市街地-が連接しています。世界遺産である寺社群と、豊かな自然環境とを擁する日光は観光地として輝きを見せるエリアとしてはやや精彩を欠いているように感じられます。 もちろん意匠を凝らして多くの客を呼び込む店もある一方で、軒が朽ちた建物も散見されます。日光山内の穏やかな緑の中にゆるやかに展開している市街地景観の美しさのなかにあって、ひっきりなしに自動車が通過する車道の活況と市街地との対比は、やはり今日の中小都市における市街地の空洞化の問題を浮き彫りにしているように思われます。巨大な山小屋のような大きな屋根と、バス発着所やロータリーとを備えた東武日光駅と、小ぢんまりとしながらも日光総合支所同様に和洋折衷の佇まいを見せるJR日光駅(1912[大正元]年建築)のコントラストは、近代から現代にかけても良質な観光地として行き続けてきた日光の歴史を移す鏡のようにも感じられます。駅前からは日光街道杉並木もつながっていきます。
駅前からは路線バスを利用し、世界遺産エリアへと向かいました。「日光」の語源は、二荒(ふたら)」を「にこう」と音読して、それに「日光」の字を充てたもの。さらにその「ふたら」については、諸説あるものの、「補陀洛(ふだらく)山(筆者注:下に書きますとおりこれはここでは男体山を指します)」、梵語のPOTALAKA(観音浄土)が記録としては古くて、これを「二荒」にしたとするのが通説であるとのことです(日光市サイトによる解説を一部推敲して掲載)。東照宮へと続く広い参道は穏やかな杉木立とともにあって、荘厳な雰囲気を醸しています。東照宮、二荒山神社及び輪王寺を併せて日光二社一寺と通称される日光山内の社寺は1871(明治4)年の神仏分離令以前は神仏習合により一体のものとして「日光山」と総称される存在でありました。日光山の歴史は766(天平神護2)年、勝道上人が補陀洛山に登頂することを志して大谷川を渡って草庵を結んだことに始まるとされます。この草庵は現在の四本龍寺であり、輪王寺の発祥とされます。勝道はその後中禅寺湖畔に二荒の大神を奉祀し、併せて神宮寺を建立したとされます(それぞれ現在の奥社・中宮祠・中禅寺)となって、以後神仏習合の中で神社としての二荒山と寺院としての日光山と双方の性格を併せ持った信仰の場として歴史を紡いでいくことになっていったわけです(参考文献:『栃木県の歴史散歩』山川出版社)。近世に徳川家康の霊廟である東照宮が建立され、今日へと至っています。 「三猿」や「眠り猫」などの造作、豪華絢爛で著名な陽明門などの文化財を拝観しながら、日光山内をめぐりました。その装飾があまりに精緻で結構善美を尽くし見飽きないことから別名「日暮門」とも呼ばれる陽明門は果たしてたいへんに壮麗なつくりでして、同様の仕様でかがやくような社殿とともに、純粋に美しい遺産として、拝見することができました。二荒山神社への参拝を経て、再び杉の大木が続く参道を抜け、輪王寺の境内を見学しながら、日光山内の入口神橋を日光橋上より望みながら、自動車を駐車していた駐車場まで戻り、この日のフィールドワークを終えました。聞きしに勝る世界遺産・日光山内の社寺のすばらしさを堪能しながらも、神橋を渡った先に広がる市街地の佇まいを見ますと、どこかもどかしい気持ちになるのでした。 |
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