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シリーズ京都を歩く
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8.山科から醍醐へ |
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第二十段 山科を歩く(前)
2007年7月14日、地下鉄南北線と東西線とを利用して降り立った蹴上駅周辺は雨の中でした。折から接近する台風と梅雨前線などの影響によるものでした。折り畳みではなく、通常の大きめの傘を用意していたのが幸いしました。この日は京都市内でも未訪であった山科・醍醐方面をまわる予定でした。山科は、新幹線が琵琶湖の南、瀬田川を渡ってトンネルに入った後、京都駅手前で再びトンネルに入る間に通過する小盆地です。その地勢から、古来より京と奈良とを結んだ奈良街道や、江戸と京とを連絡した東海道など、主要都市をつなぐ重要な街道が通過する位置にありました。穏やかな山並みに囲まれた土地への関心があり、そしてなにより歴史的に重要な街道筋に当たってきた地域性にも惹かれていました。そこで、旧東海道筋であり、琵琶湖疏水関連の史跡の残る蹴上を、山科を訪れるにあたっての出発点としました。
雨が降り続く中、交通量の多い道路の歩道を山科へ進みます。1997(平成9)年10月、京都市営地下鉄東西線の開通に伴い、この区間を道路に並行して走っていた京阪電鉄京津線は廃線(京阪山科駅西にて地下に入り、東西線に乗り入れることになった)となり、その軌道敷により三条通は四車線化(片側二車線化)されました。歩道にはこの事業を記念し、三条通の舗石を利用しつくられた牛車道を模したモニュメントが整えられていました。三条通沿線には、明治初期における道路改修を記念した「修路碑」や、通行に苦労している人馬を見て、幕府の許可を受けた木食正禅上人が、東海道周辺の改修工事を進め、人道と牛車道を分けたことを伝える「日ノ岡峠人馬道碑(1736(享保21)年建立)」、「京津国道改良工事記念碑」など、道路の改修を記念したモニュメントが多く認められます。このことは、この峠道が重要な交通路であったこと、そしてその利便性向上に多くの労力と期待とがこめられてきたことを示すものといえるのかもしれません。
穏やかな住宅地の中に、畑や水田の点在する緑豊かな山科の街中を歩き、京阪電車の廃線跡を利用した散策路「みどりの径」や、琵琶湖疏水の景観などを眺めながら山科駅方面へと歩みました。虫篭窓や千本格子の落ち着いた町屋が並ぶ景観は、庶民的な雰囲気の商店街へと移り変わります。途中、「五条別れ道標(1707(宝永4)年建立)」が路傍に建てられている場所があります。道標には、「右ハ三条通」「左ハ五条橋・ひがしにし六条大佛・今ぐまきよ水道」などと彫られています。「ひがしにし六条」は東西本願寺を指します。東海道から別れて、渋谷越えで五条大橋方面へ出る道を教えているのだそうです。 |
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