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神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

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前半からの続き)

うろこの家を後にして、観光客で溢れる異人館たち(デンマーク館、ウィーンの家、オランダ館など)は外観を楽しむにとどめながら、住宅地の中に異人館が点在する北野町の情緒を堪能しました。地元の人からずれば、多くの人たちに自分たちのまちの美しさを見ていただけるという喜びもある反面、こうも観光客が押し寄せては、プライベイトな領域にまで土足で他人がむやみやたらに入り込んでくるといった意識もまたあるのではないかとも思われましたね。また、閉館中のペルシャ館周辺には、崩壊したまま荒廃した建物も見て取れ、震災の影響もあるのではないか、真偽はさ定かではないのですが、そんな心配も頭を過ぎりました。こういった視点から考えれば、こういった歴史を生かした町並みづくりに多大な貢献をする地域にとって、観光化をある程度意識することもまた必要なことなのではないかな、とも考えてみました。地元の気持ち、日常生活の態様、地域の歴史とそれに根ざしたまちづくり(注2)。いろいろと考えさせられもしたのでした。

北野町を象徴する存在の1つが、「風見鶏の館」です。1909(明治42)年に、ドイツ人貿易商ゴット・クリート・トーマスが、自邸として建てたもので、重要文化財に指定されています。愛称にもなっている「風見鶏」がとんがり屋根の上に乗っている赤煉瓦作りの異人館です。この急勾配の屋根にはゴシック風の雰囲気が感じられて、他の洋館とは一味違った、ドイツの香り漂う、すっきりとした容貌の建物である、という評価はなるほどと思いました。風見鶏の家の横から、やや急な石段を登ると、北野天満神社があります。異人館に彩られた住宅地となる前の北野は、六甲からの水を受け止めるため池が点在した純朴たる農村だったのですが、その頃から、このお社はこの地域を見守っていたのかもしれません。なお、境内は高台ということもあり、神戸の町がさらに美しく俯瞰できました。急な階段を敬遠せず、訪れた際にはぜひこの神社まで登って、この遠望を楽しんでみてください。

風見鶏の家と市街地展望

北野天満神社から見た風見鶏の館
(中央区北野町三丁目、2003.3.22撮影)

この後も、北野通から山本通(異人館通)、そして神戸の町随一の都市景観をみせるトア・ロードと巡りながら、異人館と、住宅地と、そして洒落た外観を見せるブティックやレストランなどが並ぶまちなみのなかを歩きました。その途上にあった「北野工房のまち」は、旧市立北野小学校の建物を利用した施設で、洋菓子、パン、靴などの神戸で生まれ育った名店が入っていて、その製品や技術を見たり、また実際に体験したりすることができるのだそうです。さらには、中山手通りの交差点の北東隅では、NHK神戸放送局の建物が震災による崩壊後8年を経て、再び着工されようとしていました。「震災の経験を経て、NHKが再びトア・ロードに戻ってきます」と書かれた表示に、勇気付けられたような気がいたしました。

そんな震災の影響を受けた三宮の象徴の1つが、生田神社ですね。トア・ロードから境内に入りましたが、深い杜を背負った朱塗りの社殿は見事によみがえり、この地域を再びあたたかく包み込んでいるようです。なお、生田神社には「生田裔神八社」と呼ばれる神社(一宮神社から八宮神社まで)があり、中央区と兵庫区にまたがって鎮座しているのだそうです(注3)。「三宮」も、この裔神八社の1つ「三宮神社」に由来します。生田神社の勇姿を確認した後、三宮に戻り、新長田へ向かいました。

北野町は、鎖国政策終了後に開港して、早くから外国人やその生活習慣に触れてその空気を濃厚に吸収し、独自の都市的紙質を醸成させてきた神戸の原点ともいうべきエッセンスが随所に見られる地域です。それらの感想や直面しているであろうと感じたことなどは、既に述べたとおりですが、今後ともそういった北野町、ひいては神戸のかけがえのない「記憶」が、末永く紡がれていってほしいな、と思うのでした。


トア・ロードの景観

トア・ロードの景観
(中央区山本通四丁目、2003.3.22撮影)

生田神社

生田神社
(中央区下山手通一丁目、2003.3.22撮影)

(注

1858年に締結されたアメリカ合衆国をはじめとする5か国との修好通商条約によって、長らく続いた鎖国政策が終焉を迎え、長崎、横浜、函館、兵庫(北前船による交易など歴史のある「兵庫津」ではなく、その後背地の当時一寒村でしかなかった神戸村のことですね)、新潟の開港が幕府に義務付けられ、神戸の開港は186311日でした。しかしながら、尊皇攘夷の趨勢など騒然とした政治情勢などを受けて5年間延期され、186811日(慶応3127日)にようやく実現をみました。幕府は開港後間もなく瓦解し、新港の開発は明治新政府の手によって行われることとなります。

(注2)

北野町界隈は、「北野町山本通地区」として伝統的建造物群保存地区の指定を受け、伝統的な建物(この場合は異人館ということになりますか)について、その修繕等の手法について細かな基準を設けて、この地域らしい景観の維持のための制度の整備が進められています。

(注3)

生田裔神八社の所在は以下のとおりです。

一宮神社 中央区山本通1丁目
二宮神社 中央区二宮町3丁目
三宮神社 中央区三宮町2丁目
四宮神社 中央区中山手通5丁目
五宮神社 兵庫区五宮町
七宮神社 兵庫区七宮町2丁目
八宮神社 中央区楠町3丁目

なお、六宮神社は、八宮神社に合祀されています。

参考文献>
 神戸市教育委員会(1982)『異人館のあるまち神戸 北野・山本地区伝統的建造物群調査報告』


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