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神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

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IV.須磨の浦界隈をめぐる

(9)須磨の浦周辺 〜風雅に彩られる風光のまち〜

 須磨浦公園・鉢伏山からの眺望をしばし楽しんだ後、山陽電鉄にて月見山駅へ移動し、須磨の浦の海浜公園方面へ足を伸ばしました。小ぢんまりとした駅の傍らに庶民的な商店街が連続する月見山の町並みは、都市近郊の下町的な雰囲気も漂います。何よりこの「月見山」という趣ある地名に惹かれます。周辺の町名に散見されるほか、北に接する離宮公園のあたりにも「月見山」を称する公共物が認められます。この月見山という地名は、平安時代の歌人在原行平(六歌仙のひとり、在原業平の兄)が光孝天皇の頃献歌した1首が天皇の怒りに触れ須磨にわび住まいしたとき、現在の須磨離宮公園内にあたる山にて秋の名月を鑑賞したことにちなむものであるとされているのだそうです。月見山から須磨の浦にかけてはなだらかな傾斜によって山と海が結びつくような地形をしており、いまでこそ近代都市として多くの建築物が建てられているのですが、平安の頃はそのようなものもほとんどなくて、山上からははるか彼方に水鏡のようにたゆたう海原に浮かぶような月を眺めることができたに違いありません。在原行平のことについては、後ほどまた触れることといたします。

 山陽本線の鉄路を越え、おびただしい自動車が駆け抜ける国道2号線を渡りますと、須磨の浦の海岸は目の前です。松並木の穏やかなヴェールをまとった須磨の浦の海岸は夏空のごとくすっきりと晴れ渡った大空の下、とびきりのかがやきを見せていました。眼前に展開する海はゆるやかな水面を沖へ伝えて、すっきりとした透明感を呈しています。東にはヨットハーバーに繋留されたヨットのマストがゆったりと揺れ、海は太陽の方向にむかってさらにその輝きを増し、裾をそっと濡らす山々のもとへ美しい水平線を延ばしています。彼方には先刻穏やかに遠望した明石海峡大橋と淡路島の影も望むことができました。広い人工海浜では音楽に合わせてグループでスポーツカイトを操るデモンストレーションを行っているところに出会いました。さわやかな海風を切るように、滑るようにぴったりとした動きを見せる凧たちの見せる奇蹟は爽快そのものでした。公園の一角には1964(昭和38)年に移設された旧和田岬灯台が佇みます。かつて兵庫区の和田岬にあったもので、1884(明治17)年にそれまでの木造灯台を鉄骨に改築したものであるのだそうです。明治初期の鉄骨製の灯台としては現存最古のものであるため、同灯台の廃止後、須磨海浜公園に移されました。

 
衣掛町交差点

衣掛町交差点
(須磨区行幸町一丁目、2005.9.18撮影)
海浜公園の景観

須磨浦海浜公園の景観
(須磨区須磨浦通一丁目、2005.9.18撮影)


須磨浦海岸と鉢伏山
(須磨区須磨浦通一丁目、2005.9.18撮影)


旧和田岬灯台
(須磨区須磨浦通一丁目、2005.9.18撮影)

 須磨海浜水族園の三角錐状に斜め上に突き出したような建物の北、国道2号線に「衣掛町」の交差点がありました。付近の町名から取られたものであるようで、月見山と同様風雅に満ちた雰囲気の地名は、須磨浦の穏やかな松並木とあいまって心動かされるものがありました。この地名には、先に月見山に遊んだ在原行平を題材とした謡曲「松風」が関係しています。
 
 自身が詠んだ短歌が時の天皇の激怒するところとなり須磨に流された行平は、ある日浜辺で汐汲みにきていた二人の美しい娘に出会いました。行平は姉の「もしお」に「松風」、妹の「こふじ」に「村雨」と名づけて愛したのだそうです。3年後行平が都へ帰ることになった時、行平は別れのつらさから形見として烏帽子と狩衣を松の枝に掛けて残し、小倉百人一首にも選ばれている「立ちわかれ/いなばの山の/峯におふる/まつとし聞かば/今かへりこむ」を添えたというものです。都へ帰った二人の娘は行平を慕い庵を結んで観世音菩薩を祀り行平の無事を祈りつづけました。

 旧和田岬灯台から北へ、海浜公園前交差点で国道2号線を横断して山陽線の踏切を越えますと、「離宮道」と呼ばれる街路へと至ります。ゆるやかなスロープを呈した離宮道は穏やかな松の並木を従えながら、高層住宅が建ち並ぶ都市近郊の住宅地域を進んでいきます。沿道には松風・村雨の二人が拠ったという松風村雨堂も佇みます。離宮道は、須磨離宮公園前に至って突き当たります。交差点付近には離宮公園についてのシンプルな説明書きが添えられた石碑が建てられていました。周辺には謡曲の登場人物の名前が、「行平町」、「松風町」、「村雨町」として町名に採用されていまして、故事にちなんだ趣を感じさせています。「衣掛町」もまた、この謡曲のエピソードにちなんで命名されたものとのことです。

離宮道

離宮道の景観
(須磨区離宮前町一丁目、2005.9.18撮影)
松風村雨堂

松風村雨堂
(須磨区離宮前町一丁目、2005.9.18撮影)
須磨離宮公園

須磨離宮公園入口
(須磨区桜木町三丁目、2005.9.18撮影)
堂谷池

堂谷池・須磨寺遠景
(須磨区須磨寺町三丁目、2005.9.18撮影)

 須磨離宮公園は、その名前からも類推されるように1914(大正3)年に完成した武庫離宮があった場所です。もと西本願寺の大谷光瑞の別荘があった場所で、明治天皇が湾を見下ろす景観に感動したことから買収され離宮として整備されたものであるといいます。壮麗な離宮御殿は戦災で焼失。戦後神戸市に変換された後は自然豊かな都市公園として再整備が行われて現在に至っているものです。みどりの輝きに満ちた公園内には欧風庭園のほか、植物園、こどもの森(フィールドアスレチック)も併設されています。本園の面積は約77ヘクタール、植物園も約5ヘクタールという広大な公園は、やわらかな緑の帯の彼方に須磨の浦の海をたおやかに眺められる憩いの場として、多くの市民に親しまれています。

 須磨離宮公園前を西に向かい、住宅地域内の緩やかなカーブを下っていきます。程なくして緑に囲まれた堂谷池が見えてまいります。須磨大池とも呼ばれるこの池は、かつて多くの桜が植えられており、“新吉野”と称されるほどの桜の名所であったようです。現在でも隣接する須磨寺の境内と併せて新たに植えられた桜を楽しめるスポットとなっているようです。須磨寺は、正式には上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)といい、886(仁和2)年、聞鏡(もんきょう)上人が勅令を受けて七堂伽藍を建立し、地元の漁師が和田岬沖で拾い上げ会下山の北峯寺に安置していた聖観世音菩薩坐像を移して本尊としたものであると伝えられています。欄干に龍華(りゅうげ)橋と書かれた朱塗りの小橋を渡り、仁王門を通り、木々が植えられた参道を進んで、石段を上り、山門をくぐりますと、背後の山に寄り添うように建てられた須磨寺の本堂へとたどり着きました。木々の安らかな緑に覆われた山腹には三重の塔も眺められます。境内には、「源平の庭」と呼ばれる庭園があります。これは一ノ谷の合戦の一場面、平敦盛と熊谷次郎直実の一騎打ちを再現したものとのことです。毎月20日、21日に開かれる「須磨のお大師さん」の縁日には多くの人出で賑わうという参道を経て、再びJR須磨駅へ向かって進みました。

須磨寺参道

須磨寺参道
(須磨区須磨寺町四丁目、2005.9.18撮影)
須磨寺

須磨寺
(須磨区須磨寺町四丁目、2005.9.18撮影)
須磨寺商店街

須磨寺商店街
(須磨区須磨寺町四丁目、2005.9.18撮影)
村上帝社

村上帝社
(須磨区須磨浦通四丁目、2005.9.18撮影)

 千守交差点で国道2号線に出て、西へ向かいますと、村上帝社の小ぢんまりとしたお社へと行き着きます。傍らに立てられていた標示板によりますと、このお社には謡曲「弦上」(玄象)で謳い語られる伝説が残されているのだそうです。その内容は次のとおりです。平安朝の末期、琵琶の名人であった大政大臣藤原師長(もろなが)は、さらに琵琶の奥義を極めんと、入唐(唐の国に渡ること)の志をもって、この須磨の地まできました。ところが、村上天皇と梨壷の女御の神霊が現われ、琵琶の妙手を授けたので、入唐を思いとどまり帰京した、と。また一説には、龍宮から師長に捧げた琵琶の名器(獅子丸)を埋めた場所であるとも伝えられているとのことです。村上帝社は、村上天皇にまつわる伝説をもとに、この地に村上天皇を祀って、社としたものではないかといわれているようです。琵琶を埋めたとされる前方後円墳(琵琶塚)もお社の背後にあり、伝説の色彩をいっそう強いものにしているようでした(現在はこの古墳はJR線の鉄路で分断され一部の墳丘を残すのみとなっています)。このお社の少し北には関守稲荷が佇みます。須磨の関の守護神として建立されたとされる神社は、国境の関所が置かれた地としての須磨の歴史性を感じさせます。付近の町名も関守町となっておりまして、地域のルーツを記しています。

 多くの歴史的なエッセンスに彩られた須磨の風光は、現代都市エリアとなった現在も地域の中にふんだんに刻み込まれ、豊かに息づいているように感じられました。須磨駅周辺の穏やかな町並みを確認しながら、JR須磨駅に至り、改めて須磨浦の海を眺めました。西に傾き始めた、丸みを帯びた日の光をまたたかせながら、目の前に横たわる須磨の大海は、この上ない、目くるめく光芒の中に揺らめき、地域の今昔をそっと物語っているかのようでもありました。

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