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関東の諸都市・地域を歩く
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#84 清水公園と利根運河沿いを歩く 〜桜にあふれる里山の風景〜 2014年4月5日、関東内陸の各地で数日前にソメイヨシノが満開を迎えた千葉県北西部の野田市を訪れました。ちょうどこの月の初めから、東武野田線は「アーバンパークライン」の愛称がつけられていまして、車両には徐々に愛称が付けられ始めているようでした。最初の目的地は、同市にある「日本さくら名所100選」にも数えられる桜の名所・清水公園です。最寄りの清水公園駅で下車し、公園へ続く道路を西へ歩き始めました。同駅の東側では大規模な宅地開発が行われていまして、つくばエクスプレス開業に伴い都心へのアクセスが向上したことと、豊かな自然環境に比較的恵まれていることなどから、東京大都市圏近郊の住宅地域として、野田線沿線も価値を上げてきていることを実感しました。
清水公園は、面積約28万平方メートルを誇る民営の自然公園です。公園の西を流れる江戸川を望む台地の縁、江戸川の支流が形成する谷津地形を利用した、緑豊かな公園です。駅から公園へと続く道路沿いにもソメイヨシノが植栽されていまして、淡い桜色のさざなみを公園へのアプローチにしているように感じられます。公園の入り口には金乗院が隣接しており、同院の仁王門が朱塗りの鮮やかな色彩を見せていまして、さながら公園の和風なゲートのような立ち位置に建立されています。境内には「劫初(ごうしょ)の桜」と名付けられた桜があり、春空に透かされて瞬いていました。約百年の老木で、近年うろから新しい幹が生じ蘇ったとのことです。仏教の世界観では4つの「劫」が1サイクルをなし生滅を繰り返すとされ、そのうちの1つである「劫初(新たな命が生まれる時期)」をその桜の名としたものであると解説されていました。 清水公園は、1894(明治27)年、醤油醸造業の柏家五代目当主茂木柏衛翁が、金乗院から取りを借り受けて遊園地を建設したことが始まりで、以降周辺の山野を整備しながら施設が整えられ、今日まで多くの市民に親しまれる公園となっています。四季折々に美しい色彩であふれる花木のほか、フィールドアスレチックやキャンプ場など、身近なレジャーやアクティビティ施設も充実しています。訪れたこの日は、園内一体にあふれるようにソメイヨシノがいっせいに花開き、ツツジやユキヤナギなどの晩春から初夏に盛りとなる花々とともに、春本番の季節を感じさせてくれました。
清水公園での桜を観賞した後は、公園南にある旧家(旧花野井家住宅・国指定重要文化財)を一瞥しながら清水公園駅へ戻り、南へ4駅の場所にある運河駅へ移動しました。運河駅は野田市に南接する流山市の範域となります。運河駅の名前の由来は、駅のすぐ北を東西に流れる利根運河です。利根運河は、利根川と江戸川とを連絡する運河で、総延長は約8.5キロメートル、1890(明治23)年に竣工しました。太平洋岸から東京へと続く舟運は、当時銚子から利根川を上り江戸川の分流点である関宿を経由し東京へ向かうルートが主流でしたが、そのルートをショートカットし輸送効率を上げる目的で運河の建設が企図されました。往時には年間3万7千隻あまりの航行があったという利根運河はいま物流の担い手としての役割を終え、治水・利水と風光という新たな機能を果たしています。 運河駅周辺でも、利根運河に沿って多くのソメイヨシノが植栽されていまして、春うららかな陽気の下、息をのむような桜色のヴェールが萌黄色に染まる土手の上にはためいていました。菜の花も鮮やかなレモンイエローを呈していまして、野山を明るく照らしているように感じられます。両側に桜並木が続く土手を歩き到達した「眺望の丘」と名付けられた場所からは、桜色と淡い空色が大地を軸に一体となって運河周辺を春一色に染める風景を楽しむことができました。利根運河からは南の住宅地域を歩きながら、江戸川台駅まで進んでこのエリアの訪問を終えました。台地と谷津とが連続する地域には随所に森があって、芽吹きの季節を迎えていました。 |
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