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I.はじめての“神戸” ミナト神戸、六甲山の山なみ、異国情緒漂う活気ある都会として、多くの人々の憧憬を集めるまち、神戸。 震災の惨禍を乗り越えながら、未来へと躍進を続ける、この町の姿を見つめてみたいと思い立ち、はじめて本格的に神戸を訪れました。 そこには、穏やかで、かつ燦然とした記憶と、どこまでも尊い、かけがえのない旋律とがありました・・・ |
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中山手通りまでの北野坂は、マンションやブティック、飲食店、コンビニエンスストアなどが両側に建ち並ぶビルの中に連続する景観が続きます。中央分離帯に楠(だったと思います)の並木が続く中山手通りを越えると、北野坂の両側の住宅密度はだんだん小さくなっていて、洒落たカフェやギャラリー、雑貨店などが穏やかに並ぶ景観に変化していきます。照葉樹がこんもりと繁茂する六甲山地の麓も見えるようになり、坂も次第にきつくなってきます。山本通りを通過するあたりになると、樹高の高い並木道の彼方に、神戸市役所のビルなどが並ぶ三宮方向の市街地がなだらかに続く坂を介して望むことができるようになります。北野坂は北野通にいたって終点となります。この通から丘陵の麓までの地区が、いわゆる「異人館の町」として多くの建物が保存され、「外国に開けた町神戸」を感じることができる地域となっている。 丁字路を右折すると、視界には旧パナマ領事館、英国館、仏蘭西館、ベンの家などのいわゆる異人館を基礎にした洋館群が鮮やかに目に飛び込んできます。それぞれの建物ごとに、名前に掲げる国の国旗を掲げてみたり、建物を目立った色にペイントしたりして、戸口には必ずといっていいほど、「中に入ってみないか」といった顔をした人たちが笑顔を振り向いていました。これらの建物は、神戸開港時に建設された外国人居留地から溢れた外国人たちが、こぞってこの地域に立てた洋式建築を基礎としているものの、現在は観光施設的な色彩がより濃厚になっているような気がして、私は概観のみを眺める散策を楽しむことにしました。もちろん、それぞれの異人館がそれぞれに趣向をこらして、展示等を行っているのも事実ですので、私のこんな戯言に惑わされず、個人の興味で取捨選択して各施設を訪れてみてくださいね。
神戸にこういった異人館が成立した背景として、神戸開港後も政情が不安定(注1)で外国人居留地の形成が進まず、居留地内に住居を見つけることができない外国人の便宜を図り、生田川以西、宇治川以東の9カ村について、内外の雑居及び外国人の建物の新築が認められたことが大きく影響しているそうです。北野町界隈は、神戸港方面への風光に優れ、南向きの日当たりのよい土地柄などから、特に多くの異人館の立地を見たとされているようです。ちなみに、「異人館」とは、必ずしも外国人が居住あるいは建設した建物という意味に限られるものでなくて、邦人が設計、建築したものであっても、西洋的なテイストが生かされた建物に対しては、同様に「異人館」と呼称されるようです。 ベンの家の向かいにつけられた、幅の狭い階段を上ると、「ラインの館」と呼ばれる、下見板のラインが美しい洋館が聳えています。小さな階段の路地をはさんで、白亜の神戸北野美術館。この建物は、1898(明治31)年にドイツ人住宅として建てられ、後にアメリカ領事館官舎となっていたもので、震災後に修復され現在はイラストレーターの永田萌氏の原画を展示する美術館となっています。
さらに、階段のつけられた路地を上がると、北野町東公園の美しい都市景観を通過し、突き当りを左に進むと、旧サッスーン邸(チャン邸)の美しいオイルペンキ塗りの異人館が目に入ります。この異人館は1892(明治25)年に作られ、異人館の中では一際古い歴史を持ち、シリアの貿易商サッスーンの邸宅でした。現在はブライダル関連のホールとして人気があるようです。 旧サッスーン邸、プラトン装飾美術館(イタリア館)、旧中国領事館などの異人館を一瞥し、北野町のやや急な坂道をのぼったりおりたり、景観を楽しみました。北には六甲の温かみをはらんだ照葉樹のかがやきが目に眩しく、また南には三宮や元町方面の近代的な都市景観を介して、大阪湾が一望の下に見渡せます。このようなゆたかな都市景観と恵まれた自然環境とが醸す魅力が、北野町に多くの外国人を惹き付けたのかな、と思えてきます。
市営北野住宅の下を西に進んで、「オランダ坂」と呼ばれる狭い路地を再び山に向かって進みます。現在の北野町は、明治大正期に主に建設された異人館を多く残しながらも、土地利用上はごく普通の住宅地です。昭和30年代後半の北野町を写したという航空写真が手のとの文献に掲載されていますが、都心に至近なゆたかな近郊住宅地であることが見て取れます。このことは現在においてもまったく変わることがなく、このあたりも北野町の魅力の1つなのではないかな、と思いました。程なくして、スレートの外壁がシックな「うろこの家」に到達しました。 うろこの家は、切妻造りの2階建ての南面中央に塔屋がつけられていて、その塔屋に玄関ポーチがつけられたスレート張りの異人館(1922年建設)で、「うろこの家」とはそのスレートの形状を形容したものと思われます。背後にこんもりとした丘陵が逼っており、英国の邸宅のものを思わせる中庭の緑とともに、閑静な住宅地の慎ましさを演出しているようです。西隣には、蔦に覆われた同様の建物(うろこ美術館)も併設されています。館内には居留地の豪奢な雰囲気を髣髴とさせる華麗な調度品がふんだんに展示されており、開設当時の居留地の様子を写した写真も飾られていました。また、上げ下げ窓よろい戸付きの窓(フレンチウィンドウ)の外には、やはり活力溢れる神戸のまちなみがドラスティックに望めます。この日は春の雨、どんよりとした空にまちは落ち着いた佇まいでしたが、晴天の日には、おそらく遠く泉州方面も含めた眺望が展開されるのではないかと思われました。山と海に育まれた明るい港町、神戸。この言葉の意味するところは、目の前の景色が百の周到な描写の何よりも、雄弁に物語っていました。 |
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