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新潟・天地豊穣

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#13 見附市街地を歩く 〜新潟県の「中心」にある町のすがた〜

 2016年7月30日、盛夏の新潟県下を訪ねるフィールドワークは、長岡市東部の栃尾の散策を終えて、栃尾を流れる刈谷田川を下流へ進み、見附市内へと続きました。見附市は長岡市の北、刈谷田川が山間から低地へと進む一帯に市域が広がります。新潟県内では平成の大合併に伴い多くの市町村の面積が大きくなりましたが、見附市は合併を経なかったため、執筆時現在新潟県内では面積が最小の市となっています。新潟県における地理的な重心が市内にあることから、「新潟県の真ん中」を標榜する表現を多く目にします。

細越一丁目

観音山公園北東、県道沿いの町並み
(見附市細越一丁目、2016.7.30撮影)
水道山公園

水道山公園から東側を望む
(見附市嶺崎二丁目、2016.7.30撮影)
水道山公園

水道山公園から市街地へ下りる階段
(見附市嶺崎二丁目、2016.7.30撮影)
本町

本町の景観
(見附市本町二丁目、2016.7.30撮影)

 栃尾地区から県道19号を西へ進みますと、見附の中心市街地の東側を画するようにしてある観音山・水道山の丘陵地の北側をかすめて、市街地へと導かれます。市街地を歩く前に、この町場の東側にある丘に登ってみることにしました。丘陵上は東西の眺望や植栽された桜や紫陽花を楽しむために公園として整備されていました。いろいろなサイトの情報を総合しますと、この丘陵地は観音山や愛宕山などと呼ばれていましたが、後に水道山の名前も生まれ(配水施設などが立地したためと思われます)、現在は主に北側は「観音山公園」、南側は「水道山公園」とされる例が多いようです(併称して「水道山・観音山公園」とすることもあるようです)。訪れたこの日は晴れていたものの雲が多く、遠方の見通しはあまりききませんでしたが、眼下に広がる田園風景を美しく望むことができました。

 水道山・観音山公園を下りて見附の市街地へと進みます。本町二丁目交差点近くの中央公民館(かつて市役所が立地していた場所)に自家用車を止めて、見附市街地の散策を始めました。本町から新町へと進む県道沿いは整備された歩道を伴ったアーケードとなっていまして、多くの商店が軒を連ねていました。県道から逸れた路地には昔ながらの雁木が残っている家屋も多く、目抜き通りのアーケードも元は雁木の町並みであったことを彷彿とさせていました。メインの通りは近代的なファサードで整えられている市街地でも、一方横道に入ると古い家並みや美しい佇まいを見せる建物などもあって、ここが歴史のある中心地のひとつであることを実感できました。

雁木の残る町並み

雁木の残る町並み
(見附市新町一丁目、2016.7.30撮影)
本町一丁目

美し佇まいを見せる町並み
(見附市本町一丁目、2016.7.30撮影)
新町

新町の町並み
(見附市新町一丁目、2016.7.30撮影)
今町の町並み

今町の町並み
(見附市今町一丁目、2016.7.30撮影)

 見附の町を概観した後は、見附市内でもう一つのまとまった町場を形成している今町地区を通過し、その雰囲気を感じてみることとしました。時間の都合上車中からの観察となりましたが、ここでも古い町屋と雁木とが奥ゆかしい景観を形づくっていまして、新潟県内における一般的な市街地風景が維持されていることを確認しました。見附も今町も刈谷田川の流域の扇状地や自然堤防といった微高地を指向しています。現在の刈谷田川は河川改修により直線的な河道となっていますが、戦後間もなくまでは見附の市街地付近でも相当に蛇行していまして、刈谷田川はしばしば氾濫する、いわゆる「暴れ川」でした。見附市における2つの市街地は、そうした川の治水と利水の奇跡を今に伝えているように感じられました。

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