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IV.須磨の浦界隈をめぐる (8)須磨のかがやき 〜山と海、歴史が織り成すコラボレーション〜 2005年9月、JR須磨駅の目の前に、輝かしい海原が広がっていました。六甲山地の山並みが西へ延び、海に落ちる風光に恵まれた須磨の海辺は、山と海の調和のなかに開かれた地域を代表する風景であるように思われました。「須磨」とは、「すみ(隅)」のこと。須磨区のホームページには地名・須磨の起こりについて、以下のような解説があります。 須磨という地名は、六甲山系の西端、鉢伏山・鉄枴山が海に迫る平地のすみで、畿内の西すみに位置するため「すみ」がなまって「すま」になったといわれています。
須磨のベルトコンベアの西側へと歩みますと、いよいよ山が迫ってきまして、山陽電鉄線、国道2号線、JR線とが傾斜地と浜辺との間のごく狭い空間の中を進んでいます。須磨コンベアが寄り添う谷こそ、「一ノ谷」と呼ばれる谷筋です。一ノ谷を東端とする須磨浦公園、その位置の谷に程近い一角に、「源平史蹟 戦の濱」の石碑が佇みます。1184(寿永3)年2月7日の源平の戦いでは兵士の陣が置かれた場所であると伝えられているのだそうです。その故事にちなみ、この周辺の浜辺を「戦の濱」と呼びならわすようになったのだそうです。 公園内を西へ進み、山陽電鉄線の下をくぐる急坂を登っていった住宅地域内に安徳宮という小さな社の傍らに「安徳帝内裏跡伝説地」の石碑をみつけました。安徳天皇は、平清盛の娘、建礼門院徳子を母として生まれた幼帝で、1180(治承4年)に2歳で即位しています。木曽義仲の京都進入により、平家一門とともに西へ都落ちし、1185(寿永4)年3月24日、壇の浦で平家滅亡とともに祖母二位尼にいだかれて入水されたとされる、悲劇の人物です。この西走の途中、天皇がこの地に内裏を置かれたとする伝説があり、安徳宮は天皇の冥福を祈って祀られたものであるとのことです。周辺は傾斜地ながら高級住宅地の趣で、邸宅の庭から覗くブルースターの花が秋空の下輝いていました。二ノ谷の谷筋を下り、再び須磨浦公園内を進みますと、「みどりの塔」と呼ばれるモニュメントの前に至りました。塔の左右に一対ずつ石でできた直径1.2メートル、重量2.4トンの地球儀が据え付けられた台座があります。そのうち西側の地球儀は先の震災で落下する被害を受けました。震災の記憶を風化させないようにと、この地球儀は現在でも落下したまま保存されていました。
みどりの快い松の並木が展開する須磨浦公園は、穏やかな海が間近に迫る豊かな景観から気軽な散策場所として親しまれているようですね。海上には、「海づり公園」も整備されてまして、家族連れも訪れやすいフィッシングスポットとなっているようでした。須磨浦公園駅や三ノ谷の沢筋を超えますと、「敦盛塚」と呼ばれる石塔へと至ります。地上部の高さは約3.5メートルにもなる五輪塔です。須磨区のホームページの説明によりますと、この石塔は平敦盛の供養塔だといわれてきたもので、北条貞時が平家一門を供養するために、1286(弘安9)年に建立し、「あつめ塚」といわれていたのが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあるものであるのだそうです。山陽道や西国街道が目の前を通過していたため、古来より多くの旅人が花を手向けてきたそうです。ちょっとした公園や住宅地の中であっても、安徳宮や敦盛塚などの歴史的な史蹟が点在しているところに、古より重要な位置を占めてきた須磨の凄みが感じられるような気がいたしました。 須磨浦公園駅前からロープウェイに乗り、鉢伏山上を目指します。空中から望みますと、海と山とが交わりあう須磨の地域性をさらに直感的に感じ取ることができるようになります。たおやかな緑の輝きに包まれた山並み、眼下に驚くほど近くまで迫る海岸線、そして遠く泉州まで見通せる広大な海の光芒・・・。これらに歴史的なエッセンスや近代都市の態様とが絶妙に混ざり合いながら、この上ないコラボレーションを演じる大地・須磨の姿を堪能しました。
ロープウェイを降り、カーレーターと呼ばれる乗り物に乗り継いでさらに上へと進み展望台へと向かいました。360度どの風景も壮大な、まさに大パノラマが展開します。本当に真下にまで来ている海原を西へとみやりますと、淡路島の北端がすぐそこに手に取るように見えまして、明石海峡大橋や舞子浜の景観が実に穏やかに見通せます。塩谷や内陸の住宅団地、北側の六甲の山並みを経て、東側に向かいますと、目の前には神戸市街地が燦然と広がっていました。須磨ノ浦海岸のカーブの手前には、先ほど見てきた須磨ベルトコンベアのバースが突堤の1つのように突き出しているのがはっきりと見えます。新長田、兵庫津、三宮方面、ポートアイランド・・・、これまで歩んできた神戸市の諸地域を確かめながら、神戸のまちのすばらしさ、力強さを実感しました。沖には開港を間近に控えた神戸空港島も確認できます。山のこの上ないみずみずしい緑、海の屈託のない輝きに彩られる須磨を軸として、目映いほどの活力を漲らせる神戸の市街地が広がる風景に、しばし見とれていました。 |
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