Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次
関東の諸都市・地域を歩く
←#94(奥多摩編)のページへ |
#96(つくば編)のページへ→ |
|||||||||||||||||||||||
#95 つくば道と北条の町並み 〜筑波山に抱かれた参詣道を行く〜 2016年1月31日、冬晴れのつくば市を訪れました。つくば市は「筑波研究学園都市」として1960年代以降計画的に形成された研究開発機能の集中立地によって象徴される都市であることは知られています。2005年8月には東京都心(秋葉原)と直結する「つくばエクスプレス」が開業したことにより、さらに多くの人口流入を受けて、茨城県南地域における中核的な都市としても存在感を増しています。今回訪れた場所は、市名にもなっている筑波山の南麓、研究学園都市の中心エリアからは北へ離れた北条(ほうじょう)地区です。農村的な土地利用が卓越していた時代から地域の在郷町として発達してきた場所で、現在でも旧街道沿いに穏やかな町並みを残しています。自動車で町並みを通過しながらその風景を概観し、その東にある北条大池近くの平沢官衙遺跡(国史跡)にて自家用車を止めて、フィールドワークを開始しました。平沢官衙遺跡は奈良・平安時代における常陸国筑波郡の役所跡で、発掘により存在が確認された高床式倉庫などが復元されて、歴史公園として開放的な空間が整えられていました。
平沢官衙遺跡からは西へ、筑波山やそれに続く丘陵と美しい田園風景を一瞥しながら北条の町並みへと進みました。北条の町は昔ながらの町場らしく、街道にはクランク状の鉤の手が2カ所設けられており、それにより西から「内町」、「仲町」、「新町」に区分されます。その内町と仲町とを分ける鉤の手の内側の高まりには八坂神社が鎮座し、県指定工芸品の「石造五輪塔」があります。1537(天文6)年建立と刻まれるその石塔は、時代を経て丸みを帯びていまして、穏やかに町並みを見下ろしているように感じられました。国指定登録有形文化財である土蔵造の宮本家住宅と、昭和初期の近代和風住宅である旧矢中邸(矢中の杜)は、この町が近世から近代へとその繁栄をつないだことを示しています。宮本家住宅のすぐ西の信号機のある交差点から北へ延びる道が「つくば道」と呼ばれます。入口には「これよりつくば道」と刻まれた道標が構えていまして、多くの人々に利用された道路であることが偲ばれました。つくば道は、古来より信仰の山とされ、江戸城の鬼門を守る祈願所ともされた筑波山への参詣道です。三代将軍家光の時世に、参詣道として開かれました。つくば道は歴史を語る道として、「日本の道100選」にも採られています。ここからおよそ3キロメートル先にある、筑波山神社を目指しました。 つくば道の先には、双耳峰と呼ばれる筑波山の2つのピークが見通せます。町並みを抜けると程なくして北条の町の北にある城山の山裾をなぞるように、つくば道は緩やかなカーブを描きながら上り坂となり、その後下り坂となって進んでいきます。周囲の風景は点在する家々の間を水田や畑が埋めるものへと変化していきます。一度東西方向の指導に合流し、すぐに北へ別れた後は、やはり古い町並みが残る神郡(かんごおり)地区へと参詣道は進んでいきます。地区の入口には鎌倉時代末期、元亨年間(1321年〜1324年)に創建された古刹普門寺が東側の丘陵地を背にしていました。神郡地区の東側には蚕影(蚕影山)神社もあって、養蚕業が栄えてきた地域の歴史を伝えていました。神社へ向かう途中の路傍からは、筑波山の山容を間近に眺望することができました。
土蔵や町屋造の家並みが美しい風情をつくる神郡地区を抜けますと、つくば道は水田の中を進んだ後、臼井地区の集落へと進んでいきます。臼井集落辺りから徐々に道筋は上り傾向となって、筑波山の山麓へと到達しつつあることを実感させます。集落の裏手には山林が広がって、その中に溶け込むように飯野神社の社殿が鎮座していました。森を抜けて再び視界が開けたところで本来のつくば道のルートへ戻るため東へ舵を切りますと、南側は林の向こうに広大な平地が俯瞰できまして、標高が徐々に増してきていることを実感させました。つくば道のルートに到達しますと、筑波山神社の一の鳥居がそこに屹立していました。石造のその鳥居は両側に石積みと木立とを伴っていまして、筑波山参詣のまさに表玄関として多くの訪問者を迎えてきた歴史を感じさせました。その造立は1759(宝永9)年。この鳥居から上が神域とされ、筑波山神社の御座替祭のときは神輿がこの鳥居の場所まで下ってくるのだそうです。細い道幅に伝統を感じさせるつくば道を見下ろしますと、これまで通ってきた神郡あたりの小丘陵を介して、北条の町並みの北側にある多気山の山並みを美しく望むことができました。 一の鳥居からは、つくば道はさらなる上りの連続となります。両側は集落となって多くの民家が立地していますが、急傾斜地に平地を確保するために盛り土をして、それを石積みで支えて土地が造成されていました。その階段状につづく集落の間を、かなりの勾配でつくば道は進んでいきます。車がすれ違うのも容易ではない道幅の道はやがて石段となります。参道沿いには洋風建築の旧筑波山神社の局舎もあって、参詣のメインルートであった過去を想起させます。さらに階段を上り詰めますと、やっとのことで筑波山神社の境内へと到達することができました。参道にある神橋(県指定文化財)は切妻造の屋根が付属した反り橋で、1633(寛永10)年に徳川家光により寄進されたと伝えられます。随神門(市指定文化財、1811(文化8)年再建)をくぐり、多くの参拝者で溢れる拝殿へ。本殿は筑波山の2つの山頂(男体山・女体山)にそれぞれ造営されています。参拝後は門前町の町並みを一瞥しながら大鳥居をくぐり、梅の花が開き始めた筑波梅林より、眼下に広がる関東平野のパノラマを遠望しました。徐々に夕刻を迎える平地は穏やかな空気に包まれていまして、豊饒の大地をたおやかに染め上げていました。
筑波山訪問後は、筑波山口ターミナルへと向かい、そこからかつての筑波鉄道跡地を利用したサイクリングロード(つくばりんりんロード)を辿って、北条の町並みへと戻りました。その工程の途上では、夕日を受けて茜色にきらめくような筑波山をとても美しく望むことができました。その姿はどこまでも気高く、神々しく感じられます。関東平野の只中にあってしなやかな山容を見せる筑波山は、関東の多くの地域からその山体を確かめることができます。そうした普遍性は筑波山への信仰へと昇華し、多くの文化を生みました。北条の町並みと、参詣道としてのつくば道の景観は、そうした歴史的な資産の結晶のひとつであると言えるでしょう。 |
←#94(奥多摩編)のページへ |
#96(つくば編)のページへ→ |
||||
関東を歩く・目次へ このページのトップへ ホームページのトップへ |
|||||
Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2018 Ryomo Region,JAPAN |