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関東の諸都市・地域を歩く


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#8 南房総・館山市の町並み 〜館山から北条へ〜

現在、各地の主要都市として一定の都市基盤を持つ都市の多くは、その礎を江戸時代に持つところが多いように思います。これは、日本の近代都市の多くが、江戸期に形成された城下町の市街地を受け継いでいることと関係しているといえます。江戸期になり、大きな戦乱から開放された都市は、より居住に便利で、かつ物流の拠点性にも優れた立地を志向しました。戦国期からの、防衛を重視した城郭の所在地に、都市のオリジンをシンボライズさせながらも、都市はより水陸交通の要たるロケーションへと、その展開すべき場所を移していったわけです。明治期以降、近代化が推し進められると、こうした都市構造の一大変化を巻き起こす起爆剤となった事象の1つが、鉄道の開通、駅の設置でありました。鉄道の発達は、従来の水上交通よりも格段に効率性・安全性の高い物資の移動を担保し、都市の商業機能の枠組みに少なからぬ影響を与えました。こうして、それぞれの時代における町並みの変容は、幾層にもそのまちに堆積し、そのまちの特徴的な容貌を形成してきたといえるのではないでしょうか。南房総・館山市の市街地を歩きながら、このような、都市の緩やかな、時として劇的な、変化の姿を概観してみようと思います。

城山公園は、JR館山駅の南、館山市の市街地に南から流入する汐入川を渡った先、洲崎へ向かう県道の南の小高い丘につくられた公園です。公園からは、「鏡ヶ浦」と称えられる館山湾に向かい、穏やかに成長を遂げた館山市街地を一望の元に見渡すことができます。鏡ヶ浦の向こうには、三浦半島の島影や富士山の姿も、うっすらながら確認することができました。安房のやわらかな丘陵の山なみに抱かれた大地は、とても温かみを感じる植生にしっとりとつつまれながら、海の恵み、山の恵みを享受してきた地域のすがたをそのままに表現しているように感じられます。城山公園は、その名に示すとおり、かつての館山城跡に開かれました。頂上には、二重櫓に入母屋の大屋根をかけ、その上に小望楼を載せた、天正年間の天守を模したという建物が建設されており、館山市立博物館別館として供されています。館山城跡は、里見義康公忠義公居城跡です。忠義は、1614(慶長19)年、伯耆の国への移封を命じられたため、房総における里見氏終焉の地です。その後館山城の城郭はことごとく棄却され、現在は山裾に掘削された堀の跡などの僅かな遺構を残すのみとなっているようです。

里見氏が開いた館山の町は、江戸期に入り、江戸湾の入口にある要衝として大いに栄えたようで、東北の諸藩の御用米を扱う船宿の存在や、東北方面から薪や炭、米などを積んでやってきた廻船や、江戸を行き来する押送船(おしょくりぶね)などが多く停泊するなど、館山は里見氏の威光を反映した活気ある港町となっていたわけです。その賑わいは明治期になっても衰えることを知らなかったようで、館山港には、東京へ向かう汽船が入港し、周辺地域の主だった中心地機能は、館山の町に拠点を置くことが多かったのだそうです。城山公園を下り、再び県道へ下ります。周辺はごく一般的な、住宅と商店とが混在する地域であるように見えます。その中で、「仲町」「下町」といったバス停名が一際目を惹きました。時代が移り変わっても、そのバス停の名は、館山の町の凄みを静かに物語っているように思いました。「館山市」という自治体名も、この地域から発祥しました。

館山湾と館山

城山公園より館山湾・館山の町を望む
(館山市館山、2005.3.12撮影)

北条(館山市街地)

城山公園より北条の町(館山市街地)を望む
(館山市館山、2005.3.12撮影)

館山の町並み

館山の町並み
(館山市館山、2005.3.12撮影)
館山銀座

北条、館山銀座商店街の町並み
(館山市北条、2005.3.12撮影)


下町交差点から、北へ向かい、館山港方面へと歩きます。このあたりには、敷地の大きい屋敷や町屋が並んでいまして、さすがにかつて繁栄を極めた港町らしい風情をみせています。冬から春にかけて、関東地方の典型的な気象は、北西季節風が卓越し乾燥した晴天が続く、というものです。しかし、この日はたいへんに風が強く、時間が建つにつれて空は鉛色となっていきます。徐々に強い寒気が近づいてきた影響でした。それに加えて、南関東の沿岸地域では、富士山周辺をよけて東寄りに相模湾を吹き抜ける風と、北西からの季節風とがぶつかって局地的に前線面が発達して、意外に雲の多い天気になることが多いものです。早春のまどろみを凍えさせるような寒さを含ませた鈍色の空は、そんな房総の風土を色濃く染め上げる淡くも鋭いビロードのようでもありました。

1915(大正8)年、「安房北条駅」として開業したJR館山駅は、オレンジの屋根に花壇があしらわれたベランダを持つ、どこか南欧のコテージを思わせるような、温かみ溢れる駅舎が印象的です。駅前ロータリーの中央、まるい花壇にはポピーの花が植え付けられ、その真ん中には「カナリーヤシ」の木が風に葉を揺らして駅を行き来する人々を迎えています。1947(昭和22)年に、駅前ロータリーが完成したのと同時に移植されたもので、駅前のシンボル的な存在です。旧駅名が示すとおり、この付近一帯の町名は「北条」です。中世の城郭から港町へと発展した館山に対し、北条の町は館山平野の平坦な地域に位置する、現代の館山市の中心的な役割を担う町です。市役所や各種行政機関も、この町に多く立地しています。駅前の通りを東へ、ほどなくして北条、そして館山市のメインストリート、「館山銀座」へ行き着きます。歩いている人の数を、それを押しのけるようにして過ぎ行く車両のそれが大きく凌駕している通りは、それでも新鮮な青果を扱う八百屋や魚屋などが立地し、昔ながらの商いが行われているようでした。複数の銀行の支店や、信用金庫の店舗など、金融機関の支店が集積しているのも、地域の中心地としての拠点性を感じさせます。JR線西側は、穏やかな海岸線に向かう開放的な市街地です。北条は、館山と共に港町として賑わいを見せた後、鉄道の敷設により一気に新市街地として成長を見せた町です。砂浜沿いにはやはりヤシの並木が南国の地らしいエッセンスを景観に付加し、春の陽だまりのような色彩の菜の花が、鮮やかな裾模様を演出していました。

JR館山駅前ロータリー

JR館山駅前ロータリー
(館山市北条、2005.3.12撮影)




JR館山駅西口
(館山市北条、2005.3.12撮影)

期間限定設置のようです

JR館山駅前“花のかまくら”
(館山市北条、2005.3.12撮影)

菜の花と町並み

館山銀座南側の通り、菜の花の見える景観
(館山市長須賀、2005.3.12撮影)


館山の町を歩きますと、この時期、たくさんの花たちに出会います。駅前には花々で飾られた「花のかまくら」が設置され、訪れる人々の目を和ませていましたし、団地の垣根にはミモザのふわふわしたレモン色の花弁が溢れ、菜の花、ポピー、キンギョソウ、パンジー、ビオラ、キンセンカなどの花たちは家々の軒先や道路沿いのプランター、花屋の店先などでとびきりの微笑をみせていました。館山から北条へと続く、館山市の地域構造の変化は、そんなそれぞれに個性のある花の輝きそのままの穏やかさを秘めているようにも思えます。地域にはそれぞれの味わいがあり、そのテイストが集って、まちとしての魅力が磨かれていくのではないか、館山市の町並みを歩くと、そんな思いが強くなるような気がします。


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