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新潟・天地豊穣

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#3 港町新潟 〜水が結び、水に挑み、水とともに生きる町〜  前編

新潟の大地を育むもの。それは、この越後の大地に溢れるほどたゆたう、水。古来より、人々はこの天の恩寵たる水を糧とし、この地域の歴史を編んできました。時としてこの土地の人々に試練を与えました。しかし、それでも新潟の人々は水に真摯に向き合いながら、もたらされる恵みを信じ、水と運命を共にしてきました。あるいは、そうせざるを得なかったのかもしれません。とはいえ、明治期の都道府県別統計では全国一の人口を擁し、以後現在に至るまでその人口を維持しつづける新潟の大地には、何物にも替え難い、大いなる力が宿っているのではないかと思わずにはいられません。

柳都大橋

柳都大橋
(新潟市下大川前通六ノ町、2004.11.14撮影)
旧新潟税関庁舎

旧新潟税関庁舎
(新潟市緑町、2004.11.14撮影)
旧第四銀行住吉町支店

旧第四銀行住吉町支店
(新潟市柳島町二丁目、2004.11.14撮影)
早川堀(復元)

早川堀(復元)
(新潟市緑町、2004.11.14撮影)

新潟市歴史博物館「みなとぴあ」は、信濃川に程近い柳島町に立地しています。1911(明治44)年に建てられた旧新潟市庁舎の概観をもとにデザインされたという本館の建物は、明治から対象にかけてのモダンを感じさせる佇まいです。実際のオープンは2004年3月と、古いようでいて新しい名所であるようです。1869(明治2)年に建てられた旧新潟税関庁舎(開港5港のなかでは唯一現存するもので、国指定重要文化財)や、1927(昭和2)年に建築された旧第四銀行住吉町支店(市内住吉町にあった建物を移築復原)も、同じ敷地内にあります。

歴史博物館の常設展示室に入りますと、南を上にした新潟県の立体模型がまず目に入ります。新潟県内に流入する水系が一目の本に理解できる仕掛けとなっており、照明を幾通りにも変えながら新潟県内の水系を中心とした地形について説明がされていきます。そして、クライマックスに、越後を潤すすべて鮮やかな青色の筋となって浮かび上がるシーンはたいへん見ごたえがありました。新潟が水と共にあるということが、強烈にインスパイアされます。常設展示のテーマは、「水がむすぶ」「水にいどむ」「水がつくる」、そして、「水とともにいきる」。そんな新潟の町を歩いてまいります。

みなとぴあの敷地を北側から出ますと、そこには早川堀と呼ばれた堀が一部復元されており、隣り合う旧税関石庫の姿を穏やかに水面に映しています。傍らに、復元についての表示がありました。その記述をここに引用します。

早川堀復元について

橋あまた/柳の中に/かくされて/水ある街の/夕月夜かな  与謝野寛

 新潟は由来水の都として発展し、かつて西堀、東堀をはじめとしておおくの濠が市中を縦横にめぐり、水運の利便など市民生活と密着しており、堀の水は堀端の柳とともに、新潟を代表する風情として、人々の親しまれ愛されてきました。

 
昭和30(1950;YSK註))年代、地盤沈下現象と自動車交通量の増大への対策として、やむなく堀はすべて埋め立てられ道路となりました。
 
早川堀は、この付近の素封家であった早川氏にちなんでつけられた堀であり、市中の堀の下流にあり信濃川にそそいでおりました。

新潟市街地の地図を見ると、「東堀通」「西堀通」という通り名が目に入ります。これらはまさに上記文中に言及されている、「東堀」と「西堀」が埋め立てられたその場所であるようです。この2つの堀以外にも、新潟市街地には多くの堀が存在していたようで、1875(明治8)年の記録を紐解きますと、当時の新潟町には実に27の堀があったそうです。さらに、1883(明治16)年の別の記録によれば、この時点で堀にかかる橋は133を数えたのだそうです。このことは、新潟の町がまさに堀と柳のつくる都市景観にに包まれていたことを如実に示すものといえるでしょう。東堀通、西堀通を歩きますと、高層ビルや商業ビルなどが建ち並ぶ現代の都市の町並みが広がっておりまして、西堀通など、柳の街路樹が植栽されていることが、僅かに往時を今に伝えているかのようですね。また、西堀通沿いには古くから寺院が建ち並んでおりまして、「寺町」とも呼ばれているようでした。古町は都心付近のアーケード街とその東西の雁木からなる新潟市街地における第一の繁華街・商店街、東堀通は現代風に整えられた機能的な幹線道路、本町通は市場の立つ庶民的な雰囲気を残す商店街、そして西堀通は近代的な町並みと柳並木、寺院の結構が重なる新旧の新潟を感じることができる街区。歴史博物館から湊稲荷神社や金刀比羅神社などを見学しつつ辿り着いた、市街地を貫通するそれぞれの大通りは、それぞれに魅力溢れる個性を持っているように感じられました。

東堀通の景観

東堀通の景観
(新潟市東堀通9番町、2004.11.14撮影)
本町下市場

本町下市場
(新潟市本町通12番町、2004.11.14撮影)
古町通の景観

古町通の景観
(新潟市古町通9番町付近、2004.11.14撮影)
西堀通の景観

西堀通の景観
(新潟市西堀通1番町、2004.11.14撮影)

ホテルイタリヤ軒の西側の路地を北に入り、表門前の白壁通りが美しい料亭「行形亭(いきなりや)」の南を過ぎ、新潟カトリック教会の建物を仰ぎ見ながら、新潟の町歩きを進めていきます。万代橋から続く新潟の南北のメインストリートの1つである「柾谷小路」(と言っても狭い道ではない)に出ますと、北方向の道路は、「どっぺり坂」と呼ばれる階段のつけられた坂道の前で大きく北東方向へと転向しています。新潟の中心市街地が乗る信濃川西岸は、日本海岸では砂丘の体をなしておりまして、河口の町らしからぬけっこうな勾配の坂が海岸砂丘に並行して続いています。この「どっぺり坂」もそんな勾配に取り付けられた階段です。「どっぺり」という、不思議な、興味を惹かれる名前は、ドイツ語の「ドッペルン」が由来とのことです。その昔、どっぺり坂の上には旧制高等学校の学生寮があり、学生たちは、学校の授業をサボったり、あるいは夜の町へ遊びに行くときにこの坂を通ったそうで、遊びすぎると落第する(ダブる)ということから、「どっぺり坂」という名前になったとか。さらには、どっぺり坂の階段の数は59段で、旧制高等学校の及第点である60点に1つ足りない、という「オチ」もあるようです。防砂林の流れをくむと思われる豊かな緑と、坂上からたおやかに眺望できる市街地とが美しいエリアとなっています。かつて付近に招魂社があったことから名づけられた「しょうこん坂」の横を過ぎ、新潟大学医・歯学部の施設や新津記念館の建物などを眺めながら坂を揺るかに下ると、市役所の前へと到達します。

どっぺり坂

どっぺり坂
(新潟市西大畑町、2004.11.14撮影)
しょうこん坂上の景観

しょうこん坂上の景観
(新潟市旭町通2番町、2004.11.14撮影)

※「後編」につづきます。


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