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宮古列島、炎天陸離の空と海
宮古島一周(前) 伊良部島・来間島訪問 〜海と大地の輝き〜 2017年8月26日の多良間島滞在を終えて空路宮古島へ戻る途中、明るい空の色を遮るようにスコールが降り出しました。俄雨が降っている場所は明るい灰色のヴェールのように見えていまして、亜熱帯らしい近郊の変化を現出していました。雨は程なくして止み、洋上に美しい虹を作り出しました。宮古島までの20分間のフライトは、車窓の向こうに劇的な変化を見せました。着陸の直前に、宮古島の南西に浮かぶ来間島(くりまじま)と宮古島とを結ぶ来間大橋を望むことができました。珊瑚礁が発達した浅い海の上をしなやかに伸びる橋梁は穏やかな海峡に溶け込んでいるように見えました。
翌27日も宮古島は前日までと同じような晴天に恵まれる陽気でした。宿泊先の窓から見下ろす平良の町と伊良部島を遠望する風景も、早朝からくっきりとした夏空の下にありました。この日はレンタカーを借りて島を一周することにしていました。レンタカーの営業所は空港近くに集積しています。営業所へタクシーで向かう途中、連日の暑さのことをドライバーに尋ねたところ、この年のに宮古地方は渇水が続いていたとのことで、多良間島でも農業用と思われる給水所が閉鎖されていたのを目にしました。3日連続の強烈な日射しの下、肌を刺激する光線に辟易しながら、宮古島最終日の行程をスタートさせました。まずは平良からも眺望できる伊良部島へ、全長3,540メートルの無料で供用されている橋では日本最長の伊良部大橋で向かいました。光を一面に反射する海と、マリンブルーをいっぱいに染みこませたようなさわやかな海、車を走らせる間に伊良部大橋から眺める風景はしなやかに変化していきます。ともに隆起石灰岩質の平坦な島同士を結ぶことと、珊瑚礁が基盤の浅い海峡とが、この長大な架橋を可能にしています。伊良部島側の牧山公園の展望台からは、海面の上をなめらかにつながっていく橋の全体を眺めることができました。 伊良部島は宮古島の西南西およそ5キロメートルの場所に位置しています。島の西側には細い水路を介して下地島が寄り添います。2005(平成17)年10月に宮古島に所在した自治体(平良市、城辺町、上野村、下地町)とともに合併して現在の宮古島市となるまでは、両島で伊良部町が置かれていました。牧山展望台のある牧山は島でも最も標高の高い場所で、公園へ向かう道も急勾配でした。その高低差を下り、海岸沿いを行く県道を時計回りに下地島と伊良部島とを分かつ水道の南の位置口にほど近い場所にある渡口(とぐち)の浜へ向かいました。南国特有の明るい水色に彩られた海面は、午前9時の南中前の日射しを受けてより透明感のある光彩を放って、太陽により近い大地の恩寵を享受していました。白砂が続く海岸の先には、サトウキビ畑が開墾された平坦な島の遠景が重なります。浜辺には航海の守護神として崇敬される乗瀬(ぬーし)御嶽が祀られており、海を介した他地域との交流の歴史を伝えていました。
渡口の浜から下地島へと入り、同島西岸の名勝・通り池へと進みました。通り池は石灰岩が露出する海岸に穿たれた2つの池で、この2つの池は地下ではつながっており、天然の橋によってつながったものです。さらに池は海にも通じていまして、干満によって水位が変化するという特徴があります。黒くゴツゴツとした琉球石灰岩の地面にぽっかりと口を開けた池の水面は、隣り合う海原とまったく同じ色を呈していました。日射しは肌を焦がすような強烈さで、長時間散策を続けることを困難にさせました。そうした中にあっても、空のきらびやかさ、海の色の明瞭さはうだるような白日の中でも印象に残りました。訓練飛行場として機能する下地島空港を周回する道路を通過しながら、伊良部島へ戻り遠浅の礁湖に無数の岩が並ぶ佐和田の浜へ。ここから島最北端の白鳥崎、フナウサギバナタ(方言で「舟を見送る岬」の意)、佐良浜集落の生活用水として供されたサバウツガーなどをめぐりました。島の北岸から東岸にかけては、彼方に宮古島の北に浮かぶ池間島と、池間島と宮古島とを結ぶ池間大橋から平良市街地までを望むことができました。 再び長い伊良部大橋を経て宮古島へ戻り、前日多良間島からの帰路上空から眺めた来間島へとレンタカーを走らせました。製糖所の煙突など沖縄らしい風景を一瞥しながら、農道橋の来間大橋をわたって来間島へ。橋のたもとに程近い場所にある竜宮城展望台からは、宮古島と来間島の間の珊瑚礁がつくる光り輝くコバルトブルーの海や島の緑輝く自然を一望の下にすることができます。島の方へ視線を向ければ、集落の背後にサトウキビ畑が展開する島の風景を確認することができました。 宮古島一周(後) 〜島の大自然を体感する〜 栗寺間島訪問後は三度宮古島へ戻り、島の南岸を爽快にドライブを進めました。沿岸部は集落は少なく、リゾートエリアとして開発された地区を除けば、断崖然とした海岸に向かって草原が続く風景が連続していました。夏空とほとんど変わらない「残暑」が引き続き容赦なく体をむしばむような陽気の下、宮古島南東端に突き出した景勝地・東平安名岬(ひがしへんなざき)に到着しました。岬の先端には平安名埼灯台が立って、太平洋と東シナ海の境界にあって、航行する船舶に灯火を投げかけています。岬は琉球石灰岩のつくる断崖を形成し、内部に入ることができる灯台上からは、果てしなく広がる大海原をさわやかに見通すとともに、細長く太平洋にせり出した岬の独特な地形を展望することができました。
灯台のある岬の先端から先にも岩礁が点々と沖合に延びていまして、海岸に珊瑚礁が発達し、現在進行形で造礁が進んでいる様子も観察できます。岬に設置されていた地図には、東平安名岬から主要地への距離が刻まれていました。東京への距離が1,843キロメートルであるのに対し、台湾までのそれが403キロメートルという事実に、本州とアジアとを結ぶ線上にあって、よりアジアに近い位置で対峙してきた宮古の歴史を想起させられました。そうした地勢上の特質が、薩摩藩による統治時代から近代を経て現代に至っても、形を変えて存続している現実は、第二次世界大戦中における史実を合わせて考えますと、やり場の無い寂寥感に駆られます。目の前の海はこの上ないきらめきと透明感を持って、亜熱帯の鮮烈さを表現していました。 東平安名岬での時間を終え、宮古島の東岸を北へとさらにレンタカーを進ませました。沿岸を進む風景は南岸のそれと基調はあまり変わりませんが、やや内陸を進む分、島の中心部に広く開墾されたサトウキビ畑の様子も見渡すことができる場所もありました。島は北へ向かうにつれて細い半島上になり、やがて西平安名岬に至り果てをなしていました。島の北部ではありますが、西平安名岬はその名のとおり宮古島の西端に当たります(北端は池間大橋によって池間島につながる世渡(せど)崎です)。海に張り出すような形となっている東平安名岬からみた位置による命名であるように思われます。太平洋の潮流に向かい合う東の岬とは異なり、西のこの岬は内海に相対しているためか、どこかたおやかな印象を与えます。すぐ北に接する池間島や大神島、東側の伊良部島を望む風景も、そうした柔和な感覚を与えているのかもしれません。日光は正午を過ぎてさらにその猛々しさを増して、大地に海にそして体に降り注いでいました。
西平安名岬からの眺望を確認した後は、宮古島最北の半島部に西平安名岬の東側に突き出した世渡崎を通過し池間島へ進む池間大橋へとドライブを進めました。ターコイズブルーに染め上げられた海の上を進む橋は海面をなぞるように渡って、宮古島に寄り添うような小さな島へと引き込まれました。橋の北側にある土産店の屋上からは、池間大橋を中心とした海峡との風景を美しく見渡すことができました。西側の大神島や、西平安名岬の細い稜線越しに平良市街地が円形として見えたのも印象的でした。池間島は島の南部に漁港と中心とした集落があるほかは、島の大半が自然の植生や畑地となっているようです。そのため美しいビーチも多く、また島の北東15キロメートルほど沖合にある八重干瀬(やびじ)と呼ばれる干瀬などの存在もあり、シュノーケリングのスポットとしても人気を集めているようです。島の中央にある池間湿原(ユニムイ)は、かつて漁港側に開いた入江だったイーヌ・ブーが次第に干拓され、淡水化された場所です。 池間島での時間を終えた後は、宮古列島内では最大規模という、島尻のマングローブ林に立ち寄りました。北に湾港を開いたおよそ1キロメートルの入江(バタラズ)に、ヤエヤマヒルギ、オヒルギ、メヒルギ、ヒルギモドキなどの植物が群落を形成しています。ヒルギダマシは宮古が分布の北限であるとのことです。マングローブとは、熱帯・亜熱帯地方における海岸や河口の汽水域に森を形成する木々の総称で、特定の植物の名前を示すものではありません。マングローブ林には散策路が設けられていまして、海水がなめらかに流入する環境下でつややかな葉をいっぱいにはためかせているマングローブの緑を観察しました。沖縄や奄美においてこれまでも多くのマングローブを見てきましたが、ここは比較的小規模な入江に肩を寄せ合うようにマングローブ林があることが特徴であるように思います。陸上の植生も背後にすぐ迫っていまして、海と陸とが短い距離で隣接しています。
宮古島で最後に滞在した施設は、島尻のマングローブ林に程近い場所にある宮古島海中公園でした。海中公園の名前のように、ここでは海の中に観察施設が設けられていまして、暑さ12センチメートルのアクリル製の窓越しに、宮古島の海の魚が泳いでいる姿を間近に見つめることができました。この日のうちに宮古島から沖縄本島へ移動することにしており、その出発時間が近づいてきたため、島の西岸から平良市街地の外縁部を通過しながら宮古空港近くの営業所でレンタカーを返却し、空港へと向かいました。宮古島と多良間島を巡った3日間は、とにかく猛烈な暑さに見舞われながらの行程となりました。そうした熾烈な炎天の下の海は、その熱をそのまま溶解したような光彩を放って、常夏のコバルトブルーを染め上げていました。空もどこまでも熱量を発散させたような浅葱色を纏わせていまして、海や町やサトウキビ畑のスカイラインに接していました。平良市街地で見た史跡や多良間島での風景とともに、剛悍な風土で生活し、文化を紡いできた宮古の歴史に思いを馳せました。 |
宮古列島、炎天陸離の空と海 −完−
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