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関東の諸都市・地域を歩く
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#94 奥多摩の森を見つめる 〜東京の水がめとしての樹林〜 2015年11月1日、東京都の大部分をその流域に含めて身近な自然とのふれあいの場を提供し、また生活用水の供給源として人々に寄り添ってきた多摩川の上流域を訪ねました。多摩川の谷口集落である青梅の市街地を抜け、青梅街道を多摩川に沿ってドライブを進めました。秋も深まって木々も色づき始めており、穏やかな秋空から下りるやわらかな日光に照らされていました。
奥多摩湖のほとりの「水と緑のふれあい館」で小休止し、奥多摩湖を作り出している小河内(おごうち)ダムのダムサイトへと歩を進めました。奥多摩湖は正式には「小河内貯水池」といい、多摩川を小河内ダムによって堰き止めた人造湖です。なだらかな山々に抱かれる湖面はとても穏やかで、やや雲の多い秋の空をゆったりとその水面に映して、わずかに揺れるさざ波に、水晶のようなきらめきをほとばしらせていました。ダムの上には展望塔があり、その上からは奥多摩湖全体を美しく見渡すことができるほか、下流側の深い渓谷の様子も確かめることができます。上流に一定量の容積を確保することができる川の狭隘部で、膨大な水の圧力を受け止めうる立地が選定された過程を実感させる景観であったように思います。 小河内ダムは、東京大都市圏のさらなる成長を見越し、1926(大正15)年に当時の東京市会が水道100年の計画実現の要望を議決したことがその建設の契機となりました。工事は1932(昭和7)年に決定、1938(昭和13)年11月に着工、戦争による5年の中断を挟み、1957(昭和32)年11月に完成しました。旧小河内村の945世帯が移転し、約150億円の総工費を要した、一大プロジェクトでした。水道専用の貯水池としては完成当時は世界最大、現在においても有数の規模を誇るダム湖です。今日では東京の水資源の主力は武蔵水路を介した利根川水系へと移り変わっていますが、小河内ダムの貯水量は東京における有力な生活用水として、重要な位置づけにあることには変わりありません。
奥多摩湖畔をさらに進みますと、山梨県域へと入ります。多摩川の上流部は丹波川(たばがわ)と呼ばれ、山梨県内ですが東京都の水道水源林として東京都による保全管理が行われている森も多く存在しています。黄葉に包まれた美しい渓流や、丹波山村の穏やかな集落を抜けてさらに山道を進み、国道が甲府盆地へと下る柳沢峠へと至りました。峠の周辺には売店もあり、富士山も美しく眺望できます。また、「水源地ふれあいのみち」として、ブナやミズナラ、モミなどからなる天然林の散策ができる「ブナのみち」も整備されていまして、快いトレッキングを楽しむこともできます。日本におけるブナにはブナとイヌブナがあり、ブナは「シロブナ」、イヌブナは「クロブナ」と呼ぶこと、標高1000メートル付近を境に高所にはブナが、低所にはイヌブナが卓越することが表示板により解説されていました。すっかり葉を落とした森は傾き始めた夕日の残照を枝先に透かせて、足許にいっぱいに蓄えられた落ち葉の上にその光量を届かせていました。 |
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